夢境のつづき⑹

「なんだよー、せっかく名披露目なびろめすんのに親来ねーの?」


 週明けの月曜日。帰りの支度をする僕の前で、苗木が驚いた声をあげた。

 まず、その言葉にぴくりと反応したのだけど、いつもの調子だとスルーするつもりだった。


「あら、梵くんたら。いつの間に結婚することになったのかしら」


 わざとらしく綺原さんがツッコむと、「ええっ、直江結婚すんのか⁈」と想像通りの返しが来る。この二人のペースにはついて行けない。


「……苗木が言いたいのは、お披露目だろ。名披露目は結婚式の引き出物の一種だよ」

「ああ、そうか。わりぃな」


 雑談を交えながら廊下へ出て、中央玄関でじゃあと手を振り家路に着く。駅までの道のりで両サイドに違和感を覚えながら。

 自転車を押しながら隣に並ぶ苗木と、当たり前のような顔をして付いてくる綺原さん。


「あのさ、二人とも……どうしたの? 帰りこっちじゃないよね?」


 今日はこっちに用があるから気にするなと言って、彼らは同じ電車へ乗車した。僕の家の最寄り駅で降車すると、影のようにくっついて来る。

 不自然と言うか、あきらかに付いてきているのだ。


「……絶対、尾行してるよね? なに、ほんとどうしたの?」


 自宅前まで来たところで、もう一度尋ねた。動揺する苗木をよそに、綺原さんが僕らの手を引き、隣に構える歯科医院のドアを開ける。


「えっ、ちょっと綺原さん?」


 受付を通り過ぎて、治療中の診療室へと進む。呼び止められる声にも振り向かないで、ただされるがまま。


「……梵? あなた、何をして……」


 器具を運ぶ母が、目を丸くして僕を見ている。その横を通過して、真正面にある院長室へ向かう。

 それはダメだ。声を上げるより早く、綺原さんのこぶしがドアをノックしていた。


 ここへ足を踏み入れたのは、小学生以来だろうか。

 ツンと鼻を刺激する薬品の匂い。白衣姿の父が、遠い記憶と重なって懐かしく感じた。


「誰だ、君たちは。診療中になんの用だ」


 院長の椅子に深く腰を下ろしながら、パソコンに何か打ち込んでいる。視線は手元のカルテにあって、こちらを見ようとしない。

 心臓が尋常じゃないほど音を立てて、何が起こっているのか、正直自分自身も理解出来ていなかった。


「梵さんのクラスメイトの綺原と言います」

「あっ、苗木です」


 軽く頭を下げた二人は、構わず仕事を続ける父へもう一歩近づく。


「来週のゆめみ祭へ来て頂きたくて、案内を持って来ました」


 積まれたカルテの隣に、綺原さんがゆめみ祭のチラシを置いた。ミニコンサートと書かれた横に、日時とピアノの絵、さらに僕の名前が記されている。


「直江、学校でもすごいんですよ! ピアノも出来るなんて知らなくて、それも大トリ……」

「ろくに弾きもしていない梵が、ピアノ演奏? 馬鹿馬鹿しい。そんなことを言うために、わざわざ仕事の邪魔をしに来たのかね」


 苗木に被せた父が、ため息を吐く。君たちの頭には、常識と言う言葉がないのかと。


「ご迷惑なのは承知の上です。こうでもしないと、耳を貸して頂けないと思ったので」


 綺原さんの声に、父はふんとした態度をする。


「梵さんは、ゆめみ祭を成功させるため毎日練習しています。どうか」

「……ここは、患者様の苦しみを和らげる場所なんだ。ましてや院長室には、個人情報もたくさんおいてある。関係のない人間は出て行ってくれ」


 あまりにも冷淡で一方的な口調に、思わず体が前へ出た。


「……父さん!」

「帰ってくれ。君たちと話すことは何もない。それから二度と梵に関わらないで頂きたい。非常識な人間と連んでいても、梵のためにならん」


 堪えていた何かが、僕の中でプツンと切れた。それは細い糸のようで、太い綱のようにも感じられる。


「……父さん、今のは訂正して下さい」


「なんだと?」

「誰が……非常識なんだ。僕のために、お願いに来てくれた二人に、謝ってよ!」


 父に対して声を荒ぶらせたのは、初めてだった。

 反抗すらしたことのなかった息子が、感情を露わにして歯向かった。その事実だけが、父の内側に刻み込まれたのだろう。

 幻覚でも見たような目をしてから、静かに瞼を閉じて厳格な表情を取り戻す。


「それが親に対する態度か。よく頭を冷やして考えるんだな」


 気付いたら、二人の腕を掴んで歯科医院を出ていた。

 建物が見えなくなった角の先で、もつれそうな足が止まる。ごめんとだけつぶやく僕の隣で、苗木が肩をポンとした。


「私の方こそ、ごめんなさい。良かれと思ってしたのだけど、裏目に出てしまったわ」


 綺原さんの声色も、少し曇っている。

 許せなかった。何も知らないくせして、一方的に否定する父と、ただ突っ立っているだけで何も出来なかった自分自身に腹が立った。

 力の入った背中がパシンと叩かれ、張り詰めていた気がふっと解ける。


「直江も綺原も気にすんなって。まあ、あれだ。生きてりゃこうゆうこともあるさ」


 あっけらかんとして、苗木がははっと笑う。まるで人ごとのようだ。さっき自分が全否定されたというのに、関係ないみたいな態度。

 僕はそんな前向きには、なれない。自然と頭が俯いていく。


「たしかに苗木の言う通りね。起きてしまったことは変えられない。これからどうするべきか、よね」


 地面に向いていた顔を上げると、二人の笑顔が飛び込んで来た。ぱらつき出した雨に紛れて、唇をぐっと噛み締める。

 この二人と友達になれて、僕は幸せ者だ。

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