11(ΦωΦ) episode:8 夜の巴里をお嬢様と散策──ドキッ、秘密のお仕事初体験
「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
月のない巴里の街。叫びとも遠吠えとも判断出来ない野太い男の声が響く。
わたしは拳銃を手に……震えていた。怖い、怖い、怖い。
夜の巴里が、こんなにも恐怖に満ちているなんて思ってもみなかった。お嬢様から「散歩に行きましょう」と誘われたときに気づくべきだった。そしてバトラーの源九郎さん、通称レッド・ロバートさんに聞くべきだったのだ。
「なぜ、拳銃が必要なのか」
街路には誰もいない。暗闇を恐れて皆が自宅に引きこもった深夜の石畳。濡れてて、冷たくて、カビ臭い。
ただ水銀灯が照らす周囲だけが仄かに光を蓄えていた。
お嬢様は呪いをかけられて人形となってしまわれたのか、先程から何も語らなくなった。やっぱり怖いのかしらと顔を見れば表情は明るい。むしろ、楽しんでいる?
「お嬢様、これは何なのですかぁ」
助けを乞うように膝を地面につけて中腰になり、小さなお嬢様の躰に抱きつくわたし。怖い、怖い、怖い。
「それでは立場が逆だろう」
コゼットが叱る。
それでも、何も見えない暗黒の闇から聞こえてくる、この声は恐怖だ。コゼットの感覚がおかしいのだ。そういえば、昔は軍人さんだったらしい。女に徴兵はないから志願だろう。
自ら怖い戦場へ行こうなんて、どうしてそう考えたのかわからなかったが、大きな拳銃を構えている姿に納得した。彼女はメイドとしてモップやハタキを持つより、銃を持って戦いの場に馳せ参じる姿のほうが似合う。
絶対、舞台では王様の懐刀。姫君の守護神。仲間を護るため剣を振るう勇者。そんな颯爽とした男役が彼女にはピッタリだ。
でも、わたしと同じメイド服を着ている。絶対スーツか甲冑のほうが似合うのに。
そんなコゼットは、辺り一面の闇のなか、それでもある一点だけを見つめていた。
いるのだ、そこに。そこから何かが臭ってくる。強烈な悪臭が滲み出てくる。わたしにも、すぐにわかった。野生動物の臭いだ。子供の頃、お兄ちゃんに連れていってもらった
──ぐぎぎぃ、ぐぐぎぃぃ
喉から絞り出すような低音、唸り声のようにも聞こえた、そのときだ。
コゼットが、どこか楽しげな声色で叫んだ。
「来るぞ!」
「え?」
「ぐわぁぁぁぁぁぁあ!」
闇から巨大な化け物が飛び出してきた──なんなのよ、これわぁ!!!
********************
「今宵、弾は多めに用意致しました」
食堂の一角。
源九郎さんが拳銃と一緒に白いテーブルクロスの上へうやうやしく並べたのは、金色に輝く綺麗な真鍮製の銃弾。円柱状をした宝石のようだ。小さなそれに視線を奪われる。
よく見れば先端は色の違う円錐形が嵌め込まれて窪みが掘ってあり、そこにゼリー状のものが詰められていた。
「ここにウイルスが仕込んである」
コゼットだ。
「ういるす?」
インフルエンザにかかりそうな気がして一歩下がる。
「ん、なぜ後ろへ下がる。心配しなくても、このウイルスは人間には効かない。これからハンティングする獲物に対してのみ有効だ」
ハンティング?
あー、なるほど。貴族の
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「イノシシとちがうぅぅッ!」
わたしの絶叫!
暗闇から飛び出してきたのは、ゾウほどもある大きな犬……いや、犬のような『何か』だ。全身が黒い毛で覆われていた。見た目は狩猟犬に似て耳が尖って口も大きい。巨大な
「は、歯磨きしたほうがいいよ」
「ぐぎゃあぁぁあ!」
──ダーンッ!
発砲音。コゼットだ。
「チッ、外したか」
なんでよぉ、考えてみたら劇場でも猿少年を撃ち損なって逃していた。コゼットって、いつも外してる気がするんだけど。大丈夫なんだよね。
「セリシア、おまえも撃て」
「え、えぇ!」
「手に持っているそれはハンドバックじゃないぞ」
闇夜の巴里を遊び場のように駆け回る『ゾウのように大きい犬じゃない何か』は相変わらず不気味に低い唸り声をあげながら迫っては遠ざかり、を繰り返している。
巨漢が地面を踏みしめているが、不思議と地響きは無い。軽いステップを踏んでいる。重さが無い感じがする。黒い毛に覆われているせいか『影』だけの存在にも思えた。
わたしは源九郎さんにいわれたとおり、拳銃の背についているスライド式のトグルを一回引くと、その『何か』に銃口を向ける。が、動きが早くて狙いが定まらない。
コゼットに「なんで外すのか」と心の中で毒づいてゴメンナサイ。これは難しい。
振り向くとお人形状態のお嬢様は無防備に立ったままだ。いいのだろうか、もしも『何か』がお嬢様を襲ったらわたしじゃ護りきれない。
そう考えた瞬間、その最悪の事態が起こった。
黒毛の『何か』が、お嬢様へ向けて突進してきた。お護りしなきゃ、と慌てて
そもそも、このわたしが拳銃なんてうまく操れるわけもなく、銃口から放たれる銃弾の勢いで後ろへ
わたしのドジぶりを埋めるように、コゼットの弾丸が飛び込んできた。
「チッ、外したか」
……そ、そんなぁ!
お嬢様が危ない、慌てて起き上がる。
水銀灯に晒された『何か』は、お嬢様の手前で唸り声をあげていた。すぐに襲いかかると思われたが、どうしたことか、お嬢様を前に尻尾を下げ頭を低くして睨んでいるだけだ。相変わらず唸り声は凄いが……震えている?
獰猛な『何か』は、お嬢様を睨みつけながらも怯えているように見えた。
そして、
「ぎゃいぃン!」
コゼットが放った何発目かの弾丸が、ついに『何か』へ命中した。当たったのだ!
巨体が、初めて地響きを──ドドドッと音をたてて倒れた。
真っ黒い毛がわなわなと揺らめく。街灯の薄灯りのなか痛そうに悶える表情があった。世の中の全てを恨み、睨みつけるような眼光。しかし息が出来ないのか、呼吸しようと足掻いている。
「ごめんね」
自分でも何をしているのか──どうしても可哀想になって、恐怖も忘れ『何か』に触れる。硬いゴワゴワした毛だ。おもわず頭を撫でた。
石畳のうえに横倒しになる『何か』の大きな瞳が、予想外の事態に驚愕の色を浮かべた。わたし自身も驚いているんだ。このわたしが、こんなに大きな化け物の頭を撫でている?
「セリシア」
お嬢様が優しい笑みを浮かべておられる。
「はい、お嬢様」
「その化け物は、浄化され、苦しみから解放される。ほら、」
わたしが頭を撫でていた『何か』は足掻くのをやめ、まぶたをゆっくり閉じた。ゆるやかなる淡い光が全身を覆っていた。その光が小さく分裂し、ひとつひとつが天へ、深夜の真っ暗な高みへと昇っていく。
「いやぁ、素敵な魔法だねぇ」
拍手する子供の手。塀の上に立つ燕尾服の少年がニマニマと嫌な笑顔で称賛の言葉を放っていた。見たことがある顔だ。そしてあの容姿。そうだ、あの子は……
「そのおじさん、弟のことで貴族への恨みがとっても強くてさあ、使い勝手良かったのに残念」
「真打ちのご登場ね」
お嬢様が毒づいた。
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