第10話 氷見野宅
そこは、屋敷といっても良いような豪邸であった。どちらかと言うと和の要素が強いか。
正直、女の子の家に行くのは初めてだ。緊張する。あの氷の女王の家に僕が訪問することになるとは。
僕は、その家の一室で
「ごめん、待たせたね」
現れた。おお!!マジか!
服装が違う。ああなるほど、着替えていたわけね。涼しげでカジュアルなノースリーブのワンピースが普段とは異なる雰囲気を演出し、僕はドキドキした。
そして、僕の方に歩み寄ると上着を返してくれた。
「ありがとう。助けてくれて」
氷見野さんはそう言った。
僕はレイヴンからの説明を受け、何が起こったか理解していた。……全くもうちょっと早く助けて下さいよ。
「いや、いいんだよ。でも大丈夫?さっきまで結構疲れてたけど」
「いえ、大丈夫よ。こうして話をするくらいなら。それにこれは重要度の高い仕事だしね」
仕事。
レイヴンの話と僕の記憶を合わせて言えることは、氷見野さんは討魔軍の一員なんだろう。討魔軍か。ま、あんま深くは突っ込まないでおこう。色々とセンシティブらしいし。
「……あなたってさっきとキャラ変わった?いえ、というより元に戻ったように見えると言うか……」
ギクっ!!
「え?いやいや!そんなことないよ。戦闘になるとちょっとテンション上がっちゃう部分はあるけどね!あはは!」
「……ふうん、まぁそういう人ってたしかに多いかな」
そういう人、とは、もしかして多分討魔軍の面々のことを指しているのだろうか?
「で、次はさっきの戦闘について教えて?ストレートに聞くね?天王寺君があんなに……正直言って規格外に強いとは思ってなかったんだけど、天王寺君って何者なの?」
うん、まぁそう来るわな。ここは心苦しいが虚実織り交ぜつつ、事前に考えていた設定を……。
「いやーさっきも言ったけど、戦闘中は別人格みたいになって覚えてないんだよねぇ?あ、イヤ何の心得もないわけじゃないんだよ?まぁ小さい時に、親父から戦闘に関しては超スパルタで仕込まれたんだよ。こんなご時世だしね?そのトラウマのせいで今でもちょっと人格が分離してるんだよね?で、僕も正直、親父の真の正体は分かってないんだけどね」
ちなみに僕の親父の真の正体はみかん農家である。僕は高専入学に際して、上京してきたのだ。
あ、僕の深層心理で、レイヴンが笑いを堪えていやがる。イヤ待てコラ。誰のせいでこうなったと思ってんだ。
「そ、そう。是非とも私にもお父様に戦闘の極意をご教示いただきたいわね」
無理である。
「そ、そうだね。でも、親父は仕事の都合で東京にいないんだ」
うん。嘘は言ってない。……この部分に関しては。
「そ、そう。貴方もいろいろあるのね。私も親に関しては色々あって……って、私の話はいいよね」
いや、全然聞きたい。
でも、殆ど喋ったことないのに踏み込むのも悪い気がする。うーん。
「正直、知りたいって思うよ。でも、それは、今後おいおい仲良くなってゆきながら教えてほしいかな」
「え!?う、うん。ありがとう」
そのとき僕の深層心理で、レイヴンがヒューっと口笛を吹いてケケケ、と笑ったような気がした。
……なんやねん一体。
「てか、なんかあんまりちゃんと氷見野さんが望むように答えられてないよね。ごめんね」
「ううん、いいの。私もいきなりズケズケと聞いて失礼だったし」
うーん、なんか全然、クラスにいた時の氷のような彼女の印象と違うぞ?めっちゃ普通に優しくて配慮のある良い子じゃないか?
柔らかさすら感じるほどだ。
『魔に相対したときは、激情と狂気に満ちていたけどな』
レイヴンがそう付け加えた。うーん。なんか複雑な子。
「氷見野さんも……なんかクラスにいるときと印象が違うね?」
僕は、そう口に出してみた。
「え?あ?そう?そうかもね。八条寺高専には私しか討魔軍所属はいないし……。あまり他人と関わらないようにしてるからかな?」
ああ、やっぱ討魔軍所属か。もう明らかだから、僕にはオープンにしてくれた訳だ。
「そのことは黙っておいた方がいいんだよね?」
僕は氷見野さんに確認した。
「うん。そうしてくれると助かる」
「わかったよ。誰にも言わない」
僕がそう言うと氷見野さんは少しホッとした顔をしていた。討魔軍の規律とか責任は、やはり重いものがあるんだろう。
「じゃあ、天王寺君のことも黙っておいた方がいいね?」
氷見野さんは顔を上げるとそう言った。おそらくそれは僕の強さとか生い立ち(嘘)とかその辺の諸々についてだろう。
「……うん。できればそうしてほしい。僕は本気を出したらかなり強いけど、それによって日常が壊れるほど混乱が生じるのは嫌なんだ」
僕は、それっぽい理由を言ったが、これは正確ではない。正確には僕がレイヴンだとバレるのが嫌、だ。
「うん、そうだよね。わかるよそういうの。ああそうだ。これ渡しておくね?本当は良くないんだけど……ううん。ここで天王寺くんにこれを渡すのは組織にとっても正しいことだと思うから」
それは名刺であった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
討魔軍 東京本部三番隊隊員 氷見野 刹那
アドレス yyz×××××@fmail.com
番号 040-5533-××××
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふむふむ。すげえなぁ。え?コレ魔力で交信できるタイプの名刺じゃないか。スゴっ。
この文字列を暗号のようにして、詠唱すれば空間に文字を書くような形でもやりとりできるし、数字を詠唱すれば、それを媒介にして音声をやりとりもできる、ってやつだな。
文明崩壊前には「スマホ」という凄まじい機能を持った文明の利器があったらしいが、まだそんなモノは当然、復活していない。
せいぜい魔力を練った紙を使って使って意思疎通できるくらいである。
さて、ここで、深層心理でレイヴンが代われ!と言ってきた。
え?そんな風に出てきたり、戻ったりできんの?まぁいいや。代わろう。
・・・・・・
「ああっと氷見野さん?紙とペンある?」
「え?え?ちょ、ちょっと待ってね」
氷見野さんは部屋から紙とペンを探してきてくれた。
「ありがとう」
俺は、そう言うとサラサラサラっと魔力を込めてその紙に氷見野さんの名刺と同じような形式で書いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔術師:天王寺 トオル
アドレス:xyz×××××@fmail.com
番号:040-2233-××××
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「え?なに?」
氷見野さんは少し首を傾げていた。
「え?いや。そりゃあ女の子から連絡先貰ったら連絡先を書いて返すのがマナーだろ?だってこのままじゃ、こっちからしか連絡できねえし」
「……え?もしかして瞬時に魔力を込めてこれを書いたの?」
「え?そんな難しい?」
「う、うん。多分ね」
……僕は深層心理でまたコイツはやりやがった、と恨んだ。
「あと、魔術師……なの?」
「え?ああ。そうだ、な。一応親父?から教わったのは魔法を中心とする戦闘だから、そういう風に名乗ってるんだ。ま、まあ、もちろんそれ以前に学生だけどな」
レイヴンが僕の作った設定に合わせて、無理矢理話す。
ったく下手くそだなあ。
「う、うん。わかった!ありがとう。私からも何かあったら連絡する」
「ああ、そうだ。身体の具合は大丈夫か?さっき舌切ったり、吹っ飛ばされたりしてたろ?」
「え?ええ。大丈夫よ。こんなのよくあることだし」
「……気を付けた方がいいぞ。後になって取返しのつかないってことも、よくあるからな。ちょっと立ってみてくれるか?」
「え?ええ」
「まあ、あんま得意じゃないけど……
俺は、氷見野にそれを使った。戦闘を見たいがばっかりに、助けるのが遅れた罪滅ぼしだ。魔族やら魔獣につけられた傷は後で、呪化したりするし。
光が氷見野を包む。
「……あっ」
氷見野は、目を瞑ってその光を浴びた。そして心地よさそうな顔をしている。
「……すごい。痛みが消えてゆく。温かくて心地いい」
「あんま得意じゃないんだけどな」
「……ありがとう」
氷見野は微笑んでそう言った。
◇
まあ、その後色々と世間話とかお互いの話をして、僕は漸く解放された。レイヴンがまた、魔法を使いやがったけど、女の子が連絡先を渡してくれたら返すのが当たり前だ!とか女の子が傷ついていたらMPがなくても治癒魔法するんだよ!傷ついているときがチャンスだから!とか可愛い子が歩み寄ってくれてんの放っとくのは間抜けって言うんだよ!とか何とか強く主張されたので、僕は何も言わなかった。
どうやらレイヴンは氷見野さんのことがいたく気に入ったらしい。
でも、これからのことが大変だな。恐らく高専は暫く休学になるだろう。まぁそもそも退学になったから関係ないか。
で、あの後、おそらく討魔軍も高専に来たと思う。僕が魔獣を倒したシーンはたぶん誰かに目撃されている筈だ。
これからは僕はどうするべきなんだろう?わからない。はっきりしているのは、何としてもレイヴンのことは当面は隠さなきゃいけない。この世界に急にレイヴン転生の事実が浮上するのはショックが大き過ぎる。多分、力を利用しようとする連中なんかも現れる。
でも……それでも。
僕は得た力を使わなければいけない。たぶん、僕の周りには悪が野放しになっているのだ。
僕はそう静かに決意した。
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