夢境のつづき⑺
その日の夜は、苗木の家へ泊まることになった。啖呵を切って飛び出したのだから、ようようと家へ戻ることは出来ない。父の言う頭を冷やせとは、そういうことだ。
小さなアパートの一室に、投げ出されたままのランドセル。散らかった教科書を拾いつつ、手慣れた手つきで苗木が空の菓子袋をゴミ箱へ投げ入れる。
「こら、おまえら! 何回言ったら片付けんだよ。出したらしまう、食った袋は捨てる!」
腹に響くような声を聞いてなのか、開いたクローゼットの奥から、三人の子どもが顔を覗かせた。小学校低学年くらいの男の子と女の子、それから高学年くらいの男の子。
「
わっと駆け寄ってきて、あっという間に苗木を取り囲む。そのみっつの頭をリズムよくポンポンと撫でて、ただいまと笑った。
苗木の家は母子家庭で、母親が遅くまで働きに出ているため、苗木が父親代わりをしているらしい。
冷凍ご飯を解凍して、手際良くボウルで卵をとく。ソーセージとキャベツを加えて、チャーハンを作ってくれた。
あとは昨日の残りだというコロッケが食卓に並ぶ。
「こんなのしかねぇけど、直江も食えよ。腹減ってるだろ」
「ありがとう」
「もうお腹ペコペコだよー」
「あっ、おまえら! いただきますしてからだぞ」
注意された弟たちは、ぶうと頬を膨らませつつも、みんなで手を合わせてから箸を取った。
見た目こそチャラついてはいるけど、しっかりしている。
感心していると、「冷めねぇうちに早く食えよ」と促された。
頷いて口にしたチャーハンは、温かくて優しい味がした。
「なあなあ、そよぎ兄ちゃん。そよぎ兄ちゃんは、家族いないの?」
布団を敷く苗木の横で、うつ伏せになった低学年の弟が僕に訪ねた。
足をバタバタさせているし、子どもの言うことだからあまり深い意味はないのだろう。それでも、肺がずしりと重くなる。
「……どうして?」
「だってさ、今日は僕ん家で寝るんでしょ? なんで? 家ないの? 迷子になったから?」
目をキラキラと輝かせて答えを待っている。
なんでも知りたがって、父に質問ばかりしていた頃を思い出す。幼稚園くらいの時は、まだ何も考えず無邪気に話していた。
いつから、自分を閉じ込めて優等生を演じることに徹して来たのだろう。
「おーい、変なことばっか聞いてないで早く寝ろよ」
放られた掛け布団が弟たちの頭を覆い、笑い声が響く。ゴロゴロと転がって、巻き付いた布団を苗木がぐるんと引っ剥がした。
僕のズボンをぐいっと引っ張る弟。みんなのはしゃぐ声を聞いて、胸の奥が熱くなる。
「家族も、家もあるよ。お父さんと喧嘩しちゃったんだ。そしたら、大兄ちゃんが泊まっていいよって言ってくれたから」
真剣に聞いていないのか、弟はズボンのひもをぷらぷら揺らしながら。
「なーんだ。じゃあ、仲直りしたら帰っちゃうんだ。つまんないのー」
膨れた頬をブッと鳴らして、また笑う。その顔が可愛らしくて、自然と素直になれた。
「また遊びに来ていいかな?」
「来て来てー! わたし、そよぎお兄さん大好き」
不意打ちで妹に抱きつかれて、思わず固まってしまう。
あまり小さな子と接する機会がないから、反応に戸惑っていると、横から刺々しい視線を感じた。
「直江、言っとくが妹はやらんからな」
「おかしいおかしい! 目がマジになってる」
弟妹を寝かせたあと。布団の端で横になっている苗木が、起きてるかと僕に声を掛けた。
起きてるよと返事をすると、また小さな声が落とされる。
「俺ん家ってさ、裕福じゃないくせに兄弟多くて、アイツらに付き合わされてうるさかっただろ?」
「そんなことないよ。賑やかだし、大変そうだけどいいなぁって」
「これが毎日だと、ストレス溜まるぜ?」
「……たしかに。苗木はすごいよ。僕には……無理だろうな」
昔から兄弟に憧れがあった。何をするにも独りぼっちで、寂しい思いをして来たから。
みんなで温かいご飯を食べて、笑い合えることに
ーーでも。
「しょーじき、直江が羨ましいなーって思うこともあった」
それは氷山の一角に過ぎないのだと、思い知った。
「人それぞれ、悩みもいろいろ。俺はこの家が大事だし、頑張ってる母ちゃんや出てった父ちゃんに恨みはない。どんなけ文句言ったって、結局この家が好きなんだわ」
「……うん」
自分に言い聞かせるように、苗木は天井を見つめながらしみじみと話した。
こうして川の字になって眠ったことが、僕にもあった。遠い記憶の中の僕は、母に抱かれながら幸せそうにしている。
一人だった分、両親の愛情は全て自分に注がれていたこと。薄れゆく昔が、
「明日は、ちゃんと親と話すよ。いろいろありがとう」
「……おう、頑張れよ」
誰かと背中を合わせて眠る夜は、どこか懐かしくて温かい。
久しぶりに幼い頃の夢を見た。父と母に見守られながらピアノを弾く僕は、とびきりの笑顔を浮かべていた。
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