第8話 ジュード卿の嘘
ジュード卿が聖女である赤ん坊を見つめて数分後、熱い視線に気づいたのか威圧感に反応したのか、赤ん坊が目を覚ました。
聖女に関する本に記述されていた通りの黄金の瞳。
想像以上に美しく輝くその瞳に、ジュード卿はしばらくの間見惚れていた。
これが聖女の瞳……。まさかこんなにも美しいとは。
この瞳だけでも、ものすごく価値がありそうだ。
「なぜ生まれてすぐ王宮に聖女の存在を伝えなかったのですか? 聖女であれば、王宮に匿ってもらえるというのに」
「……まずは確かめたかったんです。この子が本当に聖女なのか」
「確かめた? それで、何か確信できることがあったのですか?」
ジュード卿は、聖女に興味津々であることを気づかれないように、できるだけ落ち着いた素振りをしながら尋ねた。
赤ん坊は、初めて見るジュード卿に怯えた様子も見せずに、ジーーッと愛らしい顔で彼を見つめている。
「言い伝えの通り、月の隠れた日には力を出しませんでした。この黄金の瞳も、輝きがなくなっていたし」
「そうですか。やはり月の隠れた日にはその力を使えないのですね。そして、瞳の輝きと力が関係しているかもしれない……と」
これは新しい情報だ!
瞳の輝きと力が関係しているなんて、そこまで詳しく書いてある本はない!
心の内を顔に出さないように気をつけながら、ジュード卿は話を続けた。
「それで、今日初めて王宮へ? なぜこの時間に?」
「はい。あの、私……聖女が生まれたことを、誰にも話していなかったんです。知られたら奪われてしまうのではないかと怖くて……。だから昼間に出るのが不安で、この時間に……」
バカな女だ、とジュード卿は思った。
こんな遅い時間に突然やってきた平民の女を、王宮が中へ通すわけがない。
疑心暗鬼から門番にも聖女のことを伝えなかったとは、なんとも間抜けである……が、それが自分にとってチャンスであることにジュード卿は気づいた。
聖女誕生を王宮に伝えていない。
さらに、生まれたことすら誰にも話していない。
……これは神が俺に与えた最高の好機だ……!
「ということは、聖女の存在を知っているのは私と貴女だけということでしょうか?」
「はい」
ジュード卿は、ニヤリと笑ってしまいそうになるのを一生懸命こらえた。
不信感を持たれないように、なんとか誘導して聖女を俺のモノにする……そう思ったジュード卿は、赤ん坊を抱いていない方のエマの手を優しく握る。
エマがビクッと反応して頬を赤く染めた。
拒否されてはいないようだ。
「貴女の名前をお聞きしても?」
「エ……エマです」
「エマ。赤ん坊と一緒に私の家に来ませんか?」
「……えっ?」
エマの茶色い瞳が大きく見開いた。
抱いていた赤ん坊を落としそうになったので、ジュード卿は咄嗟に手を出し赤ん坊を支える。
顔には出していないが、初めて聖女に触れたことにジュード卿は感動していた。
「あ……あなたの家に……? で、でも、聖女は王宮で保護されるのでは……」
「そうですね。聖女は国の宝ですので、王宮で大切に育てられるでしょう。でも、母親であるエマのことは何も保証されていないのをご存知ですか?」
「……え? 私の保証はない……?」
エマの瞳が揺らいだのを、ジュード卿は見逃さなかった。
「ええ。大切にされるのは聖女様だけです。母親は……こんなことをご本人に伝えるのは気が引けるのですが……」
「言って! ……ください! 聖女の母親はどうなるんですか!?」
「聖女を産んだ母親は、その身体を調べられたり……その、他にも子どもを産むようにと命令されるかもしれませんね。また聖女が生まれる可能性がありますから」
「何……それ……。身体を調べるなんて……。それに、言っておくけどもう父親はいないの。どこかに逃げてしまったもの。もう妊娠なんてできないわ」
「……その逃げた父親以外にも、男性はたくさんいますよ」
「まさか……妊娠さえすれば相手は誰でもいいということ……? そんな……」
エマの顔は真っ青になっている。
自分に待っている未来を想像して、恐ろしくなっているのだろう。
だが、実はこれは全てジュード卿の嘘であった。
実際は聖女の母親も王宮で大切に扱われるだろう。高貴な身分をもらえる可能性だって高い。
しかしそれを言ってしまっては、エマは間違いなく聖女を連れて王宮へ行ってしまうだろう。
それを防ぐため、ジュード卿は彼女を騙しているのだ。
「数百年ぶりの聖女だ。みんな血眼で聖女に群がり、貴女たち母子を見せ物にするでしょう」
「そ……そんなひどいこと……」
ガタガタ震えているエマを見て、あと一押しだとジュード卿は思った。
「なので、私の家に隠れましょう。貴女も赤ん坊も、王宮ほどはいかないかもしれませんが大切にいたします。家も食事も風呂もお金も、何も心配のいらない生活を約束いたしましょう」
「……ど、どうして私にそこまで……」
「私は聖女にずっと憧れておりました。だから、聖女に会えて本当に嬉しいのです。その母である貴女が苦しむことがわかっているのに、王宮へ行かせたくはないのです」
エマは真っ直ぐにジュード卿を見つめている。心が揺れているのは一目瞭然だ。
ジュード卿は目をそらすことなく彼女を見つめ返した。手は先ほどからずっと握ったままだ。
「私が貴女達を幸せにします。ぜひ、我が家へいらしてください」
エマの心は揺れていた。
突然の提案に頭がついていけてなかったのである。
エマはジュード卿の嘘を見事に信じてしまっていた。
ジュード卿から聞いた、聖女の母に対する王宮の酷い行いを知り、心底この国に幻滅してしまったのである。
聖女を生んだのだから、これからの私には幸せが待ってるんだと思ってた……。
まさかそんな扱いをされるなんて、全然知らなかったわ。
どうすればいいの……?
ジュード卿からの提案はとても魅力的なものであった。聖女だけでなく、母親のエマの安定も保証してくれている。
聖女である赤ん坊にとっては、王宮へ行く方が色々と手厚く待遇され、厳重に警護され、安泰な暮らしができるだろう。
ジュード卿の家に行けば、今よりは断然幸せに暮らせるものの、国民から受けられたはずの賞賛も崇拝される未来もなくなる。
子どものことを考えるのであれば、王宮を選ぶべきなのだ。
だが、エマの中では自分の子どもの幸せよりも、自分の幸せのほうが大事であった。
「……はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
エマのその言葉を聞いて、ジュード卿はにっこりと微笑んだ。
作ったような笑顔だが、エマにはとても素敵な紳士に見えていた。
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