第5話 聖女の力
グレイの住むこの国では、『聖女の伝説』を知らない者はいない。
誰もが知る聖女だが、ここ数百年もの間この国に聖女は生まれていなかった。
そのため、グレイはもちろん現在では誰も本物の聖女を見たことがない。
聖女の特徴も、本に書いてあることでしか情報はなかった。
それでも、グレイはこの子どもが聖女だと確信が持てた。
暗い中でも光り輝く、宝石のような黄金の瞳。
太ももまであるプラチナブロンドの長い髪。
人形のような美しさを持つ少女。
間違いなくこの子どもは聖女であると思えてしまうほど、出ているオーラや瞳の輝きが尋常ではなかった。
聖女の力を見てみたい。
この子どもが聖女だと確信したグレイは、真っ先にそう思った。
聖女の力である『治癒の力』を、この目で見て確認したい。
「怪我をしたら治せるのか?」
子どもはコクリと頷いた。
グレイはこっそり隠し持って来ていたナイフを取り出し、いきなり自分の左腕をザクっと切りつけた。
腕には大きな深い切り傷、そこからは血がポタポタと垂れている。
グレイの奇行を目の前で見ても、子どもは微動だにせずその様子を見つめているだけだった。
怪我や血に怯えることもない。
グレイに対して嫌悪ある視線も向けない。
こんな行動をしても、俺を見る瞳に変化がないとはめずらしいヤツだな……とグレイは感心した。
学校では、グレイが心ない行動をすると誰もが嫌気がさしたような視線を向けてくる。
こんなにも恐怖や嫌悪のない真っ直ぐな視線は、久々であった。
少しだけ温かな気持ちになったグレイは、それを振り払うかのように命令をした。
「この傷を治せ」
そう命令すると、子どもは鉄格子の間から手を出し、グレイの腕の上に自分の両手をのせた。
傷には触れないくらいの、少し上の位置である。
それから何か呪文のようなものを唱えることもなく、子どもはジッと自分の手を見つめた。
すると、元々輝いていた黄金の瞳が、さらにキラキラと輝き出す。同時に両手からも眩しい光が漏れ出した。
今日の昼間、窓から見た光と同じである。
黄金の光は、怪我している部分に覆い被さるように包み込んできた。
暖かい木漏れ日の中にいるような、心地よい感覚がする。
ジンジンと感じていた痛みが、スーッとなくなっていくのがわかる。
怪我を覆っていた黄金の光は、段々と輝きが薄くなっていき、フッと突然消えた。
グレイは左腕を自分の顔に近づけ、光が覆われていた部分を凝視してみる。
先ほどざっくりと切れていた深い傷痕は、跡形もなく消えていた。痛みもない。
「……これが癒しの力……!」
聖女の力を目の当たりにしたグレイは、自分の腕を見つめてニヤリと笑った。
子どもを見ると、格子の外に出していた手をすでに檻の中に戻し、グレイの顔をジーーッと見上げている。
汚れのない純真無垢なその瞳。
聖女の力に感心していた姿を見られていたのかと、グレイは少し恥ずかしい気持ちになった。
そんな感情を持つのも久しぶりである。
今までは誰にどう見られていようが、グレイが気にしたことはなかった。
よく見ると、床に垂れていたはずの血も無くなっている。
「床の血を消したのもお前か?」
子どもはコクリと頷いた。
そういえば、聖女の力には浄めの力もあったはずだ、とグレイは思い出した。
浄化とか、辺りを清潔に保つ力もあると伝えられている。
子ども自身や着ている服、それからこの檻の中も綺麗であるのは、その力のおかげか。
ここで、グレイはもう1つ確認しておくことがあった。
この子どもが、ジュード卿の愛人が連れてきた赤ん坊なのかという確認である。
「お前は、イザベラがここに来る前……ここに住んでいた女の娘か?」
子どもはコクリと頷いた。
「やはりそうか」
予想が当たっていたというのに、グレイはあまり嬉しくはなかった。
先ほど見た聖女の力の印象が強すぎたせいだろうか。
それにしても、まさかジュード卿の愛人の娘が聖女だったとは……グレイは驚くとともにどこか納得していた。
だからあの男は愛人を家に連れてきたのだ、と。
この子どもはジュード卿とは血が繋がっていない。
ジュード卿であれば、もし愛人を欲していても赤ん坊は捨てて女だけを連れてきただろう。そういう男なのだ。
ジュード卿の狙いは女ではなくこの子ども──聖女のほうだったのだ。
彼の連れてきた女も、子どもを大事にするような母親には到底見えない。
女も、自分の娘が聖女であることを利用して、貴族の家に入り込んできた。
ジュード卿と女は愛し合っていたわけではなく、2人ともこの子どもを利用していただけだった。
そしてその2人が死んだ今、聖女の存在を知ったイザベラが、引き続き子どもを利用している。
家に金が溢れているのは、聖女の力で稼いでいたからだったのだと、グレイは確信した。
グレイ自身気づいてはいないが、彼は子どもに同情していた。
「お前は……俺よりも不幸なヤツだな。聖女として生まれたなら、王宮で贅沢な生活を送れるものを。強欲な人間に見つかったせいで、こんな場所でこんな暮らしをしているとは」
子どもは理解しているのかしていないのか、真っ直ぐにグレイを見つめている。
瞬きをするたびに、金のカケラがこぼれ落ちていくように見える。
「お前に名前はあるのか?」
子どもは少し間を置いてコクリと頷いた。
「そうか……。なんという名前なのか……」
子どもは頷くか首を振るかでしか答えない。
イエスかノーでしか答えられないのだから、グレイが子どもの名前を知るすべはない。
適当な名前を言ってみる方法しかないのか。イザベラは知っているのか。
グレイがそんなことを考えていると、突然小さな音が聞こえた。
儚くてキレイな、可愛らしい声。
「…………マリア」
「…………え?」
「…………」
グレイは子どもと見つめ合った。
今までこちらが何か命令するまでは動かなかった子どもの手が、ぎゅっと自分のスカート部分を握りしめている。
「……今、お前が喋ったのか……?」
子どもはコクリと頷く。
「もしかして名前を言ったのか? なんて言った?」
「…………マリア」
グレイの目を見つめたまま、子ども……マリアは初めてグレイの前で声を出した。
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