2. もうひとつの影
もうひとつの影⑴
月曜日の朝。いつもより早く家を出て、校門の前で登校して来る生徒を迎える。
挨拶向上習慣としての生徒会挨拶活動が、今日から一週間行われるのだ。もちろん、この作業も二度目。
変わらない挨拶を交わして、見送る。
こうした同じように感じる毎日でも、時間が戻る前と違う言動をすることによって、些細な変化をもたらしている。
「会長、さっきから手に持ってる棒切れなんですか?」
不思議そうにしながら、副生徒会長が首を傾げた。
「これから役立つんだ」
「そんな小枝が?」
例えば、もうしばらくすると、隣に立っている副生徒会長の肩に毛虫が落ちて来る。
彼女は虫が苦手のため、泣きながらそこら中を走り回って、登校中の生徒と衝突。膝を擦りむく怪我をして、大騒ぎしていた記憶がある。
木から鳥が飛びたった拍子に、毛虫が落下した。肩に着地するタイミングで、枝でキャッチする。
こうして、副生徒会長が怪我をするはずだった未来はなくなったというわけだ。
そのうちに
「よう、直江。朝っぱらから、お疲れさん」
「おはよう。あのさ、苗木。放課後だけど、今日は早く帰った方がいい」
「なんでだよ? それに、学校来てもう帰りの話か?」
「いいから、出来るだけ早く。絶対その方がいいと思う」
真顔で言い続ける僕を見て、苗木は小さく
「わけ分かんねぇけど、分かったよ」
首を傾げながら、苗木は校舎へ入って行く。
よしと心の中でひと息ついて、僕は挨拶活動を再開させた。
「少女漫画の見過ぎだな」
「あら、失礼ね。昨日ドラマで見たのよ」
「それにしても、君とは出会う運命だったなんてくそイタイこと、千円貰ったって誰も言わねぇぞ?」
「じゃあ五千円なら?」
「それは、ちょっと時間くれ」
「あなたって、想像通り単純な男よね」
前に座る綺原さんと
気が合うのか合わないのか、ふたりはこうしてよく意見のぶつかり合いをする。
この会話も、なんとなく覚えがある。
聞こえない振りをして席を立とうとすると、決まって彼らは振り返るんだ。
「なあ、直江はどう思うよ?」
「ええ、どうって……?」
「初恋って、叶わないモノでしょう? だから、それくらい夢見ようとしてるのに」
「叶うことも……あるだろう!」
「死ぬまでに言われてみたい台詞を馬鹿にしてくるの。苗木って、デリカシーないと思わない?」
離れかけた椅子に腰を下ろして、苦笑するしかない。
僕がどっち付かずな態度を取ると知っているのに、今度こそはと彼らは同意を求めてくる。
一度目はなんと答えたか、忘れてしまった。
「なかなか言えるもんではないけど、世の中にはいるんじゃないかな。七六億人もいるわけだし」
答えながら真っ先に思い浮かんだのは、日南先生の言葉だった。
〝君の生きる時間を私にちょうだい〟という文章も、現実で声にされると相当癖があると思う。
「ほら、
「なんだよ、直江。珍しく綺原の肩持つのか?」
「うーん、どっちかに肩入れした覚えはないんだけど」
「どうだかなぁ」
いつもの調子で、僕はそら笑いを浮かべた。こうしたやりとりを、あと何度繰り返したらいいのだろう。
二人のことは友達として好きだけど、天秤にかけるような時間はなるべく早く過ぎて欲しい。間を取った答えを生み出すのは疲れる。
二度目の世界で変えられる事には限りがある。今朝の毛虫みたいに、僕が直接手を加えられる小さな出来事は変更可能だ。
でも、他人の感情が絡む事柄は難しい。
放課後になって、改めて実感させられた。
向かい側の東棟校舎に、帰ったと思った苗木の姿が見えた。
スマホは通学カバンの中で、連絡は出来ない。帰りのホームルームでも早く帰れと忠告したのに、もう手遅れだ。
たった今、苗木が立つドアの先に一組の女子がいる。彼の気になっていた女子が、数学の男性教師と抱き合っている場面を目撃する事になるだろう。
視聴覚室へ行くなと言えば、逆に気になると思って言わなかったのが裏目に出たのか?
彼の心理が向かわせたのかは分からないけど、結果は時間が戻る前と同じ道を辿った。知っていたのに、阻止出来なかった。
ごめんと東塔から視線を離して、僕はそのまま階段を上がる。
屋上から見上げる景色は、青一色。ここから飛び降りたらどうなるだろう、とよく考えていた。
それは、強い意志ではなくて比較的
追い風が吹くと体が揺れる。不安定なフェンスはカタカタと小さな音を立て、まるで〝空を飛んでみたい〟という僕の気持ちに
繰り返しの日々で気付いたことが、もう一つある。同じ日常フィルムが流れているはずなのに、一度目と違う行動を取る人物がいること。
「見つけた」
いきなりガシッと手首を掴まれ、心臓がビクッと跳ね上がる。
首だけ振り返ると、担任の
ーー思い出した。
この日、今日は、初めて日南先生と言葉を交わした日だ。
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