第2話 友情―恋ー
「そんな顔してると、明るい未来が逃げていくぞっ!」
その一言に僕はハッ、と顔を上げる。そこには、未来への希望に満ち溢れたような、とびきりの笑顔があった。
こいつは、
「いい加減やめなよ。僕と話していてもつまらないだろうに。それは僕が一番わかってるんだ。」
「なに~?いじけちゃって、というか私は好きで、きみと行動している、登下校デートしてるの!普通もっと喜ぶべきなんじゃないかなー?クラスのアイドルとの毎日デートなんて、望んで手に入るものじゃないと思うよ!」
「すごい自信……。変わってるよ三倉さん。そういうところあの人を思い出す。」
「え、何を思い出すって?」
「何でもない、三倉さんが気にすることじゃないよ。」
「あー!また!そうやって突き放す!自分のテリトリーには入ってくるなって感じ。」
なるほど、確かにそうかもしれない。僕は椎名枯葉の一件から、自分と他人との間に距離を置くようになった。誰かを近くに置きたいという、自分の中の支配欲から目を背けるために。
「私には、なんだかそれが自分を抑え込んでるようにみえるんだよ。もっと自分らしくいればいいの!心を開け、開けゴマ~!こちょこちょこちょこちょ~!」
「ちょ、やめろっ!っふ、ぁははははははは!」
こんな風に笑えるようになったのは、こいつと話し始めてからだ。感謝すべきなんだろうな。
「はぁーあ、ねぇ!きみ、行きたいところとかないの?ほれほれ言ってみ~!一人で行きづらいとこでもお姉さんが付いてってあげるぞ~!」
「誰がお姉さんだ!むしろ年下みたいだぞ。」
「ひっどーいっ!それで!ないの?行きたいところ!」
「ったく、そうだな。強いて言うなら……ねこかふぇにぃきたぃ。」
「え、なに?もっとおっきな声で!」
「くっ、猫カフェに行きたいって、そう言ったんだよ!」
少し間をおいて、隣から盛大な笑い声が聞こえてくる。どうやら僕の回答がずいぶんお気に召したらしい。
「え~~~!!猫カフェ!?猫カフェか~!そうかそうか、きみもまだ18歳、青春真っ盛りの高校生なんだね~!よしよし、お姉さんが一緒について行ってあげようじゃない!」
えらく上機嫌な彼女と今度の土曜日、猫カフェに行く約束をした。
約束の日、少し早めに駅についた僕は、目印の銅像に肩を預け、本を読みながら彼女を待つことにした。
「わっ!」
肩がブワッ、と浮き上がる。なんだか前にもこんなことがあった気がする。そんなデジャブに襲われて、でもどうしようもなく思い出したくない気がして。目の前でニヤニヤ笑う女の子に意識を戻した。
「どうしても猫カフェに行きたい、子猫男子のきみのために参上したよ~!」
「別にっ!強いて言うならって言っただろ!っていうかなんで子猫なんだよ。」
「私がお母さん猫だからに決まってるでしょ~!母性たっぷりの愛で優しく包んであげる~、っとなんで避けるのさ!」
「っ、三倉さんが、急に飛びついてくるからだろっ!」
内心相当驚いていた。いや、ほんと焦った。
「若い女の子が、むやみに男に飛びつくもんじゃないよっ!」
「っぷ、ぁはははははは!何それ!うちのおばさんみたい!あーおっかしぃ~!」
こいつは本当によく笑う奴だ。それとも僕がおかしいんだろうか。こいつといると、自分のことが分からなくなってくる。
かわいらしい猫のマークがついた扉を開けて、念願の猫カフェに足を踏み入れる。一番最初に目についたのは、「アメリカンショートヘアー」だった。活発で人懐っこいものの、興味がない時は触れられることすら嫌がる一面も持ち合わせる。実はちょっと予習してきていて、猫の特徴はつかんでいるのだ。
そうやってどの猫が警戒心が低いか思い出していると、一匹の猫に見つめられていることに気づく。深い闇のような黒をまとった黒猫である。事前に調べていた猫の中に覚えはないはずなのに、妙に記憶に残っている。
僕が黒猫に興味をひかれていると、隣で三倉さんの声が聞こえてくる。
「この子、かわいい~!お前、遊びたいのかぁ?おおっ、人懐っこいねお前!ほら、きみも撫でてみなよ!」
先ほどの、アメリカンショートヘアーだ。僕も唾をごくりと飲み込んで手を伸ばすと、猫はひょいっと身をひるがえして逃げて行ってしまった。
「なぜ……。」
「いい子だったのに~。もしかして、猫に好かれない体質なのぉ?」
こいつの目を細くしてからかうように笑う姿を見ると、なんだか無性に悔しくなってきた。っと、そういえばさっきの黒猫は、と思ってあたりを見返すとその姿は無くなっていた。あいつなら撫でられそうな気がしたんだけどな。
その後は猫カフェを堪能した。はじめは寄ってこなかった猫たちも、一匹集まるとそれにつられるように集まってくる。かわいいが渋滞してて、幸せに包まれていく。実は、猫を撫でてる三倉さんを盗み見て、少し可愛いななんて思ってたのは、墓場まで持っていく秘密だ。途中でやっぱり猫たちはいなくなってしまったけれど、最後は例のアメリカンショートヘアーが寝てるところをずっとかわいがって終わった。
「あ~もうほんと、可愛かったね猫たち!」
「それな!めっちゃ可愛かった!もう、猫飼いたくなっちゃったよ!」
興奮気味に猫カフェの感想を言い合っていると、すごくニヤニヤした三倉さんがこちらを見つめている。なんだか嫌な予感がする。
「な、なんだよ……。」
「きみ、気づいてないの~?さっきから顔緩み切ってるんだからっ!も~、そんなに猫が好きだったんだね!」
「っ、うっ、うるさい!しょ、しょうがないだろ…、ずっと行きたかったんだから…。」
「うんうん、そうだね可愛いもんね、飼いたくもなっちゃうよね~!」
くそっ、こんなことならこいつと一緒に猫カフェなんて来るんじゃなかった。これ以上照れる顔を見せないよう顔を背けていると、
「じゃあ、私と将来同棲したら、さっきのアメリカンショートヘアーみたいな子でも飼おっか!」
なんて言ってきて。彼女の放った火が僕の顔に着火して、真っ赤に燃え上がった。僕が、口をパクパクさせていると、
「っぷ、っぁははははは!冗談に決まってるじゃん!何でそんな顔赤くなってるの!っあははははっ!」
と、心底楽しそうに笑い転げている。僕はとってもとても、とてもとても恥ずかしくなって、でもそれと同時に嬉しく思っていた自分の気持ちが不思議でたまらなかった。
それから何度か彼女とお出かけをした。お互いの興味のあるところに行ったり、食べたいものを食べたり、ただお店でおしゃべりをしたり。そんなありきたりな時間がだんだんと大切になっていって、楽しい以上に、失いたくないという気持ちが強くなった。
今日は、彼女の好きな夜景を見に行く。少し遠出するため、僕たちは列車の一番後ろの車両に乗った。遅い時間ということもあってか、15号車に乗るのは、僕と小野町三倉の二人だけだった。席が向かい合っていて四人座れる座席に、斜めに向かい合いながら座っている。
窓の外を流れていく都会の情景とは対照的に、車内には静かでゆっくりとした時間が流れる。目の前には、先ほどから小さな寝息を立てる女の子が一人。いつも僕をからかうように細める目は穏やかに閉じていて、首をこてっ、と傾けている姿は、彼女の家族にだって見せたくないくらい魅力的だった。
僕はきっと恋をしている。
最初はちょっかいをかけてくる変わった女の子、その同級生は友達になって、僕の好きな人になった。時間がたつごとに彼女を知って、会う回数を重ねるごとにもっと知りたいと願っている。大丈夫、これはあこがれじゃない。いつまでも僕を縛る、あの時の不安とは無関係の感情だ。もっと普通で、友情とは違う温かい気持ち。彼女が僕を変えてくれた。どこか危うげだった僕に色を塗ってくれた。赤、黄色、緑、オレンジ、いろいろな色の思い出で僕の心は満たされている。
彼女はどこまでもカラフルで、色鮮やかに生きていて、その目にはどんな景色が見えているのだろうと思っていると、暗い夜の重さを、じっくりと持ち上げる彼女の瞳と目が合った。
「やあ、おはよう。」
「おはようって時間じゃないよ。」
「それもそうだね。」
沈黙が続く。
「なんで私のことみてたの?」
沈黙が続く、続く。
「私のこと、すき?」
沈黙が吹き飛んだ。
「う、え、と、ど、どういう意味か分からないんだけ「私のこと、好き?」
「好き。ずっと好きだった。」
「どんなところが好き?」
「……自由で、ありのままに生きているところが好き。何にも縛られていなくて、好きなものを食べて、好きなものを見て、好きなことを楽しそうに話している三倉さんが好きだ。」
「きみは私を……、どうしたい?」
「……三倉さんには、自由でいてほしい。僕は好きな人を縛り付けていたくない。今と変わらないきみのままでいてほしい。」
「君はいい人だね。いい人だけど、優しくはないや。」
この時、初めて彼女の顔に影が落ちるのを見た。
なぜ、なぜそんな顔をするの?女の子は自分を縛り付けるような男が嫌だと思ってた。だって、あの人は、
「なんでそんな悲しそうな顔するんだよ。僕は優しくないの?わからない、わからないよ。僕はきみを傷つけるような、クズな男なの?」
「君はクズな男なんかじゃない。」
「それじゃあ、」
「だからだよ。私はクズな奴が好きだよ。あいつは私に興味はないけど、君より私を見てくれるから。君より私のこと、わかってくれるから……。ごめんね。今日は帰るよ。」
目的地より手前の、まだ都会の危うげな雰囲気が漂う駅に、彼女は飲み込まれて消えていく。列車の扉が閉まる直前、ひどく小さな彼女のつぶやきが、今でも耳から離れない。
「君はやっぱり、大切な友達だよ。」
猫のような彼女の背中は、見覚えのあるものだった。
恋人になれないと知っていたら、友達になんてならなかったのに。
「友情の先に、恋があるんだと思ってた」
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