【Session12】2015年09月20日(Sun)彼岸

 陽が暗くなるのもだいぶ早くなり、夕方になると暑さも和らいで来たのだった。学はカウンセリングルームで自分の両親やご先祖様のことをふと考えていた。それは学がカウンセリングルームのカレンダーを観た時、今日がお彼岸であることを思い出したからだ。


 学は両親からは辛い経験しか無いが、 彼を引き取り育ててくれた母親の両親、つまりおじいちゃん、おばあちゃんが居てくれたお陰で今の自分があることに感謝していた。そして亡くなった全てのご先祖様を敬い、偲ぶのがお彼岸であると学は信じていたからだった。そんなことを考えながら、学はみずきの待つ銀座8丁目に向かったのだ。そして学は約束の時間の15分ぐらい前に、みずきのお店『銀座クラブ SWEET』に入っていった。


倉田学:「こんばんは倉田です。美山さんから19時に、このお店に来るよう約束しているのですが…」

ゆき :「あら、おしぼりの倉田さんですね」


倉田学:「僕のこと覚えてたんですか?」

ゆき :「もちろんですよ。倉田さんみたいなひといないから」


倉田学:「そうかなぁ。僕、そんなに変わってるかなぁ?」

ゆき :「良い意味で、変わってるんですよ。ところで、倉田さんはみずきママに何のようなんですか?」


倉田学:「いやちょっと、相談したいことがあるみたいで…」

ゆき :「みずきママ、倉田さんのこと気に入ってるみたいだし」


倉田学:「そんなこと無いと思うけど…」

ゆき :「ちょっと待ってね、いま呼んでくるから。そこのカウンターの席に座って待っててください」


 こうして学はみずきが来るまで、カウンターの奥の方の席に腰を掛け座ったのだ。そしてしばらくすると、みずきがカウンターの奥の方から現れて次のような言葉を学に投げ掛けたのだった。


美山みずき:「こんばんは倉田さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」

倉田学:「ええぇ、まあぁ。美山さんもお元気そうで…」


美山みずき:「ところで先日話した、うちのお店ののぞみの件なんですけど。ちょっと手荒な方法ってどんなことをするのでしょうか?」

倉田学:「ちょっと驚かせて、その時の反応を確かめたいんです」


美山みずき:「乱暴なことでは無いんでしょうねぇ?」

倉田学:「もちろんです。僕はそんなことはしませんよ」


美山みずき:「では、わたしは何をしたらいいのでしょうか?」

倉田学:「そうですねぇ。僕を個室の部屋に案内して頂いて、そして僕はウイスキーのボトルを入れるので、のぞみさんにアイス(氷)を運ばせてください。念のため彼女のフォローにゆきさんとみさきさんを付けてくれませんか?」


美山みずき:「わかりました。今日は三人とも出勤しているので大丈夫です。ウイスキーは何をお持ち致しましょうか?」

倉田学:「すいません。僕はウイスキーを普段飲まないのでお任せします」


美山みずき:「わかりました。せっかくですから倉田さんに特別なウイスキーを用意しましょう。わたしの故郷の宮城県のウイスキー『シングルモルト宮城峽12年』をお出ししましょう」

倉田学:「わかりました。ありがとう御座います」


 こうしてみずきは他のフロアにいたのぞみを呼び止めに行き、学を個室の部屋に案内するよう指示したのであった。


のぞみ:「こんにちは倉田さん。こないだは、どうもありがとう御座いました」

倉田学:「どうも、僕は何かお礼を言われるようなことをしたかなぁ?」


のぞみ:「倉田さん。この間、お店をほっこりさせる、おしぼりペンギン観せてくれたから」

倉田学:「あぁー、あれね。僕は小さい頃からひとりで遊んでいたから、色んな物を友達にしているんです」


のぞみ:「倉田さんって面白いから、一回で顔と名前覚えちゃった。なかなかそんなお客さま、いないんですよ。わたし覚えるの得意じゃないから」

倉田学:「そうなんだ。なんか嬉しいなぁ」


のぞみ:「わたしに一回で覚えて貰えるの貴重なんだよ。こう見えても、わたしこのお店で結構人気あるんだからね」

倉田学:「僕も、のぞみさんに名前覚えられて光栄だなぁ」


 そんな会話をしながら二人は個室の部屋に入って行ったのだ。そしてすぐさま、ゆきとみさきも二人のいる個室に入ってきた。ゆきが、おしぼりを学に差し出しにっこり微笑んで、そしてみさきはグラスとウイスキーのボトルをテーブルの上に乗せ学にこう言ったのだ。


みさき:「こんばんは倉田さん。今日もおしぼりで何か作ってくれるんですか?」

倉田学:「そう言えばこないだペンギンしか作らなかったっけ」


みさき:「じゃあ、今度はウサギさん作ってくれませんか?」

ゆき :「倉田さん。わたしも観てみたーい」


のぞみ:「お客さまの倉田さんに、そんなことお願いしたら失礼でしょ!」

倉田学:「僕は構わないけど、アイス(氷)とお水が欲しいなぁ。のぞみさん」


のぞみ:「ごめんなさん、忘れてました。いま、お持ちしますね」


 そう言ってのぞみは個室を出て、キッチンのあるバック(バックヤード)へと取りに向かった。その間、学はおしぼりを広げて丁寧にたたんで行き、みるみるうちに可愛らしいウサギを作り上げたのだった。それを観ていたみさきとゆきはとても嬉しそうな表情を浮かべ、温かい空気がその個室全体に広がって行ったのだ。


 少しして、のぞみがアイス(氷)とお水を持って学の元に現れた。そしてテーブルにお水を置きアイス(氷)を置こうとした瞬間、学の肘がのぞみの持っているアイス(氷)の入ったアイスペールにぶつかり、のぞみはアイス(氷)をテーブル一面にぶちまけてしまったのだ。それを観たのぞみの表情は、みるみる青ざめ少し小刻みに震え出したのだった。そして、こころ此処にあらずといった状態でしゃがみ込んでしまったのだ。


倉田学:「のぞみさん、大丈夫ですか?」

のぞみ:「…………」


みさき:「のぞみさん、大丈夫?」

ゆき :「わたしママ呼んでくる」


 学はのぞみを観察しながら落ち着かせようと、まず最初に自分が悪かったことを伝え、のぞみに謝った。


倉田学:「すいませんのぞみさん、これは僕の不注意です。あなたは何も悪くありません。そして僕は怒っていないし、怪我をしたり服が汚れたりもしていません。悪いのは僕の方です、だから安心してください」


倉田学:「また僕は、このことであなたに嫌な思いをさせてしまったかも知れません。でも大丈夫です。身体の力を抜いて呼吸を整え、大きく深呼吸できるでしょうか?」


 そうこうしている間にものぞみの表情はどんどん雲行きが怪しくなり、みずきが慌てて部屋に飛び込んで来た。そしてこう言ったのだ。


美山みずき:「のぞみ大丈夫、しっかりして!」

倉田学:「のぞみさんを、別の静かになれる部屋に移動させてあげてください」


美山みずき:「わかったのぞみ。一度この部屋から出て、他の部屋に移動するからね」

のぞみ:「…………」


美山みずき:「さあ、立ち上がって移動しましょう」


 こうしてみずきとのぞみは、他の部屋へと移動して行ったのだった。


倉田学:「のぞみさんを、出来るだけひとりでそっとさせてあげてください」

美山みずき:「倉田さん、あなたに言われたくないわ」


 学は手荒な真似をしたつもりでは無かったが、のぞみには申し訳ないことをしてしまったとこころの中で思っていた。そしてしばらくしてみずきが戻って来たのだ。学はみずきにのぞみの様子を確認してみた。するとソファーに座り込み、ひとり泣きながらうつ向いて時折声を荒げて泣きじゃくっているとのことであった。


美山みずき:「ちょっと今から、倉田さんとふたりでお話したいの。みさきちゃんとゆきちゃんは、他のお客さまの相手をしてあげてちょうだい」

みさき:「はーい」

ゆき :「はーい」


 こうして二人は部屋を出て行ったのだ。


美山みずき:「倉田さん、説明して頂けませんか?」

倉田学:「すいません。まず、今回の件でのぞみさんに精神的ストレスを与えてしまったことをお詫びします。そして、手荒なまねはしないと約束したのに、結果的にのぞみさんに苦痛を与えてしまい申し訳ございません」


美山みずき:「それで、のぞみについて何かわかったんですか?」

倉田学:「何となくですが、今までの経験とのぞみさんの反応からわかりました」


美山みずき:「それを教えてくれませんか?」

倉田学:「これはあくまでも、わたしの今までの経験からの可能性ですが…。おそらく彼女は発達障害の可能性があるかも知れません」


倉田学:「彼女の今までの既往歴や生育歴も訊かないとはっきりしませんが、おそらく彼女独特の特性を持っているのではないでしょうか。例えば、あることに物凄くこだわりがあったり、その一方で他のひとより明らかに得手不得手がはっきりしていたり、また感覚過敏や感覚鈍麻といった症状など、どうでしょうか?」


美山みずき:「そうねぇ、わたしもその辺が気になったので倉田さんのところのカウンセリングルームに伺ったんです。そうそう、冗談が通じなくてお客さまにからかわれていたことがありましたよ」

倉田学:「それもひとつの特性です。心理テストなどもありますが、一回のテストでそのひとの全てを判断することはできません。一番大切なことは、本人や周りのひと達がそのひとの特性を理解し、本人が援助を必要とした場合のみサポートしてあげることです。周りのひと達の理解がとても重要で、温かく見守るといった姿勢でいてあげることだとわたしは思います」


美山みずき:「では、わたし達はいいとしても、彼女にどうやってこの事実を伝えたらいいのでしょうか、倉田さん?」

倉田学:「僕は臨床心理士では無いので心理テストは出来ません。また、心理テストをするにしても心理カウンセラーは診断は出来ません。おかしな話、心理テストをする資格のある臨床心理士でも診断は医師しか出来ないのです」


倉田学:「ですので、本人のこころの準備が出来ているのであれば心理テストを受けて、医師から何かしら診断名を頂く必要があります。医師とは診断名を付けるのがある意味仕事ですから」


美山みずき:「そうですか倉田さん。おすすめの精神科医とか居ますか?」

倉田学:「ちゃんと心理テストをして、的確な判断をくだして頂ける精神科医であれば、どなたでも良いのではないでしょうか」


美山みずき:「倉田さん、精神科医との繋がりはないのでしょうか?」

倉田学:「僕は診断をくだすひとでは無いので、そう言う繋がりはありません。僕が大切にしたいのは発達障害などの障害と診断された方を、これから先如何にして生きて行くのがいいか、生きがいを持てるような人生観を描けるようお手伝いさせて頂くことですから」

美山みずき:「そうですか、わかりました。この件はのぞみとじっくり時間を掛けて話したいと思います」


倉田学:「僕に何かお手伝いできることがありましたら、何時でも連絡してください」


 こうしてみずきとの『銀座クラブ SWEET』でのカウンセリングを学は終えたのだ。学はこころが少しホットしていた。何故ならのぞみの症状をある程度判断出来たからであった。それはのぞみに対し精神的な苦痛を与えてしまったのに、何も彼女の症状を掴めないでは済まされないと思っていたからだ。

 またクライエントに苦痛を与え時間とお金を頂くなど、学にとっては良心の呵責に苛まれるからであった。そして外に出ると、まん丸のお月様がさっきより更に大きく見え、とても晴れやかな心地を感じることが出来たのであった。

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