蹴鞠

 昔、都の外れに何とかの重方という男があった。蹴鞠の上手で公達に可愛がられもしたが、出世はせずに従五位の下という位で退職し、やもめ暮らしをしていた。

彼は幼時から鞠に精力を注いで、他の遊びには目もくれないような少年だった。成人後は恋もする世間並みの男となったが、気が付けば独身のまま老境に入っていたのだ。

隠退して十年ほどした六十五の時、彼はコウ(紅)という十歳の幼女を妻にした。ある年下の友が諸般の事情から世を捨てることとなり、懇請されて一人娘を貰ったのだ。重方はこの友とは蹴鞠だけの付き合いで、彼が自分を選んだのは属していた派閥が違ったからかも知れないと思った。やがて友は山に入り暫くして死んだ。憤死といって良かった。

友が本当は「養女にしてくれ」と言いたかったのではと重方は考えたが、妻を娶ることに興を催され黙っていたのである。彼は五十を過ぎてから房事に縁がなかったが、このときに自分がまだ男であることを自覚した。

当初、コウは幼い顔に悲壮な色を浮かべ、貰われた子猫のように固くなっていたが、家中の温かさに打ち解けてくると、今度は妻らしくというのか健気な振る舞いに変わった。

母は既に無く父にも捨てられ、この子は心に傷を負っているに違いない。それを何とか癒してやりたいが、それには父親として接するのが妥当だろうと彼は考えた。戯れに抱き上げて頬擦りしても、コウに嗅ぐのはまだ干し杏子に似た子供の匂いなのだ。


コウが来て暮らしに新鮮な風が通い、彼はささいなことにも心が動くようになった。億劫だった起居も却って楽しみとなり、一日一日がくっきりと感じられ、それまでの沈滞した気分が嘘のようであった。

彼は何年かぶりに鞠を持ち出して蹴ってみた。鞠は難なく蹴上げられたが、高さはやっと軒に届く位で、それも蹴り続けてから二十回ほどで落としてしまった。

「これはどうしたことだ、情けないぞ」と彼は呟いた。

七十を前にしても、彼にはまだ鞠に自信があった。記憶では最後の鞠会でさえ百回は蹴っているし、何年か前までは技の復習も続けていたのだ。

彼はその日から鞠を蹴るのを日課とした。渋々だが足腰の衰えを認め、コウが蘇えらせた生気に相応しい肉体が欲しくなったのである。

始めると間もなく効果が表れた。日毎に足捌きが安定して姿勢が良くなり、持久力も少しずつ増すような気がした。体は昔の鍛錬を覚えていたらしい。

彼はコウがいつも熱心に見ているので、冗談半分に、

「コウ、お前もやってみるか?」と言ってみた。

するとすぐに、

「はいっ、教えていただきとうござります」と答えたので少し慌てた。

 まさか女の分際でと彼も考えたが、まだ好奇心いっぱいの子供なのだ。コウが楽しく遊べるかやらせてみようと思った。

彼は自分の指貫と鞠沓を履かせてみた。髪を束ねて鞠足姿になったコウを前にして、その凛とした姿に感嘆した。なんとかわゆく心ときめかす子であろう。

発作的にコウを抱きしめ、彼は思いがけず股間が固くなるのを覚えたが、それは愛しさの発露に過ぎなかった。

彼はコウを一回りさせて検分し、それから共に庭へ下りた。

「どうだ、動いてみよ。どんな具合か?」

彼が訊くのに、コウは鞠を蹴る仕草をして見せると、

「大丈夫のようでござります」と目を輝かせた。

 案の定乳母が、女の業ではないと反対したが、

「なあに、すぐに飽きてしまうだろうさ」と彼は笑って答えた。

 鞠は鹿皮一枚の中空で軽いが、自在に蹴るには習練が要る。本格の修業は摺り足の習得からだが、コウもそれでは楽しくないだろうと、木の枝から鞠を紐で吊り下げて稽古台とした。

「良いか、足の親指のここで蹴るのじゃ。まずは真っ直ぐ行くようになるまでやってみよ」

コウは三日目には慣れて、七割ほどは左右に逸れずに蹴ることが出来た。彼は褒めたが、「釣鞠三年」というからまだ序の口にも至らないのだ。

コウは飽きずに習得に精を出した。釣り鞠は摺り足で垂直に低く、ついで高く、それから低く前方へ蹴るのである。

七日ほどして、彼が鞠のやり取りを試すと、時には十回も続いたので驚いたが、鞠の勢いや方向への危なげな様子は微笑を誘った。

蹴鞠には蹴り方やその姿勢、鞠の軌道の美しさなど作法上の様々な決まりがあるが、楽しそうに目を輝かせているコウを見ていると、彼にはそれもどうでも良いことに思われた。使用人たちは物見高く注視していたが、コウの蹴る鞠がうまく上がるたびに歓声を立てて喜んだ。


それから三年の時が過ぎ、コウに初潮が見られたと乳母が知らせてきた。ふっくりした体がなだらかになり、胸のふくらむにつれ背も伸びたと重方も思っていたが、内なる成熟も同時に進んでいたらしい。

そういう日の来るのを承知していたが、彼は年甲斐もなく胸が躍るのを覚えた。初対面の予想通りに美しく成長し、蕾を開き始めたのである。

いつもと変わらぬコウの様子に、彼はどこか違いがあるのではと眺めたが見つからず、却って自分の動揺が分かって照れ臭かった。

心身ともに彼の妻となったコウだが、自分に起きた変化を理解するのは難しく、まだ乳母が頼りというようだった。乳母によれば、やっとしかるべき地位に就いたのである。

彼は四六時中コウを傍に置きたがった。

「コウ、此処へおいで」

 人目の遠ざかるのが分かるとそう言って呼ぶ。彼は自分を怪しむほどコウに魅せられていた。

木斛の若葉が赤みを帯びて光り、やがて深い緑に変わるのを予想させるように、彼にはコウの美しさが日一日と増していくように思われた。

 二人は朝のうち半時ほど鞠を蹴ると、午後は屋内でそれぞれに過ごすのだが、コウが乳母たちと翫香を遊ぶ時など、彼は目の届く所で物語を読みつつ横目に見ている。

開こうとする蕾のようなコウは、彼には不老長寿の霊薬に等しく、沈香と微かに獣の匂いを纏った肢体を抱くと、生き返るような快感に震えるのであった。


何事もなく二年の歳月が流れた。コウはやがて十六、重方は古希を超えたが心身に不調はなく、子が出来ないのも自分の齢のせいとは考えなかった。

その正月、大宰府に赴任していた従弟の吉久が帰京するという知らせがあった。吉久が西下したのは十年前のことで、妻子を伴ってのことであったが、その後の消息は彼の知るところではなかった。

桜がほころび始めた頃、吉久が息子の周久を連れて訪ねてきた。彼は吉久がどんな具合に齢を取ったか気になったが、十歳余も若い従弟が自分と同じ年恰好に思えて嬉しかった。だが眩しいほど若い周久と並んでは、吉久の分が悪いのは仕方なかった。

「実はお願いしたきことが・・」と挨拶が済んで雑談に入ると吉久がそう切り出した。

間もなく自分は退職するが、周久がこの春から蔵人所に勤務することになった。今も内裏では蹴鞠が盛んだと聞いている。ついては周久に指南をというのであった。

重方は内裏での日々を回想し、少し苦みのある胸の痛みを感じた。己は一心に蹴鞠に打ち込み、その第一人者たる自負を生きる支えとしてきたが、それも今では老いに抗う手段に過ぎないのだ。

 彼は弟子を取ることがなかったが、それは束縛を嫌う狷介な性質から、そうした関係が煩わしいからであった。だが初対面に近い周久に逢って、奇妙にも若さへの羨みとともに好ましさも感じていた。それで、

「さて、そんなことができようか?この通り老いぼれてしもうたでなあ」と答えたのである。

 すると吉久は大仰に手を振り、

「何を申されます。御身の堅固なご様子は一目瞭然、まだまだ若い者に後れは取りますまい」と笑いながら言ったが、それはコウを念頭に置いてのことだろう。

追従口を利く吉久から少し下がって座った周久は、それが耳に入らなかったように、黙って膝に視線を落としていたが、

「お前からもお願いしなさい」

 と吉久に促されると、

「どうかお手ほどき下さりますよう・・・・」

と不器用そうに手をつき、もごもごと口を動かした。

「これはほんに口下手で・・・・」

 吉久がそう言って苦笑いする傍で、周久は顎を胸に押し付けるようにして俯いている。

「幾つになられたのでしたかな?」と重方が訊くと、

「この春で十七になりましたが、田舎暮らしのせいか引っ込み性で案じております」と吉久は息子を横目に答えた。


周久はその後すぐに重方の元へ通い出したが、役所へ行くのが本来なので週に三日、午後の一時半ほどの稽古となった。

彼は弟子に十日の間、ひたすら摺り足を右左右と三拍子に踏むことを命じた。コウの場合は楽しむだけで良いが、周久の鞠はいずれ衆目の評価が避けられぬ。摺り足は優雅な所作を身に付ける大事な習練なのだ。

周久は「おう、あり、やあ」と声を出して摺り足稽古を続け、漸く「釣鞠」が許されて鞠を蹴ることが出来た。彼は黙って見守るだけだが、兄弟子という格好をするコウが可笑しかった。

緊張が解れてきたのか、周久は兄のようにコウと接し始めたが、彼に畏まる態度は変わらなかった。

休息時はコウと打ち解ける周久が、稽古では一番弟子に服従するような様子を見ていると、重方はほほえましさと微かな嫉妬を感じてしまう。いっそ周久がコウの実兄であれば、二人の親密さに気を揉むこともないであろうに。

卯月も半ばになると木々は益々緑を濃くし、体を動かすと汗ばむような日々となる。稽古が済むと男たちは体を拭き、冷たい井戸水で喉を潤すが、コウが奥で着替えて戻る頃には周久の姿はなかった。彼は伯父の生活に深入りせぬと決めているようだった。

コウは重方の元へ来て六年、ほとんどを屋敷の中に過ごしてきたが、周久の出現により外への関心が生じているらしかった。

周久は弥生の初めから蔵人所に雑色見習いとして出仕していた。蔵人所は主上に近侍し、宮中の儀式から雑事までを司る役所で、殿上人や女官など貴人にも仕えたので、職員の見聞はしばしば世間の噂の種となった。その多くは人事に関するものだが、時には宮中で飼う犬や猫のこともあった。

周久はコウに色々と訊かれるので、普段からそれとなく噂話には耳を傾けていた。だがコウの娘らしい興味は、どういう人がどんな服装で髪型は、と説明できないことばかりでしどろもどろになった。重方はそれを聞きながら、コウは内裏をどんな処と想像しているのだろうと思う。

それからひと月ほどは好天に恵まれ、屋敷内は蹴鞠の請声や談笑の賑やかさに満たされたが、やがて梅雨の季節がやってきた。雨はきれぎれにひと月余りも降り続いた。

時折周久が顔を見せたが、稽古が出来ないので早々に帰って行った。稽古には汚れに強い燻鞠を使うが、やはり湿気には弱いので濡れた庭には使いにくい。それに富家でもない重方が粗末に扱えるほど鞠は安価でなかった。

梅雨が明けると暑い日が戻ってきた。日が落ちても風のない夜は蒸し暑さに眠気が失せ、重方はコウと遅くまで庭を前に座っていることが増えた。梅雨のさなかに現れた蛍がまだ飛んでいて、それを眺めながら瓜を味わったりするのである。

蚊やりを焚いて板敷の縁に座り、彼は灯台の光に浮かぶ妻の瑞々しい娘ぶりを賞玩する。自分の齢などは気にしないが、コウがまだ十六なのは忘れようがなかった。

「どうかなさいましたか?」と視線を感じてコウが訊く。

「いや何でもない。それにしても風が吹かぬ」

彼は意味もなく暗い夜空を見上げながら呟く。


水無月も末の午後のことであった。稽古の後、井戸端で汗を拭いながら周久が思いがけない噂を重方に伝えた。

「中納言殿の昔の文が現れたとかで、出所を調べているらしいのですが、伯父上のお名も取りざたされておるとか・・・」

なぜ自分の名が人の口に上るのか、彼にはまるで見当がつかなかったが、知る限りを話すように周久を促した。

周久は同輩からの又聞きであると断って、

「さる文章博士に文を渡したのが此方の端女だ、という噂があるというのです」と答えたがそれ以上は知らないらしい。

その夜、使用人頭を呼んで訊いたところ、コウの乳母に仕える下女がいないと分かった。

重方はいやな予感がしたが、ひとまず乳母を密かに呼んだ。乳母は少し緊張している様子であったが、

「お呼びでござりますか?」と普段通りに畏まった。

 彼はまさかと思いながら、

「そなたの下女が見えぬそうだが、何か重要な文が持ち出されたというようなことはあるまいな?」と尋ねた。

すると乳母は驚いて腰を浮かせ、

「すぐに確かめて参ります」と言って出て行った。

ほどなく戻った乳母は蒼白な顔で床に手を突き、

「大事な文がどこにも見当たりませぬ。なぜこのようなことが・・・」と声を震わせると、訴えるように彼の顔を見つめた。

乳母の狼狽を見ると、失われた文が特別なものらしいと分かった。だがそれがあの噂のものだとするなら、そこにはどんな事情があるのか?

乳母は噂を知らなかったらしく、重方の話を聞くとひどく驚き、額を床に擦り付けると、大変なことを仕出かしましたと呻いた。

彼は平穏な暮らしに不安が差すのを感じたが、今さら文の由来を聞き出さぬわけにはいかなかった。乳母は彼の声に顔を上げると目を潤ませながら、心を決めたように話し始めた。それは次の様であった。

 中納言が内舎人だった若い頃、下級の女官と関係ができたが、相手が別の男と結婚してしまったので、心を残しながらも諦めたらしい。ところが暫くして女の懐妊を知ると、それは自分の子だからと親子を引き取ろうとした。だが高貴の家の嫡男でまだ若輩だったから、親族らの強硬な反対に逆らえず、その苦衷を文にして訴えることで何とか思い切った。女は女児を産んだ後の病中にあって、万一の場合に子供を護る切札として、乳母にその文を託したのであった。

秘匿を謝罪する乳母の声は彼の耳には届かなかった。彼の頭は事実の意外さに混乱していた。

二人はしばらく無言であった。乳母は重方の言葉を待っているように身を傾けてその顔を見ていた。

「コウは・・・知るまいな?」と重方は漸くそう尋ねた。

「はい。奥方様と私の約束でござりました。それに姫様は赤子でおられましたから・・」

乳母は張り詰めた表情を変えなかった。

「大尉殿はすべて承知であったろうな?」

憤死した友の心中はどのようなものだったか。

「噂はご存じだった筈ですが、文については何も仰せには・・」

あの男は妻の昔の恋人に奪われぬよう、コウを自分に呉れたのかも知れないと彼は思った。だがその配慮もこの先どうなるものか。


重方は眠られぬまま朝を迎えた。事の成り行きを当てもなく考え続けていたのだ。そして五里霧中でもコウに黙ってはいられないと思った。

コウは彼と乳母の話が終わっても無言で、それがどうしたというように落ち着いている。

二人とも中納言が実父だとは言わなかったが、母親の文への対応から察せられる筈である。コウは事態を呑み込めていないらしい、と彼は思った。それで、

「お前は母上の残した文が気にならぬのか?」と訊いた。

「赤子の時のことを考えても仕方がないと思うのでござります。その文は本当に中納言様のものだったのでしょうか?」

コウがはきとそう答えるのを聞くと、まだ日々大人びつつあると分かって、彼は複雑な気持だった。

「それはそうだが、先々への心構えもしておかねば・・・」

「何があろうと、私は此処を動かぬ積りでござります」

コウの自慢そうな顔に苦笑しながら、重方はその健気な姿がかけがえのないことを痛感していた。

屋敷では皆に事態を知らせたからか、盛んに言葉は飛び交ったもののやがてそれも下火になった。

周久は変わらず通ってきたが、噂には進展がないらしかった。周久も落ち着かぬ気分らしいと重方は感じていた。一人コウだけが平気なように見えた。

文月がすぐにやってきた。朝、庭に出た重方とコウは葛の花を見つけた。垣に絡んだ葉の陰で、花穂が元の方から紅色を帯び始めている。

「夏も終わりなのですね」とコウが呟くのを彼は黙って聞いた。


何となく重苦しい日が続いた。稽古中は請声を発するだけなので、休息時の雑談が楽しみなのだが、それも以前のようには弾まなかった。噂は下火だがそれで一件落着となるか分からず、誰もが漠たる不安を抱えていた。そんな時コウが周久に話をせがむのは、少しでも場を明るくしたいからと思われた。


事態が動き出したのは月の半ばで、その日の昼近くに中納言の近習だという者がやってきたのである。その使者の持参した文には、「話したきことある故、御出で願う」とあった。

重方は落ち着かぬ気持ちでいた半月余の間、色々な成り行きを思い巡らせたが、中納言の招喚も危惧した一つであった。彼は「何事もなく過ぎ去る」という望みがはかなく消えたのを知った。

明くる日彼は供一人を連れて屋敷を出た。行先は中納言の私邸である。平服で良いというので、白の水干に袴、烏帽子というよそおいである。秋とはいえまだ日差しが強く蝉の声が姦しかった。

邸は築地を巡らせた敷地に、寺院の如き高い屋根を連ねた壮麗なものであった。東門を入ると侍所で近習が待っており、彼を廂の間に導いた。そこは戸外の暑さを忘れる涼しさで、微かに香の匂いが漂っていた。

ややあって簾の向こうに人影が映じたので、重方は頭を下げて畏まった。

「良く来てくれた。話は其方の元にあったという文のことだが、余の筆に間違いはない。つまり其方の女が我が娘というわけじゃ」

 影の主は厳かにそう言った。重方は返答など許されぬと承知していたので、「はっ」と息を吐くようにして拝承を示した。

すぐに簾の中からまた言葉が発せられた。

「名をコウと申すとか、ぜひとも逢って見たい。車を差し向けるゆえ、娘に乳母を同道させよ」

その声は柔らかながら、有無を言わさぬ響きがあった。

平身低頭していた彼は近習に促され庭へ出た。蜩の声が繁くしていた。道に立つと熱気と騒めきが全身を包んだが、彼は胸の圧迫の他は何も感じなかった。

事態は怖れた方へ動いてきたが、その帰結は己に分かるはずがない。だがコウは中納言殿の子であるらしい。それでも己の妻でいられるのか?

重方は掌中の珠を失うことを恐れたが、全てが中納言の意思に懸かっており、それに従うより道はなかった。逆らえば力で抑え込まれ、命に係わることさえ起こり得るのだ。

彼は歩きながら無念さを噛みしめていた。怒りと悲しみが胸を締め付けた。だが屋敷に着いた時、彼の心は決まっていた。

コウは重方の顔を見ても何も言わなかった。その表情から何か不安の影を読み取ったらしい。

「文は中納言殿のものであった。・・・・お前は、・・御子ということに・・・。後日、車でお迎えに参るということじゃ。承知しておいてくれ」

彼は自分の覚悟を冷静に確かめようとしていた。今や成り行きに任せるしかなかった。

「私はいやでござります。このままどこへも参りませぬ」

コウが頬を紅潮させているのを見ると、彼は胸が一杯で言葉に詰まった。それでも承知させねばならぬ。

重方は諄々と説いた。中納言の命に従うしか道はなく、逆らっても力で捩じ伏せられ、結果はもっと悪くなること、実の父に逢うのだからと、彼は懸命に翻意させようとしたが、コウは頑として聞かなかった。涙が鼻水となって流れ落ちるのを見ると、重方はコウの頭を胸に抱きしめるしかなかった。

翌日は鰯雲が広がり暑さもやや衰えてきた。周久が来ないので、重方とコウは言葉少なく対座していた。コウの表情が硬いのを彼は悲しく見つめた。

その時どこからか一匹の蝶が現れると、まるで黄色い花弁のようにふわりと重方の膝に留まった。それを見るとコウの顔にも微笑が浮かんだ。蝶が翅を開くと、菜の花が咲いたように日に輝いた。この世ならぬ美しさだ、と彼は思った。蝶は翅をゆっくりと開閉していたが、やがて舞い上がり空中を漂いながら消えて行った。

重方は蝶の行方をぼんやりと追いながら、平凡な日常の貴重なことを思った。そしてコウとの六年間に思いを巡らせた。初めは父に接する如く、それから妻として慕ってくれたコウ。思えば己には贅沢過ぎる時間であった。それが終わろうとしている。

「どんなことになっても、お前は大丈夫だ。己はコウに感謝している。それを忘れないでくれ」

言いながら重方は初めてコウを遠くに感じた。コウのこれからの長い人生を考えれば、この六年などほんのひとときである。

「何を仰せになられます、コウは此処を動かぬと申しておりますのに」

コウの頑なさは変わらないが、感ずるところがあったらしく涙が瞳を濡らしているのが分かった。

重方が中納言邸へ参上した三日後、牛車がコウを迎えに来た。白く大きな檳榔毛の車で、牛飼いと供の者二人、護衛に検非違使の下級役人が二人という物々しさである。

その日は早朝からコウの支度で大騒ぎだった。重方は乳母が下女を励まして小袿を着せる傍で、泣き叫ぶコウを宥めようと、また逢えるのだからと虚しく言っていた。彼は子供のように感情を弾けさせるコウが愛おしくてならなかった。

門が狭く中へ入れない車の後部に莚が敷かれ、その上に中年の女房が待っていたが、乳母や下女らが無理やりコウを連れてくると慌てて近づいた。コウはまだ「いやです、離して」と叫ぶのを止めなかったが、女たちは力ずくでコウを車の中へ入れてしまった。

門前で牛車を見物していた人々は、コウが乗せられると大きくどよめいた。周久もそこにいたが、車が行ってしまうと屋敷には入らず群衆の中に姿を消した。


 重方は気抜けて暮らしつつ、何か便りがある筈だと思っていたが、五日後に中納言の近習がやってきた。

「娘はまだ若年なので、禁中に出仕して修業させるつもりである。よって其方に帰すわけにはいかぬ。今までのことには感謝している。厚く礼を申す」というのが使者の口上であった。

予想されたとはいえ痛手は深く、彼は抜け殻のように端座して視線を宙に迷わせていた。膝先には近習が置いて行った綾と絹の小山が、まるでコウの代わりのようにそこにあった。

それから七日後には葉月となった。まだ暑さは残っていたが、朝晩の虫の音と末期の蝉の声は秋のものである。重方は中納言の口上を聞いて以来、床を離れる気力をなくしていたが、三日前に起きられるようになった。彼はその間ろくに食事を摂らなかったので頬の肉を落とした。それに烏帽子から出ている髪も白さを増した。

午後になって周久が久方ぶりにやってきた。彼は無沙汰を詫びたが口調はいつも通りで、持ってきた丸茄子の籠を重方の座る縁に置いた。深い紺色が濡れているように光った。

「やあ、良い茄子だ」

重方は久しぶりに心から声が出たと思った。そして胸の苦しさが少し減るのを感じた。

周久は一人で日課に取り組んだ後、コウの噂を伝えてから帰って行った。

それによると、コウは邸内に軟禁されているらしい。重方はコウの抗う声を想像してやるせなかった。

夕方になって雨が来た。俄雨だろうと重方はそのまま縁に座っていたが、やがて雷鳴を伴う本降りになった。闇に包まれた庭に目をやりながら、彼は雷を恐れたコウを抱いてやったのを思い出していた。

翌日は雨が上がり清々しく明けた。庭に出た重方は湿った土の上に蜩の死骸を発見した。その翡翠色に透ける翅はこの上ない美しさであった。彼はそこに幻を見た。そしてがらんどうの胸を無常の風が吹き抜けるのを感じた。

彼は鞠を蹴ることもなく、終日縁に座し庭をぼんやり眺めて日を送っていた。周久が時々来たが、新たな噂はなかった。

ある夜、重方は目覚めて虫時雨を聞いた。蟋蟀や鈴虫、それに草雲雀も鉦叩も声を合わせ、おいでおいでと鳴いていた。彼はそれを聞きながら昇天したのであった。

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