第10話


 千加良ちからは店の中に置かれていた寸胴鍋の前で立ち止まり、それを持ち上げると板の間の部屋へと引き返して来る。


千加良ちからくん?」


 僕がいぶかしげな顔でもって、その鍋と千加良ちからの顔を見比べれば、それに応えるように床の上へと鍋を置きながら、にやりと笑ってみせた。


「なんだ? 扉を開けて招き入れるとでも思ったか? 残念だったなぁ、史堂しどう。困っている人を助けるような趣味も、奴を態々わざわざ店に入れる悪趣味も、そんなもの俺にはナイんでな」


 僕に身構える隙も与えず、千加良ちからおもむろに寸胴鍋の蓋を開けて中を覗く。


「ところで俺には、どう見ても空っぽなんだよな。史堂しどう……?」


 鍋の中には白濁した瞳を此方こちらに向けた男の顔が、依然としてあるのが僕の左眼には映って視えるのだった。

 よく視る為に、中にある男の顔を僕は恐々覗き込む。

 その苦悶に歪む顔、ドス黒く変色した血がごわつき固まる髪、顔に擦れたように残る指の跡、そのくすんだ血の色とは違う鮮やかな赤い色が斑らに頬から口元にかけ滲むそれは、口紅だろう。

 切り落とした後も頭を愛しげに抱え、何度も唇を這わせたに違いない様子を想像すると、そのあまりのおぞましさに正視に耐えない。その行為の意味は考えるまでもなかった。そう……殺さなくては、触れることが出来なかった、手に入らなかったのだ。


「……頭は、あります。鍋の中から僕たちを見上げていますよ」


 くうを睨むあの白く濁った眼は、何を映しているのだろう。


「ふうん。持ち上げて逆さまにしたらどうだ? 落ちたりするか? まてよ。使っても洗ってもこの状態なんだったな。となると……つまんねぇな。どうやっても俺には視えそうもないか。あの人形みたいに鍋が動いたところで、感動もクソもないし。やっぱ身体の方を連れて来なきゃ話にならな……」

「や、勘弁してください。千加良ちからくん!」


 何が起こるか誰にも分からないことを何故、考えもなしにしようとするのか。僕は思わず千加良ちからに向かって大きな声を出した。


「まあ、霊障とやらを目の当たりにする良い機会かと思ったが……それで店が滅茶苦茶になるのは面倒だもんな。仕方ない。だが、片付ける史堂しどうが、どうなっても構わないって言うなら……」

「え、そこまで考えていて……何でそんなこと言うかな。どうなるとしても店ならまだ良いですよ。僕自身がどうなるか分からないから嫌、なんです!」

「じゃあ、視えるならさわれンじゃね? ってことで、ちょっと手を入れてみるのはどうだ?」

「……ッば、馬鹿なんですか? 今、僕が言ってたこと聞いてました?」


 手を入れてみるか、と言いながら床に置いた寸胴鍋の前に、しゃがみ込むとそのままの格好で僕を見上げるようにしていた千加良ちからは、僕の慌てふためく様子に今や肩を震わせて笑い崩れている。


「で、お前には?」


 笑いの発作が治った千加良ちからに、僕の左眼に映る鍋の中の、その男の頭を言って聞かせれば膝の上に頬杖を突き、考えるときの常で長い人差し指を顳顬こめかみに沿わせ中指で唇を擦るのだった。


「それはまた、随分な愛されようだな」


「……愛、ですか? 相手を殺してまで手に入れるものなんですか? それで愛は、手に入ったのですか? こんなの妄執の果ての狂気じゃないですか」


「狂愛だって、愛だろ。そうでなければ、何だっていうんだ? その愛の形が正しいとか正しくないとか、そう判断するのはおこがましいことに周囲の人間だ。そもそも愛に正解も不正解もないと俺は思うがな」


「だけど……愛とは相手を思いやる……」


「まあ、そうだろう。だが、愛とは何だろうな? 見返りを求めず、与えることで満足することか? または、どんな状況に於いても相手の為に自分を押し殺す自己犠牲的なモノか? 愛したからには、愛されたいと願うのが真実じゃないのか? 自己犠牲的愛を捧げられるのも、見返りを求めず相手を思いやれるのも、そこには少しでも相手からの愛を感じることがあるからこそ、可能なんじゃないのか? それが全くのゼロだったり拒否された場合、それでも相手への愛を貫けるほど強い人間はそう居ないと思うがな」


「でも……殺すなんて」


「ここにあるのは、最初から自分の欲を満たすための愛だよ。相手の意思は何処にもない。だから相手を殺しても同じ。幻想の中でしか生きてないのだからな。本当なら屍体そのものを手元に置いておきたかっただろうが、嵩張るから首を切ったんだろう。頭なら丁度良い。抱いて寝たり、話しかけたり、さぞ毎日が充実したことだろうよ。だが、何もしなければ腐るのも早い」


「何故、頭を煮たんですか? 捨てなかった理由は?」


「骨、だよ。頭蓋骨が欲しかったんだ。エンバーミングをすれば、今度こそ腐らない。と、まあこれも憶測でしかないが。顔が好みだったんだろうなぁ。はははッ」


 そう笑った千加良ちからは立ち上がると、何を思うのか僕をじっと見つめる。


史堂しどう、お前もいつかなつめチャンに殺されるかもな」


 なつめが切り落とした僕の頭を愛おしそうに抱え、笑みを浮かべた赤い唇がゆっくりと開き、濡れた舌が僕の頬を舐め上げる。


 まさか。

 

「僕がなつめを殺すならまだ分かりますけど、どうしてなつめが僕なんかを殺さなきゃいけなんですか」


史堂しどう、お前はそういうところだよなぁ」


 とりあえず店の扉は、しばらくの間閉めておけよ。と言い置いて千加良ちからは、寸胴鍋を床から持ち上げると、それを店に戻すことなく奥の物置に仕舞いに行くようだった。


 なつめが、僕を? 

 

 千加良ちからが部屋から遠ざかるごとに鍋の中の呻き声が小さくなるのを、その場に残された僕は聞くともなしに聞いていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る