第7話 エマとジュード卿


 突然現れたジュードと名乗った紳士は、エマを自身の馬車へと案内した。


 外から見るよりも広く、向かい合わせになるよう設置された椅子は、触らずとも高級そうなのがわかる。

 このような高級な生地の椅子に自分が座っていいものかと、エマは迷っていた。



「どうぞ、お掛けください。今従者に食事の調達を頼みましたので、ゆっくりしてください」


「あ……は、はい」



 食事という言葉にエマは反応した。ここ数日、まともな食事などしていなかったのである。

 エマは赤ん坊を抱いたまま、フカフカの椅子に腰掛けた。



「突然声をおかけしてすみません。貴女の横を通り過ぎたときに、たまたま見えてしまったものですから」



 ジュード卿の言葉に、エマは一瞬期待をしてしまった。

 この紳士は、自分のことを見初めてくれたのかもしれない……と。


 しかし次に続いたジュード卿の言葉を聞いて、エマは真っ青になった。



「抱いている赤ん坊の瞳が黄金色に輝いていたのを」


「!!!」



 エマは慌ててその場に立ち上がった。

 無意識に赤ん坊をくるんでいる布をさらに巻きつけ、顔を見えないように隠す。


 すぐにこの場から逃げようと企むが、それが簡単ではないことに気づく。

 馬車の奥に座ってしまっていたため、エマが外に出るにはジュード卿の前を通らなければならないからだ。



 

 聖女だってバレた……!! 

 この男の目的は聖女だ! 絶対に渡すもんか!




 エマの脳内がパニックになっていたとき、ジュード卿は立ち上がっているエマを余裕な顔で見つめていた。

 貼り付けたような笑顔は恐怖こそ与えないが、安心感を与えることもない。



「落ち着いてください。私はその子を貴女から奪ったりなどしません」


「う……嘘よ!」


「本当ですよ。ただ、何か力になれればと思っただけです。貴女は王宮の方向から歩いてきましたね? でも、中に入れてもらえなかったのではないですか?」


「!!」



 何も言っていないというのに、そんなことまでわかってしまうのか、とエマは感心してしまった。

 そして、同時に王宮に入れなかった事実を思い出す。



 確かに私は門前払いをされてしまった。このまま王宮の中に入れないなら、聖女がいても意味がない……。

 それなら、この男の話を聞いてみてもいいかもしれない。



 エマはジュード卿を見つめたまま、もう一度椅子にゆっくりと腰掛ける。

 その様子を見ていたジュード卿は、ニヤリと口角を少し上げた。





 馬車に乗って帰宅途中だったジュード卿は、たまたま窓の外に顔を向けていた。

 

 歩行者などほぼいない夜遅い時間だというのに、若い女が1人で歩いている。

 みすぼらしい姿をした女がこんな時間に何をしているのかと、通り過ぎ様に視線を向けたジュード卿は、一瞬自身の目を疑った。


 女が抱いているモノに、2つの輝く黄金の宝石がついている。

 暗闇の中でもハッキリわかるほどの美しい宝石だ。



「止まれ!!」



 咄嗟にジュード卿は叫んでいた。

 宝石が珍しかったからではない。宝石であると思ったモノが、赤ん坊であると脳が認識したからである。


 黄金の瞳を持つ赤ん坊だと認識したとき、すでにジュード卿の頭の中には『聖女』という言葉が浮かんでいた。

 妻にも執事にも伝えたことなどなかったが、実はジュード卿は聖女について詳しく調べていた研究者であった。




 女は王宮の方向から歩いてきていた。

 もし王宮に『聖女』のことを伝えていたなら、今この場を歩いているわけがない。




 そう考えたジュード卿は、この女が王宮に入れなかったこと、王宮に聖女のことを伝えていないのだとすぐに察した。


 まだ誰にも存在を知られていない『聖女』




 チャンスだ!! 待ち望んでいた聖女がすぐそこにいる!! 

 なんとしてもを手に入れてみせる!




 馬車から降りたジュード卿は、そうしてエマに近づいたのだ。


 少し経つと、従者が近場の店から買ってきた食事を運んできた。この食事はエマのために用意した物である。

 ガリガリのエマを見たジュード卿は、まずは食事をさせることで信用を得ようとしていた。



「どうぞ。お食事をしながら話しましょう。……ああ、毒など入っていないので安心してください」



 不信感満載のエマの視線に気づいたジュード卿は、ひと口目の前で食べてみせた。


 食事に毒が入っていないとわかったエマは、片手で赤ん坊を抱きながら無我夢中でご飯を口に入れていく。

 数日ぶりの食事の温かさに、エマは涙が出てくるのを止めることができずにいる。

 ポロポロと涙を流しながら食べ続ける様子を、ジュード卿は何も言わずに見守っていた。


 ある程度食事が落ち着いてきた頃、やっとジュード卿が口を開いた。



「その赤ん坊は、貴女の娘ですか?」


「……はい。そうです」



 食事を与えてもらったことで、エマのジュード卿に対する不信感はだいぶなくなってきていた。


 ジュード卿がその気になれば、エマから聖女を奪い去ることなど容易いはずである。

 それなのに、聖女に触れることもエマに近づくこともせず、食事を与えてくれた上にずっと丁寧な言葉で接してくれている。


 そんなジュード卿の態度は、疑心暗鬼で疲れきったエマの心に安心感さえ与えていた。



「その赤ん坊は、聖女……ですね?」


「……はい」


「見せていただくことはできますか?」


「……どうぞ」



 エマは赤ん坊を抱いたまま、顔を隠していた布を取った。

 赤ん坊はすやすやと眠っている。



「ほとんど泣かなくて……。よく寝ているんです……」


「そうですか。肌が白くて綺麗ですね」



 これはジュード卿からの遠回しの探りであった。

 毎日風呂に入れない、さらには食事すらまともに取れない平民であれば、こんなに綺麗な状態を保つことはできないからである。




 聖女の能力について聞きたい……!




 そんな嫌味に気づかず、単純に赤ん坊の肌を褒められたのだと思ったエマは、浄めの力のことを話した。



「聖女の力なんです。洗ってあげなくても、汚れると光がキラキラ輝いて綺麗になっているんです。赤ん坊も、私も、部屋も……」


「……! そうですか」




 間違いない!! 本物の聖女だ!!

 まさか俺が生きている間にお目にかかれるとは……。

 絶対にこの聖女を俺のものにしてみせる……!




 ジュード卿は眠っている赤ん坊を見つめながら、拳をぎゅっと強く握った。

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