【Session13】2015年09月27日(Sun)十五夜

 だいぶ秋らしくなり涼しい風が漂う今日、学のカウンセリングルームのビルの谷間からも、まん丸のお月様を観ることが微かに出来た。そう今日は十五夜で、学は母親の両親に育てられていた幼少時代におじいちゃん、おばあちゃんと一緒に食べたお月見団子のことを思い出しながら、彩が来るのをカウンセリングルームで待っていたのだ。そして彩は約束の時間の10分ぐらい前に、学のカウンセリングルームに何時ものようにやって来たのだった。


木下彩:「こんにちは倉田さん。宜しくお願いします」

倉田学:「こんにちは木下さん。その後どうでしょうか?」


木下彩:「ええぇ、まあぁ。自分でも良くわからないのですが、夜お店で働いている時の記憶が思い出せないんです」

倉田学:「そうですか。ひとつ質問させて貰ってもいいですか?」


木下彩:「ええぇ、いいですけど…」

倉田学:「樋尻透と言うひとをご存じですよねぇ。どのような関係なのでしょうか?」


木下彩:「倉田さん、そう言えばこないだ透くんに、じゅん子ママのお店でお会いしてましたよねぇ? 透くんは小学生時代の幼なじみで、わたしよりひとつ年上です。そして倉田さんのカウンセリングルームに初めていった帰りに、新宿の喫茶店で偶然再会したんです」

倉田学:「その時、彼は何か言ってましたか?」


木下彩:「わたしが派遣社員の給料だけじゃ生活が苦しいことを話したら、夜の仕事を紹介するから一度、透くんのお店に来ないかと誘われました」

倉田学:「それで木下さんは彼のお店にいったんですね?」


木下彩:「ええぇ、まあぁ」

倉田学:「そのお店はどんなお店で、何をしましたか?」


木下彩:「透くん、『新宿歌舞伎町 ホストクラブ ACE』の経営者で、飲み物を確か注文してその後の記憶が…」

倉田学:「木下さん、その時あなたはアルコール(お酒)を飲んだんじゃないですか?」


木下彩:「わたしソフトドリンクしか飲めないって、透くんに言ったんですけど…」

倉田学:「そうですか…。でも、おそらく木下さんが飲んだ飲み物にはアルコール(お酒)が入っていたのではないですか? 彼のお店で飲み物を飲んだあとの記憶はありましたか?」


木下彩:「それが…。次の日の朝起きるまで記憶が…」

倉田学:「わかりました木下さん。おそらく彼はアルコール(お酒)を飲むと、もうひとりの人格の綾瀬ひとみさんが現れることを、この時知ったのでしょう」


木下彩:「たぶん、そうだと思います」

倉田学:「では彼から、そのあと連絡か呼び出しなどありましたよねぇ?」


木下彩:「ええぇ、まあぁ。透くんのお店に迷惑を掛けてしまったみたいで、銀座にあるじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』に行きました」

倉田学:「その時いたのは誰ですか?」


木下彩:「透くんとじゅん子ママです」

倉田学:「その時、アルコール(お酒)は飲みましたか?」


木下彩:「皆んなで乾杯するから、わたしはソフトドリンクをお願いしました」

倉田学:「ひょっとして、そのソフトドリンクにアルコール(お酒)が入っていませんでしたか?」


木下彩:「わかりません。飲み物を作ったのは透くんだったから…」

倉田学:「そうですか、彼が飲み物を作ったんですね。飲んだあと、何か変わったことはありませんでしたか?」


木下彩:「それが…。少しの間、記憶をよく覚えていなくて…」

倉田学:「これはあくまで僕の推測ですが、大切なことなので聴いてください。先日、じゅん子さんのお店に僕が行ったのは覚えていますよねぇ。そこで僕はアルコール(お酒)以外の方法で木下さんから、もうひとりの人格の綾瀬ひとみさんに入れ替わるトリックを発見しました」


木下彩:「えぇー、それは何ですか?」

倉田学:「順を追って説明して行くので、よく聴いててください。あなたの幼なじみの樋尻透が関係しています。彼はおそらく何らかのトリックで木下さんに催眠術のようなことをしたと思います。そしてそのトリックは樋尻透からのスマホのLINEのメッセージです」


木下彩:「そうなんですか!? でも、そんなこと本当にできるんですか?」

倉田学:「僕もはっきりしたことは言えない、一度しか観ていないし。それに、彼の話術などは心理カウンセラーの僕から観ても、その辺のカウンセラーよりよっぽどスキルとテクニックを持っているから…」


木下彩:「倉田さん、どうしたらいいんでしょうか?」

倉田学:「一番いいのは、彼からのLINEのメッセージを観ないことだと思います」


木下彩:「でも…。夜の仕事の連絡はじゅん子ママじゃなくて、全て透くんが管理してるんです」

倉田学:「そうですか。彼がどのように木下さんに催眠術のようなことをしたのかわらない以上、今の僕にも戻すことは難しいんです」


木下彩:「倉田さん、何とかお願いします」

倉田学:「僕に今できることは、木下さんともうひとりの人格の綾瀬ひとみさんを統合して、ひとりの人格にしてあげることぐらいです。すいません」


 こうして学と彩のカウンセリングは終えようとしていた。学にとって、彩からひとみに人格が入れ替わるもうひとつの原因がわかっていながら、彼女に解決する為の手段を与えられない自分に、とても歯がゆい思いを抱いていたのだ。そして彩は次回のカウンセリングの予約を、10月8日(木)15時から予約したのであった。


 学はこの日はちょうど、じゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』に出張カウンセリングの予約が入っており、学はじゅん子ママのお店に向かう日でもあったのだ。何時もなら学は、クライエントの個人情報を他のひとに一切しゃべることは無かったのだが、彩が今からじゅん子ママのお店に行って働く話を聴いていたので、自分もこれからじゅん子ママのお店に向かうことを彩に話してしまった。すると彩は、「一緒にじゅん子ママのお店に行きませんか?」と、学に訊いて来た。


 学は少し迷ったが、彼女に少し申し訳ないと言う気持ちがあったのと、また自分から、じゅん子ママのお店に行く話をしたことに対し、断るのも失礼になるのではないかと言う思いから、彩と一緒にじゅん子ママのお店へと向かったのだ。


 外に出るとお月様もだいぶ高くなり、輝きが増しているのを学は観ることが出来た。二人は新宿駅から一路、新橋駅に向かい銀座8丁目にあるじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』へと入って行った。


木下彩:「倉田さん、わたし初めてなんです」

倉田学:「何が初めてなんですか!? 木下さん?」


木下彩:「こうやって、お店に男のひとを連れて行くことを…」

倉田学:「僕は夜の仕事の世界を良く知らないけど…。そんなに珍しいことなんですか?」


木下彩:「ええぇ、まあぁ。わたしにとって倉田さんが、初めての同伴みたいな感じだから…」

倉田学:「僕はただ木下さんと、一緒に『銀座クラブ マッド』のお店に行くだけなんだけど…」


木下彩:「初めての同伴が倉田さんで良かった」

倉田学:「同伴って良くわからないけど…。木下さんが嬉しいなら光栄だなぁ」


 こんなやり取りを二人でしながら、じゅん子ママのお店に着くとママから早速、彩にこんな言葉が投げ掛けられたのだ。


じゅん子ママ:「彩ちゃん、倉田さんと一緒に来たの?」

木下彩:「ええぇ、まあぁ」


じゅん子ママ:「倉田さん、彩ちゃんに何かご馳走とかプレゼントしたの?」

倉田学:「いいえ、特に何も」


じゅん子ママ:「彩ちゃん、倉田さんは本当は同伴にはならないけど、今回は特別にママが同伴と認めてあげるから。倉田さん、大切なお客さまだから」

木下彩:「本当ですか、嬉しい」


じゅん子ママ:「彩ちゃん、わたしは倉田さんと話があるから、お店のほう宜しくねぇ」

木下彩:「はーい」


じゅん子ママ:「倉田さん、わたしのこと彩ちゃんには話してないわよねぇ」

倉田学:「もちろんです。僕はこのお店に行くことは話ましたが、じゅん子さんについては何も話していませんよ」


じゅん子ママ:「良かった、わたし口の軽い男って信用できないの。その点、倉田さんは大丈夫そうね」

倉田学:「僕は心理カウンセラーですから、クライエントさんの情報を他のひとに話しませんよ。それに僕はそもそも聴くのは専門ですが、話すのは苦手ですから…」


じゅん子ママ:「倉田さんって面白いわねぇー。それじゃあ早速、カウンセリングをお願いしたいわ」

倉田学:「わかりました。宜しくお願いします」


 こうして二人は、前回と同様に小さめの個室に入っていった。そしてじゅん子ママのカウンセリングが始まったのだ。


倉田学:「では早速ですが、宜しくお願いします。まず、当時の地下鉄サリン事件(オーム真理教)の出来事を思い出して頂いても大丈夫でしょうか?」

じゅん子ママ:「嫌な想い出なので、思い出したくないのですが…」


倉田学:「トラウマを乗り越えるには、そのトラウマと向き合う必要があります。そしてあなたは、この問題を解決する意思があるので、わたしにカウンセリングの依頼をしたのだと思います。あなたには、この問題に向き合う勇気や自信があるはずです」


倉田学:「必ずあなたには、この問題を乗り越え受け止めるだけの力が備わっています。そう言う自分をまず褒めてあげてください。そしてここはあなたのお店です。安心して自分をさらけ出すこともできます。さあ、あなたなら大丈夫です。当時のことを思い出しても…」

じゅん子ママ:「わかりました、思い出してみます。ゔーん、ゔーん…」


 じゅん子ママの眉間にシワがより、みるみる顔色が曇りだした。それと同時に身体が強張り、小さく肩をすくめ呼吸が早くなって行くのを学は観ること出来た。学はじゅん子ママに語り掛けるようにこう言った。


倉田学:「大丈夫です、ここは安全な場所です。自分の中に閉じ込めている、その感情を吐き出してみてください。声を上げても、泣いても、叫んでも構いません。ここはあなたのお店です。完全に守られた場所です。そして、この部屋は奥の個室です。他のひとに聴かれる心配もありません」


 こうして学はこの時間・空間が完全に安全な場所であることを伝え、じゅん子ママが抱えているトラウマを全て吐き出しても大丈夫であることを告げたのだ。そしてじゅん子ママは、大きな声を上げ叫んだ。


じゅん子ママ:「何が起こってるの?! 何でひとが倒れてるの?! わたしはどうしたらいいの?! わたし死んでしまうかもしれない。ごめんなさい」

倉田学:「大丈夫です、あなたは生きています。そして犯人も捕まってます。あなたは今、自分のこころの奥底に閉まってあった辛い経験とちゃんと向き合いました。あなたは勇敢にその闇に立ち向かい、そしてこうして今生きている自分を褒めてあげてください。身体をリラックスさせ、深呼吸を何度かしてみましょう」


倉田学:   「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」

じゅん子ママ:「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー」


倉田学:「どうでしょうか? 少しは楽になったでしょうか?」

じゅん子ママ:「ええぇ、少しはあの時の記憶と向き合えるかも知れません」


倉田学:「一回のセッションで、トラウマを解決することなど無理だと思います。でも、じゅん子さんは本気で自分の問題と向き合いました。その積み重ねだと僕は思います。問題に向き合った今の自分を褒めてあげてください」

じゅん子ママ:「倉田さん、ありがとう御座います。やっぱり噂どおりの腕ですね。倉田さんにお願いして良かった」


倉田学:「ありがとう御座います。次回のカウンセリングはいつが宜しいでしょうか?」

じゅん子ママ:「そうねぇ、10月8日(木)のまた19時からで大丈夫かしら?」


倉田学:「ちょっと待ってくださいスケジュールを確認しますので…、はい大丈夫です」

じゅん子ママ:「では、また宜しくお願いします」


 学はじゅん子ママのお店『銀座クラブ マッド』をこうして立ち去るのであった。帰り際に彩とお店のフロアですれ違ったが、それは彩では無く、もうひとりの人格の綾瀬ひとみであることが学にはわかった。何故なら、顔の表情や化粧はもちろんのこと、彼女から放たれる仕草や振る舞いが彩のような「明朗でおしとやか」では無く「計算高くかつ大胆」であったからだ。


 しかし学はじゅん子ママのカウンセリングでこのお店に来ていたので、特に何も言わず店を出て、また新宿にある自分のカウンセリングルームへと向かった。帰り際、夜空を見上げるとまん丸のお月様が、学を待ち構えていたかのように大きく輝いているのであった。

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