第57話 ゲームオーバー

「また、ここか」


 目覚めた時、いつかと同じ医務室のベッドの上だった。


「気が付いたかの?」


 この展開にも覚えがある。蓄えられた白髭をモフる好々爺。鷲鼻に乗せられた鼻眼鏡の奥の瞳はとても優しく、不思議と心が落ち着いた。


「あぁ……うぅっ」

「まだ動かんほうがいいじゃろう。出血がひどかったからの」


 上体を起こそうとしたのだけれど、ひどい貧血で目眩に襲われる。仕方なくベッドに背を預けた。

 俺はなぜここにいるのだろう。


「……クレアは!?」


 自分がどうなったのかが分からなかったけれど、それよりもクレアのことが気掛かりで仕方がない。

 覚えているのはクレアと向かい合っていたところまで。たしか、もう一人の俺が彼女に杖剣を振りかざしていたところだったと思う。


「お前さんは気を失ったんじゃよ」

「それで……クレアは? みんなは無事なのか!」

「うむ、全員無事じゃ」


 安堵する俺に、ヴィストラールは事の顛末を、重要なところだけを掻い摘んで語り聞かせてくれた。

 それによると、杖剣を振りかざした俺はそのまま意識を失ったらしい。いくら最強最悪のラスボスとはいえ、過激な出血による貧血には勝てなかったということだ。


 ちなみに、俺たちがダンジョンで襲われていた頃、外でも黒の旅団が攻めてきていたらしい。そいつらを相手にしていたため、ヴィストラールによる救援は遅れてしまったのだとか。


「あっ、俺の足!?」


 掛け布団をめくって左足首をたしかめる。足首のあたりで巻かれた包帯が痛々しい。


「あとでパセリ先生に薬を貰うと良い。数日で新しい足が生えておることじゃろう」


 もう一人の俺によって折られていた左腕は元通り繋がっていた。


「折れておったお前さんの腕は、儂が治しておいた」


 腕を伸ばして調子をたしかめる俺に、ヴィストラールは誇らしげに眉を持ち上げる。


「なに、以前よりも少し頑丈にしておいただけじゃ、礼には及ばんよ」


 快活に笑う老人に感謝の言葉を伝えた俺の脳裏には、もう一人の俺によってボコボコにされてしまったアレスの顔がよぎる。


「アレスは……モルガンは捕まえられたのか?」


 ヴィストラールの顔からは笑顔が消え失せた。あきらかな落胆の色が見受けられた。


「逃げられたのか……」


 聞かなくても顔を見れば分かる。悪いことを聞いてしまった。


「儂がボトルダンジョンに駆けつけた時には、すでにモルガン・ル・フィの姿はどこにもなかったんじゃ」

「……そっか。アレスは無事なのか?」


 悪魔と取り引きをしてまで魔眼を手に入れたアレスのことが、敵とはいえ少しだけ心配だった。


「残念じゃが、アレス・ソルジャーの姿もどこにも……おそらくモルガンが連れ出したのじゃろう」


 但し、ニーヴ・シャレットの身柄は拘束できたと、ヴィストラールが教えてくれた。


「なら、彼女からモルガンの居場所を聞き出せるんじゃ!」


 かすかな希望を口にする俺に、ヴィストラールは疲れ切った様子で首を振る。


「ニーヴ・シャレットの取り調べはブラン先生が行っておるが、そう期待はせん方がいいじゃろうな」


 どうしてだと眉をハの字に曲げる俺に、ヴィストラールは自身の考えを口にする。


「モルガン・ル・フェにアレス・ソルジャーの両名だけが姿をくらました。つまりそういうことじゃよ」


 要は彼女は捨て駒に過ぎなかったのだと、残酷にも老人は告げる。

 俺に強い恨みを持つ彼女は、試験に潜入するためだけの数合わせに利用されたのだ。


「それよりも、お前さんには話して置かねばならんことがある」

「話……?」


 はて、なんだろう?


「ブラン先生がモルガンとの戦闘中に得た情報についてじゃよ」

「情報……というと?」

「なぜお前さんがモルガン・ル・フェに狙われておるのか、そしてお前さんの中に眠っておるもう一人のお前さんについてじゃ」

「あのミイラ男を知っているのか!?」


 全身を包帯に包まれた醜怪な男。思い出しただけで身の毛がよだつ。

 自分の内にあんな怪物が眠っていること自体我慢ならない。できることなら駆除したい。


「お前さんの内に潜む者こそが、モルガン・ル・フェの復讐相手なんじゃよ」

「……どういうことだ? なぜ九姉妹の復讐相手が俺の中にいるのだ?」

「その件についてはうちから話す」

「ブラン!?」


 一体いつからそこに居たのだろう。医務室の扉の前、腕を組んでもたれ掛かったブランが声を上げた。


「ニーヴ・シャレットの取り調べはどうじゃった?」


 ヴィストラールの問いかけに、ブランは悔しそうに奥歯を噛んだ。


「あれはアカン。ただの色ボケや」

「ふむ、乙女心を利用されただけじゃったか」

「それよりも――」


 厳しい顔のブランがドスンドスンと向かってくる。ベッド脇で足を止めたブランの、咎めるような視線が痛いくらいに突き刺さる。


「―――痛ッ!?」


 居心地の悪さから顔をそらす俺の頬を、ブランは両手でがっちり掴んで離さない。


「うちの目を見ろ!」


 そっと目をそらす俺に、彼女は雷鳴のような声を響かせる。


「………」

「…………くッ」


 一瞬、凄まじい怒りが眉のあたりを這う。けれど、次の瞬間には憐れむような表情になり、やがて彼女は長いため息とともに瞼を閉じた。


「時に、赦すことで人は救われる」


 何かのおまじないだろうか。首から下げた十字架を握りしめるブランが祈るように囁いた。


「……」


 不思議そうに見つめる俺に、頬を染めたブランは、照れ臭そうに自分の親代わりだった人の言葉だと教えてくれた。


 背筋を伸ばして窓の外に顔を向けたブランは、恥ずかしそうに咳払いをする。


「一度しか言わんからよう聞け! 自分の身体の中にはなぜか分からんけど、うちら姉妹の復讐相手がおるんや。普段は自分に抑え込まれる形で眠っとるらしいそいつを、モルガンは呼び覚まそうとしとる」

「え……なんだよ、それ?」

「ええから黙って聞け!」


 大音声を響かせた彼女は、窓の外に浮かぶ月を睨みつけながら、戦いの中でモルガンから得た情報を話聞かせてくれた。


 それによると、九姉妹の復讐相手、その魂は本来、リオニス・グラップラーこの肉体に宿ると真実の魔法書グリモワールに記されていたという。が、なぜかそこに俺が宿っていた。


 その結果、もう一人の俺はこの肉体の内側で封印されることになってしまったらしい。

 けれど、何かのきっかけで俺の内に眠る魂が目覚めてしまった。おそらく10歳の頃、暗殺者に顔を焼かれたことが原因だろうと推測する。


 ブランいわく、顔の火傷は暗殺者に焼かれたことが原因ではなく、それによって目覚めた魂と肉体が接続リンクしたことで表れたのだという。

 つまり、この顔の呪いは俺のモノではなく、あの醜悪な男のものなのだ。


「そんなことって……」


 ありえないと言いたいところだが、異世界転生している俺には思い当たる節がある。なぜなら俺は異世界人なのだ。


 何かの拍子に俺がリオニス・グラップラーの肉体に割り込む形で転生してしまった。そう考えるのが妥当なところではないだろうか。


 されど、分からないこともあるという。

 なぜモルガン・ル・フェがアレス・ソルジャーを仲間に加えているのかという点だ。


 モルガンはブランに、アレスこそがもう一人の俺を目覚めさせる鍵だと言ったらしいのだが、ブランいわく、アレスともう一人の俺の接点が思い当たらないという。


 何より、このままでは俺は死ぬらしい――


「は……今なんと?」


 危うく聞き流してしまうところだったが、モルガン同様こいつもとんでもないことをさらっと口にする。


「せやから、このままやったら自分はあいつの呪いに巻き込まれて死ぬ言うとんねん」

「なっ、なんでぇッ!?」

「そらそうやろ。あいつが大人になるまでに姉妹うちらが復讐できんかったらリセット。再び輪廻を繰り返すためにあいつの心臓は灰と化すんや。これまでかてそうやったからな」


 そうやったからなって……。


「ちょっと待て! それではあいつは何度も死んで転生しているということか!」

「せやから、そう言っとるやん。ただ問題はな、輪廻を繰り返す姉妹うちらには前世の記憶があるんやけど、あいつにはそれがない」

「ない……って?」

「記憶も燃えてまうみたいやねん」

「燃える!?」


 そんな紙切れじゃあるまいし……燃えるって。


 しかれども、モルガンはあいつのことを知っていたのに、肝心のあいつがモルガンを知らなかったことの辻褄は合う。

 でもだ、だったらなぜもう一人の俺はアレスのことをあれほどまでに憎んでいたのだ? ……記憶、ないんじゃないのか? わからん。


「というか! それじゃあ何度も復讐に成功しているようなものではないか!」

「それはちゃうな」


 豪然と言いきるブラン。

 何か他に理由があるって顔をしている。


「モルガンはあくまで自分の手で復讐を遂げるつもりや。というかな、モルガンの真の目的はあいつの魂を虚無に還すことなんや」

「虚無って……」


 そのためには呪いによる殺害ではなく、自らの手で消滅させるしかないという。


「なら、俺はどの道終わりではないか」


 この肉体にあいつがいる限り、この火傷の呪いは消えない。であるならば、何れ火傷跡は心臓に達し、俺の心臓は灰となる。


 ――どう足掻いたってゲームオーバーじゃねぇかよッ!


 激しい怒りが湧き上がり、抑えけれずにベッドに振り下ろした。


「――赦す!」


 そんな俺に向かって、傍らのブランが唐突に声を上げた。


「え……? なんだよいきなり」

「せやから、うちはお前を赦す。もう、人を恨むんはおしまいや」


 彼女の言葉を聞いた直後、なにやら体のふるえるほど喜びがこみ上げる。


「へ?」


 やや蒼白い皮膚の下から悦びが照り出すように、燐光を放ちはじめる。お陽様に照らされているかのように、とても暖かく気持ちがいい。


「………これは」


 鏡を見なくても分かる。鎖骨まで広がっていた火傷跡が、スッと首まで引いていくのが。


 そして、ブランは続ける。


「リオニス・グラップラー! 自分の呪いを完全に解くためには、九姉妹を見つけ出し、一人一人から赦しを請うしかない」

「赦されれば……治るのか?」

「治る!」


 ブランははっきりと断言する。火傷跡が引いたのが何よりもの証拠だ。


「不可能に近いやり方やけど、やらんよりはマシやろ?」

「当然だ!」


 それは余命宣告を告げられた俺にとって、まさに一筋の光明だった。

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