第一章 野蛮人の転生(1)

 ──妖精暦一四四六年。

 アルフィード大陸中央に存在する、キャルバニア王国。

 聖王アルスルを始祖とする王家が統治するその王国の首都、王都キャルバニア。

 その北東、シャルトスの森の奥深くには、とある騎士の墓標が立っている。

 そしてよい、この森から、新たな伝説の幕が上がる──


「……はっ! ……はっ! ……はっ!」

 その日は、激しい嵐の夜だった。

 すさまじい風雨が渦を巻いて吹きすさび、深海の底のような夜空を稲光が切り裂く。

 暴風としゅうなぶられきしむ木々の間を、一頭の馬が駆けていく。

 その馬の背に、一人の〝少年〟がまたがって手綱を取っていた。

 綿毛のように柔らかな金髪のショートヘア、澄んだ青玉色の瞳が特徴的な〝少年〟だ。

 としの頃は十五、六ほどか。きめ細かい白磁の肌、やや小柄できゃしゃな身体、精緻に整った相貌は中性的……というより、どこかである。

 だが、女々しさ、頼りなさはじんも感じさせない。りんとした覇気と、相対する者を思わずひざまずかせるような気品が、その〝少年〟からは隠しきれないほどにじみ出ている。

 きらびやかなサーコートの上に外套マントを羽織っており、腰には一振りの細剣レイピア

 その姿は、キャルバニア王立妖精騎士学校の生徒──従騎士スクワイアの正装であった。

「僕は……死ぬわけには……いかない……ッ!」

〝少年〟は馬にひたすらむちを入れ、必死に森の中を駆ける。

を……早く、ばないと……ッ!」

 焦燥の火にあぶられる心が思い浮かべるのは、──とある騎士の伝説だ。

 人呼んで、《野蛮人》シド卿。

 世に語り継がれる彼の姿は、残虐非道、冷酷無比。騎士道の風上にも置けぬ騎士。

 だが、〝少年〟が幼い頃から父より語り聞かされた、彼の本当の姿は──

「…………」

 今は、はるか遠き昔──約一千年前の伝説時代。

 こんとんの戦乱によって麻のように乱れていた大陸を平定し、魔王の侵略を防ぎ、世界を救ったとされる伝説時代最大の英雄王──聖王アルスル。

 その聖王アルスルを始祖とする、キャルバニア王家には、アルスルが直々に後世へ残したとされる、とある口伝が言い伝わっている──


〝我が子らよ。光の妖精神エクレールの加護を受けし者達よ。傾聴せよ〟

の日か、大いなる災いが、なんじらと汝らの国へ降り掛かるだろう〟

〝だが、それを恐るるなかれ。汝らには、汝らを守る騎士がいる〟

の者は、聖なるシャルトスの森の奥深くにて、せいひつに眠る〟

〝汝らに災い降り掛かりし時、進退きわまりし時〟

〝彼の者の墓標に己が血をささげ、その名を呼ぶべし〟

〝我が忠実なる騎士にて臣下。我が最愛なる友の、真の名を呼ぶべし〟

〝彼の者は古き盟約にいて目覚め、必ずや汝に応じるであろう──〟


 ──ふと、〝少年〟は我に返り、手綱を引いて馬を止める。

 まえあしを高らかに上げていななく馬をなだめつつ、〝少年〟はひらりと下馬する。

 そこはうっそうと木々の茂る森林の中に、ぽっかりと開けた空間であった。少し小高い丘となっており、丘の天辺てっぺんには、長方形の何かが立っている。

 その時、ちょうど夜空に稲光がほとばしった。

 大気を震わせるごうおんと共に、一瞬、世界が白一色に染め上げられる。

 だが、その白い極光は、丘の天辺に立つ何かに遮られ、その黒い影が無限に伸びて、〝少年〟に深い影を落とした。

「……あった……本当に……」

〝少年〟は半ばぼうぜんとしながら、その何かを目指して丘を登っていく。

 それは、墓だ。

 悠久の時を超え、今にも朽ち果てそうな墓が、丘の上にぽつんと寂しく立っている。

 だが、かろうじて墓石に刻まれた、その名は読めた。

 シド゠ブリーツェ。

 古き歴史の中、良くも悪くもさんぜんと輝いた、その伝説の騎士の名だけは──

「始祖アルスルより伝わる王家の口伝……転生復活の魔法……」

〝少年〟は腰の細剣レイピアを抜き、その刀身を左手でつかんで引く。

 左手が浅く切れ、血が滲み出してくる。

 その己の血にまみれた手で墓石に触れながら、〝少年〟は懇願するように言った。

「すみません……安らかに眠るあなたを起こすべきでないのはわかっています。それでも……今の僕は、あなたにすがるより他にないんです」

 手から滲む血は雨に流されつつも、墓石の表面にみ込むように伝わっていく。

「虫の良い話だとは思います……でも、今は、あなたの力を貸してください!」

〝少年〟は墓石の前に跪き、こうべを垂れて祈りを捧げる。

「この斜陽の国を救うために! どうか、僕の呼び声に応えてください……ッ!」

 そして──

「始祖アルスルの系譜、アルヴィン゠ノル゠キャルバニアが、ここにこいねがう!」

〝少年〟──アルヴィンは、その名を唱えた。

 今は、とうに失われし、彼の者を示す真なる二つ名を。

「|《閃光の騎士》《サー・シド・ザ・》シド卿ブリーツェ! 今こそ長き眠りから目覚め、古き盟約を果たして!」

 叫ぶと同時に──

 夜天を塗り潰す闇を、世界のしゅうえんを告げるような雷鳴が、再び切り裂いた。

 幾条にもぶんし、空をバラバラに分断する壮絶なる天雷のほうこう

 白くまばゆい光が目をき、世界を真っ白に灼いていく──

 …………。

 ……やがて、その光が収まって。

 世界に再び闇のとばりが訪れた……その時。

「…………」

 祈りを捧げるアルヴィンの前には、何ら変わらぬ墓標のみがあった。

 何も起きない。呼びかけに応じる者は誰もいない。

 静寂。ただ豪雨が発する水の爆音のみが支配する、騒然たる静寂。

 そんな残酷な現実を認識すると。

「……ふ、ふふ……だよね……あは、あはは……」

 アルヴィンは、祈りの手をほどき、がくりと脱力した。

「しょせん、口伝は口伝……死者がよみがえるなんて、そんな魔法あるわけないのに……」

 どん……アルヴィンが、墓石に額をつけ、力なく墓石をたたくと。

 その時、後方で馬のひづめが迫る音と、重たい何かが倒れる音が響いた。

「ッ!?」

 思わず立ち上がり、アルヴィンは振り返って身構える。

 すると、見下ろす丘の麓には、アルヴィンの馬が哀れ斬り倒されていて。

「よう、アルヴィン王子サマ! さっきぶりだなぁ!? 元気カナー?」

 そして、黒よろいに身を包み、闇の幽馬に乗った一人の騎士が、そこに居た。

 その騎士は剣を肩にかつぎ、いかにも柄の悪いつらたのしげにゆがめて立っている。

「そろそろ、鬼ゴッコはしまいにしようぜぇ? 王子サマよぉ?」

「暗黒騎士……ッ!」

「そうさ、オープス暗黒教団のジーザ様さ。恨みはないが、アンタを殺す者だ!」

 男──ジーザは闇の幽馬からひらりと降りながら、おどけたように言った。

 オープス暗黒教団とは、闇の妖精神オープスを奉ずる禁忌の邪教である。

 暗黒騎士団と呼ばれる強力な戦力を有しており、殺人、誘拐、奴隷売買、麻薬取引……国内で起きる、あらゆる犯罪を裏で糸を引いていると言われる地下組織であった。

 この日、アルヴィンは少数の供を連れ、公務で王都周辺地域の視察巡幸に出ていた。

 その時、突然、襲撃してきたのがこの男──暗黒騎士ジーザだ。

 ジーザのその圧倒的な武力の前に、供の者はあっという間に全滅。

 アルヴィンは、命からがら逃げ出すしかなく……そして、逃走の果てに今に至る。

「さぁて、鬼ゴッコはしまいだ。そろそろ覚悟を決めな? アルヴィン王子」

 軽口だが、ジーザは、身の凍るような圧と殺気を、アルヴィンへと叩き付けている。

「依頼人はアンタの命を所望している。わりぃが、見逃さねえ。まぁ、この時代に王家の男子として、生まれちまった自分の不運か神様を呪いな──」

 そう宣言した、次の瞬間。

 ジーザは獲物を追う肉食獣のような速度で丘を駆け上り、アルヴィンへと迫ってくる。

 そして、その勢いのまま、下から斬り上げた。

 逃げる暇もなく、アルヴィンはとっ細剣レイピア下段アルベアに構えて──ジーザと激突。

 激しくみ合うやいばと刃。彼我の技量差を考えれば、防御が間に合ったのは奇跡に近い。

「──きゃあっ!?」

 そして、アルヴィンの身体からだはその激突の衝撃で浮き、吹き飛ばされる。その華奢な身体が丘の反対側の斜面に何度も叩き付けられ、滑落していく。

「ん?」

 そんなアルヴィンを見下ろしながら、ジーザが何かに気付いたように首をかしげた。

「お前……今、なんか、みてえな声出したな……?」

「……くっ!?」

 アルヴィンはすぐに細剣レイピアつえ代わりに立ち上がり、不屈の目でジーザを見上げる。

 だが、ジーザはそんなアルヴィンを、まじまじとめ回すように見下ろす。

 雨でねずみとなったアルヴィンの肢体に、ぴったりと張り付いた衣装、外套マント。ぼんやりと判明するその身体のラインは、男性にしては、やや──?

「…………」

 しばらくの間、ジーザはアルヴィンの身体をジロジロとしつけに見つめていた。

 だが、やがて何かを確信したのか、ジーザは野卑な笑みを浮かべて言った。

「あー、ひょっとして、王子サマ? お前、?」

「な、何の……ことだ……ッ!?」

 いかにも何を言っているかわからないという風に、えるアルヴィン。

 だが、今の一瞬、アルヴィンの表情にかすかな動揺が走ったのを、ジーザは見逃さない。

「ひゃははははっ! 驚いたぜ!? こりゃあぜんだいもんだなぁ、!? ま、俺には関係ねーが? お前をブッコロすんのは確定だしなぁ!?」

「……ッ!?」

「だが──お前をブッコロする前によぉ? と愉しめそうだなぁ、おい?」

 その瞬間、アルヴィンを見るジーザの目が、表情が──変わった。

 残酷な暗殺者の目から、極上の獲物を狙う狩人かりゅうどの目に。

 自分を見て舌なめずりしてくるジーザの目と姿に、アルヴィンは本能的な恐怖と生理的なけん感を抑えきれない。

「クッソつまんねぇ任務かと思ったが、思わぬ役得があったぜ! ひゃははははっ!」

「……く、ぅ……ッ!?」

 これまで気丈だったアルヴィンの身体が、どうしようもなく震える。

 自分の目と鼻の先に、死よりもつらく、残酷で屈辱的なさいが待っている──そんな確信と絶望感に、アルヴィンは視界が真っ暗に落ちていく錯覚を覚える。

 だが、それでも……諦めるわけにはいかない。

「ぼ、僕は……」

 震える手で細剣レイピアを構える。恐怖を、必死にかみ殺す。

 それが、より深い絶望と残酷な最期をもたらすことになろうとも。

 自分は──戦わなければならない。

 誓ったのだから。この国を守ると。変えると。

 今はき父王に──

「……ぅ、う、ぁああああああああああああああああああ──ッ!」

 自分の弱き心をしっするように、鼓舞するように吠えて。

 アルヴィンは、丘の上の男へ向かって、剣を構えて駆け出すのであった──


 ────。


 ──何も、なかった。

 今の今まで、その男には、何もなかった。

 何かを感じる心や身体もなければ、何かを思考する意識もない。

 無。闇。零。空。白。虚。

 そういった概念となって、その男は、虚無の中を永遠に彷徨さまよい漂う〝何か〟であった。

 だが、不意に誰かに名前を呼ばれたことによって、そんな虚無の男に変化が生じる。

 ──シド──

 そのなつかしい名を呼ばれたことにより、虚無の概念だった男に輪郭が生まれる。

〝我〟が形作られる。

 気付けば──

「……ん? ここは?」

 その男──シドは、奇妙な空間に立っていた。

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