第4話 愛ー愛ー 前編

「久しぶり」と一通のライン。


 それを見た瞬間、体中の毛穴が冷や汗を噴き出して、肩の震えが止まらなくなった。体の表面は冷え切っているのに、芯の部分が熱くて熱くてたまらない。

 自分で自分にやけどする気分だった。


 小野町三倉おのまちさくらからの突然の連絡に、怒りよりも疑問よりも、嬉しさがこみあげてきて、自分はどこまでも救えない奴だと思った。

 二宮の一件から一週間、止まらなかった涙の蛇口も閉まりきったところだった。


たった一言に必死にしがみつくように、即座に返事を返した。

 打った内容なんて覚えちゃいない。次の彼女からの返信は一時間後で、

「すぐに返信きててびっくりしたよ~」という一文を見た時は、恥ずかしさがこみあげてきて、赤くなって目をつむった。


 数日の間、一日2、3回のペースで連絡を取っていると、向こうから猫カフェに誘われた。あの頃のことがほろりほろりと頭に浮かんでくる。誰か一緒に行ける人いないかなって思ってて、君のことがピンと来たんだよっ、って彼女は言ってた。

楽しみなのに、やはりただの友達なんだとわかってしまって辛くなる。遊び相手が欲しくて、久々に昔遊んでいたうちの一人と会おうと、おれはその程度でしかないのだ。


 当日、約束の場所に時間ぴったりに着くと、彼女がいた。白いワンピースを着て、長い黒髪を揺らした女がおれを待っている。都心の駅前ということもあって、歩く人々の注目を浴びていた。

 叫びたい。あいつはおれのためにその服を着てきたんだって。おれのために、そこに立って長い髪を耳にかき上げてるんだって。自慢したくて、叫びたくって、でも、その後きっと虚しくなるだろうから止めた。



「あ~!遅いよ、もう!というか、少し雰囲気変わった?髪上げてるからかな?」


 こちらに気づいたあいつは、さっと駆け寄ってきた。昔と何も、何も変わらない笑顔をおれに向けてくる。これは凶器だ。この笑顔はおれの頭をぶん殴って、何も考えられなくする。そしてただただ全身に響く、脈動のような痛みだけを残す。昔もそう、そうだった。

このドクン、ドクンという痛みを、恋をしたんだと、その胸の痛みだと勘違いしてしまうんだ。



「お前は変わってないな。何も変わってない。」


「ひどいな~。女の子と久しぶりに会ったら、可愛くなったねって褒めなくちゃ!そんなんじゃモテないぞ!」


 チクリと痛い。別にモテたくなんかない。一人だけでいい。たった一人だけでいいのに。


「別に。そんなに困ってないから大丈夫。」


「へぇー、そうなんだ。」


 一瞬、彼女の目が暗くなった気がした。ただ、一度瞬きして目を開けるといつもの彼女に戻っていた。きっと気のせいだろう。



 猫カフェは前に行ったのとは違うところで、駅から15分ほど歩いた先にある。


「こうやって歩いてると、一緒に登下校してたの思い出すねー。あの頃の君は素直じゃなかったからなぁ。ねえ、どう?今は嬉しい?嬉しい?」


「どうだろな。正直歩いてるだけだし退屈、かな。」


「え~ひどっ!」


「冗談だよ。こんな美人の横を歩けるなんて、幸せ者だよ俺は。」


「ほ~。女の子を口説くのがうまくなったもんですなぁ~。昔じゃそんな気の利いたセリフ聞いたことなかったよ!」


「俺も大人になったってことかな。お世辞を言えるくらいにはね。」


「ふ~ん、って!やっぱり本音じゃないじゃん!まったくもぉ~。」


 すねたようにしている顔もやっぱり可愛い。でもお前には、この気持ちは伝えてやらない。伝えてやれない。


 何気ない会話をしている内に、目的地に到着した。おれは前にこいつといった以来、猫カフェには行ってない。二階まで階段を上るのがめんどうだから。男が独りでいくのはダサいから。猫が嫌いになったから……、違う。行くと嫌でもあの頃のことを思い出しそうで、怖くて足を踏み出せなかった。あの幸せを思い出してしまったら、その後の苦しみも一緒になってよみがえってくるだろうから。


 それなのに俺の隣の女は、軽い足取りで階段を上っていく。扉を開けて、慣れた手つきでスリッパをはいて部屋に飛び込んでいった。なんでそんな慣れてるんだよ。一体、誰と来てたんだ?

そう聞いたら、お前はまた遠くに行ってしまうだろうから。聞かない。聞けない。


「うわぁ~!可愛すぎるよ~!前行ったとこより猫の種類多いね!」


「そうだな、猫の数自体も結構多いはずだぞ。」


 そう相槌を打ちながら、俺は目当ての猫を探す。



「お目当ての子がいるの?あっ!アメリカンショートヘアーでしょ!昔来た時、君あの子にしか相手にされなくてさー。ずっと可愛がってたもんね!」


よく覚えてるな。意外と大切な思い出なのかも、なんて頭にちらついて首を振る。またつらい思いをするくらいなら、幸せになんてならなくていい。


「あぁ確かにな。でも今日探してるのは違う奴。」


 少し部屋の中を歩き回ってそいつを見つけた。すっと優しく腕を伸ばして、そいつを抱き上げる。


「おー、シャム猫か。可愛いけど、なんか猫の趣味変わった?前はこの子あんまりだったでしょ?」


 確かにそうだ。

シャム猫、警戒心が強くて見慣れぬ人にはなつかない。だけど、飼い主への愛情はとても強くて、甘えたがりになるのだ。独占欲も強く、他の人や動物に飼い主を近づけないという一面も持ち合わせている。

 昔は、犬みたいに一途なその性格が嫌いだった。でも、久しぶりに猫に会いに行くことになって、一番に会いたいと思ったのはこいつだった。


「なんか気になっちゃって。こいつを抱きたいって、そう思ったんだよ。」



「そっか。」


 結局、あいつはいろんな猫を追っかけてたけど、おれは一匹のシャム猫につきっきりだった。おれの腕の中で気持ちよさそうに寝ていて、どうしても手放せなくって。そいつはまだ子猫のはずなのに、妙に重い気がして肩が疲れた。


「あ~癒された~!毎日の疲れも吹っ飛んじゃった!」


「そうだな、久々の猫は可愛かった。」


「そっか、君は猫飼ったりしてないんだ……。私、実は今猫飼っててね!今日はしっかり浮気しちゃったよ~!」


 昔彼女に言われた冗談、今でも忘れない。

「じゃあ、私と将来同棲したら、さっきのアメリカンショートヘアーみたいな子でも飼おっか!」

 

いや関係ない。おれには関係ないことだ。


「猫飼ってるのか。名前はなんて言うの?」


「ハチっ!」


「なんだそれ、猫なのになんでハチ?」


「同棲してた元彼がふざけてつけちゃったんだよ~!」




 ガン!

 また、その笑顔に殴られる。痛い。でも、これは知らない痛みだ。おれに向けられたものじゃない。おれ以外の誰かのことを想って、思い出して、そいつに見せている笑顔だ。

 なんだこれ。不快だ。ただただ冷たくて、刺してくるような尖った痛み。こんな傷は初めてで、これまでの傷とは比べ物にならないくらい、身体に残したくない醜いものだった。

 名前を聞いたこと、ひどく後悔した。





「恋という名の優しい傷と、嫉妬という名の醜い傷」




 次回、最終話。そして、僕は愛を知る。

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