第一章 野蛮人の転生(2)

 そこには、色も音もない。白と黒のモノクロームで構成された静寂の世界。

 真っ暗な空。降りしきる豪雨。辺りには平原が広漠と広がり、連なる丘陵が地平線を緩やかに隆起させる。地には無数の騎士達の死体が折り重なり、地平線の果てまで続いている。辺り一面に突き立つ剣ややり、戦旗達は、まるで彼らの墓標のよう。

 時折、空の裂け目からいななき漏れる雷光が、そんな墓標を闇より照らし上げる。

「……戦場跡……?」

 随分と、寂しい世界だと思った。

 生きとし生けるもののない、死んだ世界。時がその歩みを止めた、停滞の世界。

 だが、こここそが自身の世界なんだと、シドは不思議と確信できる──そんな世界。

 そんな破滅した風景の中に、ただ一人、例外があった。

「…………」

 白黒の世界の中、色を保った一人の青年が、シドの前に背を向けてたたずんでいる。

 綿毛のように柔らかな金髪、ごうしゃなマントをまとった威風堂々たる背を持つ青年だ。

 シドがあっに取られて、その背中を見つめていると──

「……シドきょう。……目を覚ましたんだね」

 不意に、青年がシドに背を向けたまま話しかけてくる。

 途端、男の胸中にこみ上げてくる不思議な感情。郷愁の念にも似たおもい。

「その声は……お前、か?」

 そんなシドの問いかけに、その青年は、くるりと振り返った。

 憂うような表情を浮かべた青年の美しい顔立ちが、男の前にあらわになる。

「久しぶりだね、シド……」

「ああ、アルスル。会えてうれしいぜ」

 もう随分と長い間、離れ離れだった友を前に、懐かしさで笑みをこぼすシド。

 だが、同時に戸惑うように、青年──アルスルへと問いかける。

「しかし、俺は……お前に討たれて確かに死んだはず。……なのに、なぜ俺はこんなところに居るんだ?」

 すると、アルスルはシドの問いに答えず、沈痛そうに表情を歪めて続ける。

「……ごめん、時間がないんだ。手短に話そう。シド卿、これから君に、現世に生き返ってもらい、二度目の生を生きて欲しい」

「ん? なんだって? 二度目の生?」

「現世では、君が死んでからすでに一千年の時が流れている。そこで、その時代を生きる僕の子孫に、騎士として仕えて欲しい。……守ってあげて欲しい」

「……ふうん? 俺に、お前以外の王を、主君に仰げというのか?」

 すると、シドは目を閉じ、しばらく何かに思いをせる。

 やがて、目を開き、少し寂しそうに目を伏せ、首を振った。

「や。すまんな、アルスル。……いくらお前の頼みでも、それはできん」

 そして、周囲の寂しい世界を遠い目で見回しながら言う。

「俺は二度目の生に興味なんてない。俺は、俺の人生を精一杯生きた。最期はあんなことになったが、それでも、俺は俺の騎士道を全うできた。悔いはない」

「……シド」

「それにさ……お前がいない世界で、俺にどうしろっていうんだ?」

 と、シドは肩をすくめておどけたように言った。

「知ってるだろ? 俺は生まれついての悪鬼だ。そんな俺に、剣を振るう意味をくれたのは、お前だ。お前がいたから、俺は騎士でいられた。お前がいてくれたから……」

 そして、シドはアルスルを真っぐ見る。

「とにかく、俺はお前だけの騎士だったんだ。俺はもう、お前以外の主君に剣をささげるつもりはない。……悪いが、このまま静かに眠らせてくれ」

 そう言って、シドが目を閉じようとする。

 が。

「だけど、それでも頼む、シド卿……僕は、君にすがるしかないんだ」

 そんなシドへ、アルスルが懇願するように言った。

「もし、君がこの愚かな僕を、まだ主君として認めてくれるなら、どうか、今一度の生を生きて欲しい。僕の子孫……今、君をんでいる子を助けてあげて欲しい」

「…………」

「本当は、僕も君をこのまま安らかに眠らせてあげたかった。それでも……だけは守り抜かなければならないんだ……

「…………」

「忠誠を誓えとまでは言わない。ただ、守ってあげて欲しい。はこの世界の希望なんだ。だから──……」

 そんな今にも泣きそうなアルスルを、シドはしばらく見つめて。

 やがて、ふと口元をゆがめ、薄く笑った。

「……おいおい、俺の主君ともあろう者が、そんな情けない顔すんな」

「シド……?」

「ははは。あい、わかったよ、親友。お前がそこまで言うなら、是も非もない」

 シドはにやりと悪戯いたずらぼうのように笑って、かつての主君を流し見る。

「お前が、俺にそれを望むなら──俺は己の全てをかけて、それを全うするだけさ。なぜなら、俺は、お前の騎士だからな」

「あ、ありがとう、シド……」

「だがな、アルスル」

 喜色を満面に浮かべるアルスルへ、シドはひょうひょうと言った。

「悪いが、見極めさせてもらうぜ? お前の子孫とやらが、本当に俺が騎士として剣を奉ずるに相応ふさわしい王かいなかをな──」


 ────。


 その時。

 丘の上に立つ墓標に、ひときわ強烈な稲妻が夜闇を真っ二つに切り裂いて落ちた。

 落雷の直撃を受け、ごうおんと共にじんとなる墓標。焼け焦げる大地。

 世界が真っ白に白熱して──

 やがて、その光が収まった時──そこには、稲妻の残滓を纏う人影があった。

 としの頃は二十歳前後だろうか。黒髪黒瞳。やせじしながら骨太のたい。簡素ながら古めかしい騎士装束を纏った男の人影が──

「さて──こんじょうの俺の剣の預け先は、どこかな?」

 そんなことを力強くつぶやいて、男──シドは目を開く。

 そして、バサリと外套マントひるがえして、立ち上がるのであった。


「……えっ!?」

 突如、落雷と共に丘の上に現れた男の姿に、アルヴィンは忘我した。

 今のアルヴィンは全身をひどく痛めつけられ、ジーザに胸ぐらをつかまれ、ぐったり力なく宙づりにされている状態だったが……この瞬間、何もかも全て頭から吹き飛んでいた。

「な、なんだ……?」

 いよいよアルヴィンを……と舌なめずりしていたジーザも、突如現れた男に意識と視線を完全に奪われてしまっている。

「…………」

 当の男は、丘の上で何かを確かめるように手を握ったり開いたりしている。

 だが、やがて男は周囲を見渡し始め、アルヴィンとジーザの存在に気付く。

「誰だ、てめぇ!? ど、どっから湧いて出て来やがった……ッ!?」

 そんな風にえるジーザを無視し、男はアルヴィンと目を合わせた。

 そして、男が何か気付いたように目を細めた──次の瞬間。

 ふっ! 不意に男の姿が消えた。

「え──」

 刹那、アルヴィンの身体からだが、がくんと引っ張られる。一瞬、アルヴィンの身体が無重力に捕まり、視界が激流のように流れる。

 気付けば。

「……大丈夫か?」

「あ……」

 アルヴィンは、男に横抱きに抱えられていた。

「な、何だ、今の動きは……ッ!? は、はえぇ……ッ!?」

 そんなことを叫ぶジーザは、十数メトル先にいる。

 男は、アルヴィンを抱えながらも、一分の油断も隙もなく、ジーザをにらみ据えていた。

 そして──

「あ、熱っ!?」

 アルヴィンは不意に、右手の甲にしゃくねつの感触を覚える。

 見れば、剣をかたどった紋章が、その右手の甲に熱を持って浮かび上がってきたのだ。

「俺を喚んだのは、お前だな?」

 すると、男が己の右手の甲を見せながら、アルヴィンへ言った。

 男の右手にも、アルヴィンと同じ剣の紋章が浮かび上がって来ている。

 アルヴィンはその紋章を通して、霊的な経絡パスのようなものが男とつながるのを感じた。

「あ、あの……ッ!? あなたは……ッ!?」

 男に抱き抱えられたままのアルヴィンが、あたふたと問いかける。

「ふっ、少年。人に名を問う時は、まず、自分から名乗るもんさ。違うか?」

「うっ……は、はいっ、すみませんっ!」

 恐縮そうに身を縮こまらせながら、アルヴィンが名乗る。

「僕は、アルヴィン……始祖アルスルの系譜、アルヴィン゠ノル゠キャルバニア……」

「アルヴィンか。……なるほど、なかなか良い名だ」

 すると、にやりと笑って、シドも名乗りを上げる。

「俺の名は、シド。シド゠ブリーツェ。偉大なる聖王アルスル第一の騎士」

「あ、あなたが、シド……あの伝説のシド卿……? ほ、本当に……?」

 アルヴィンのすいに、シドはアルヴィンへ穏やかな笑みを向けてくる。

「ああ、そうだ。お前の喚び声に応え、推参した。……あいつは、お前の敵だな?」

 そして、十数メトル先であっに取られているジーザを、シドはちらりと流し見る。

「……う、うん! 敵……ですけど……」

「なら、下がってろ。早速、カタしてやろう」

 そう言って、シドはアルヴィンを下ろす。

 激しい負傷で足に力が入らないアルヴィンは、ぺたんとその場に腰を落とす。

 そして、シドはそんなアルヴィンを背にかばうように、前へ出た。

「俺がお前を守ってやる」

「あ、ありがとうございます……でも、その、あの……ッ!」

 シドの背へ、アルヴィンはどこか不安げに叫んだ。

「気を付けてください! 敵は暗黒騎士……とてつもなく強いんです……ッ!」

 だが、そんなアルヴィンを安心させるように、シドは力強く返した。

「ふっ、安心しろ。俺も結構強い」

 そして、アルヴィンを背に庇ったまま、ジーザと真っ直ぐたいするのであった。

「ちっ……」

 対するジーザが、警戒も露わに舌打ちした。はや、軽薄な雰囲気はじんもない。冷酷に敵を殺害する戦士の目だ。

 だが、そんな視線を一身に受けて、シドは微塵も揺らがない、臆さない。

「てめぇ……一体、どっから湧いて出てきやがったんだ?」

 ジーザの言葉に、シドは沈黙をもって応じる。

「しっかし、それにしたって随分吹くなぁ? あぁ? だぁ? そいつは、一千年前の伝説時代に活躍した騎士の名じゃねーか?」

「…………」

「無双の双剣を振るって、《三大騎士》もりょうしたっつー、最強の騎士──残虐非道にて冷酷無比、《野蛮人》シドを名乗るたぁ、さすがに自惚うぬぼれが過ぎるぜ!?」

 そんなジーザの言葉に。

「はははっ!」

 シドがさも楽しそうに笑った。

「残虐非道で冷酷無比? 今、俺、そんなん言われてるのか? こりゃ傑作だ! 歴史に名を残すは騎士の誉れだが、悪名というのもなかなか愉快な気分だ!」

「ハ! いつまでも、吹いていろ──ッ! 喰らいてイエーツ斬り裂けスラーツ!」

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