第3話 魔獣
「逃げた方がいいわよ」
その視線の先には誰もいない公園がある。だが、なにかの気配というか揺らぎのようなものが見える気がする。
まさか……。
「魔獣?」
その浮かんでいるシルエットを見て僕はいつの間にかそう呟いていた。
氷見野はそれを睨むと懸命に何かを呟いている。いや、唱えている、のか?
それからしばらくすると、すうっとそのシルエットは虚空の彼方へ消えていった。
「……ふう、初動対応が上手くいったようね」
「あのー、氷見野さん?」
「あれ?逃げてなかったの?」
氷見野さんは僕を咎めるかのようにそう言った。
「ごめん。氷見野さんはもしかして、討魔軍……なの?」
討魔軍。対魔獣、魔族のための専門部隊。内閣総理大臣直轄の軍事組織だが、その全貌及び詳細は秘匿されている。
「……知らない」
って、そりゃそうだわな。仮に討魔軍として、そんなもん言える訳ない。悪いことをした。
「ご、ごめん……」
「まぁいいわ。さっき見たことは他言しないって約束できる?」
「あ、ああ約束するよ」
「そう。ならいいの」
氷見野さんはそう言うとまた、公園の向こう側に目をやった。
「魔の匂いが濃くなってる……」
氷見野さんはそう言って振り向くと、すぐにその場から去っていった。僕は何となく、その遠ざかってゆく背中をずっと見ていた。
〜〜〜
翌日。退学まであと2日
僕は昨日の夕方の公園での出来事を思い出していた。
急に浮かんだあのシルエット。あれは間違いない。魔獣だ。そして、それを打ち消さんと凛とした表情で何かを詠唱する氷見野さん。
なんだろう。僕は極めて凡庸な人間だ。これといって何かが得意なわけでもない。だが、何故か昔から何かに巻き込まれるのだ。
と、いうか本当に何故、高専を退学になったんだ?こんなケースこれまで見たことないぞ?僕は極めて善良にやってきた。優等生ではないが善良だ。波風立てずにやってきたつもりだ。
そして、そんな僕の勘が何かを訴えている。退学宣告は始まりだ。これから、僕の人生で最大のトラブルが起きる、と。
と、思っていたら後ろからガンッと椅子を蹴られる音がした。僕はバランスを崩しそうになる。
「おいおい、天王寺君よ。なんで昨日帰っちゃったのかな?」
虻川である。いや、おい。いま重要なこと考えてるから後にしてくれよ。
「ごめんごめん。本気だと思ってなくて」
とりあえず僕は謝っておいた。
「あれで本気だと思わないとか空気読めなさ過ぎじゃね?ちょっと社会経験積みに屋上においでよ?」
「ごめんってば」
「ちょっとさぁ。そんな態度だから『退学』くらうんじゃねえの?劣等生のトオル君?」
……それにしても、こいつは何を知っているんだ?
「虻川君、昨日から何を言ってるの?」
「いや、事実だろ?もう噂で広まってるぜ?可哀想になぁ。新東京都教育委員会の決定だからしょうがないよなぁ?」
教育委員会?
なんなんだ?訳がわからん。その決定を何故コイツが知っている?ええい、もうこうなりゃヤケだ。はぁ、と僕はため息をついた。
「わかった。行くよ屋上に」
◇
いまどき屋上に呼び出すとかあるのか?と、僕は疑問に思いながら屋上に行った。
雨は降っていなかったが、分厚い真っ黒な雲が空を覆っている。心なしか雷の音がゴロゴロと鳴っているか気がした。
そこには虻川と中野とあと二人ほど見たことのない生徒が待ち構えている。
なるほど、4人がかりでボコボコにしようという訳だ。わかりやすい。
「じゃ、社会経験はじめまーす」
……意味がわからん。そう思っていると虻川のゲンコツが僕の腹にめり込んだ。
僕は呼吸ができなくなり、地面に膝をついた。
続いて中野の蹴りが飛んでくる。
「ヒャハハッ!!生意気なんだよ、お前はよぉ!!」
ドカッ!バキッ!!!
その暴力は数分続いた。
……おいおい、いってえな。殺す気か?コイツら。
ああ、なんなんだよ。
いってえ。
自分を殴る音がだんだんと大きく聞こえるようになってきた。やばい。
バキッ!ドカッ!!
くそ、やべえ、意識が朦朧としてきた。やばい、マジで死ぬ。何でだ?なぜ僕ばっかりがこんな目に。
くそ!!俺よりもコイツらの方が全然、退学にふさわしいじゃねえか!なんで俺なんだよ!俺じゃなくてコイツらがもっと酷い目に遭えばいいんだ!!
「おい寺田!コイツこんなんじゃ駄目だわ。アレでやっちゃって?」
「けけっ、虻川容赦ないねえ」
僕は、横目でその虻川と寺田とやらの、やり取りをチラッと見た。
え?何?あの鈍重そうな鉄パイプっぽい物体?
「寺田やっちゃって?」
虻川は楽しそうにそう言った。
「あーい、じゃ行きまーす」
寺田はとやらは僕の目のまえで鉄パイプを大きく振りかぶった。いやいやいやいや、待て待て待て。このままじゃ死ぬってば!!だが、他の連中に取り押さえられ動けない。
ああ、死んだな。
ゴキャアアッ!!!
そう思った瞬間、一際大きな音がした。
ああ、すげえ音だな。でもやたらと他人事のように聞こえたわ。これが死か?
・・・・・
ってあれ?痛くないし生きてる。じゃ、今の音はなんだ?
「う、うわああああ!!!!」
誰かの悲鳴が聞こえた。
え?どういうことだ?
僕は微かに顔を上げる。
そして、吐きそうになった。
◇
目の前にいたのは見たことの無いほど凶悪な生物であった。
全身が毛むくじゃらである。前腕が異様に発達しており、ゴリラのような四足歩行をしている。
そして何より異様なのは、身体の三分の一はありそうな大きな刃状の歯の生えた口。
その口は僕に、何か深海に住む魚を連想させた。或いは北欧神話のフェンリルか。だが体はゴリラなのだ。
間違いない。魔獣である。
その魔獣は、虻川の仲間の一人を既に殺していた。おそらく寺田とかいうやつだ。おそらくとしか言いようがないのは、その哀れな亡骸は既に首から上が吹き飛ばされていたからである。
そう。
千切られたのでもなく、切られたのでもなく。明らかに強い力で吹き飛ばされていた。
絶望感。
その魔獣の巨大さと、凶悪さ、強さ。
それは一目で明らかであった。その明白さはその場に居合わせた僕らに、その感情を一瞬にして植え付け、或いはパニックに陥らせた。
「ひ、ヒイイイイイ!!」
と虻川は甲高い悲鳴を上げると、逃げるでもなく、闘うでもなく、ただその魔獣を見上げて座り込んでいた。
だが、僕も他の面々も似たようなものだ。何もできない。
魔獣は涎を垂らして、こちらを見ていた。その表情は餌を見て笑みを浮かべているようにも見える。
と、バンッ!!と扉が開く音がして、人影がその扉から現れる。
その人影は一瞬にして、魔獣と距離を詰めたかと思うと、魔獣の近くでキラリと金属の光のようなものが見えた。
その次の瞬間、魔獣の腕がずるり、と落ち。大量の血液が噴出する。
その人影は氷見野 刹那であった。
氷見野 刹那はその細身の剣を構えると、普段よりもさらに冷たく刺すような目で臨戦態勢をとる。
「う、うわああああ!!!」
そのタイミングで空気を読まず、虻川は逃げ出した。遅れて中野を含む他の仲間達も逃げ出す。
当然、魔獣は虻川達の方へ猛然と走り寄り、攻撃を仕掛ける。爪の一撃が虻川の顔面を捉えそうになる。
ギンッ!!
ギリギリのタイミングで氷見野さんが魔獣と虻川の間に入り、剣で受け止めた。だが、まずい。両手で剣を押さえているものの力で劣るのは明らかである。
そういっている間に虻川達は逃げ出した。
そして、氷見野さんは魔獣に吹き飛ばされる。
「くっ!」
氷見野さんは当たり前のように立ち上がった。だが、流石に痛そうである。
「天王寺君……逃げて」
氷見野さんは僕を見てそう言った。
だが、僕は動くことができない。逃げることに対する罪悪感と、魔獣に対する……何か複雑な気持ち。これは……憎しみ?
なぜ僕が魔獣を憎んでいるんだ?
「逃げて!あなたがここにいると守りきれないッ!!足手まといなの!!」
あえて強い言葉を使ったであろう氷見野さんの大きな声に、僕はハッと我に帰った。
「……ごめん」
僕はそう言うと屋上から逃げ出して、自分のクラスに向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます