第54話 魔眼

「お前……その眼ッ!?」

「そうさ、僕はもう以前の僕とは違うんだ」


 気障ったらしく漆黒の髪をかき上げたアレスが、見せびらかすように金眼を見開いた。

 瞳のなかにはっきりと六芒星が描かれている。


「お前は自分が何をしているのか分かっているのかッ!」

「当然だ! 僕はリオニス、君を倒すためだけに魔眼を獲得したんだ!」


 【恋と魔法とクライシスⅡ】において、魔眼を手に入れることは禁忌とされていたはず。魔眼とは悪魔の眼であり、悪魔交渉によってのみ手に入れられる危険な代物なのだ。

 悪魔は代価もなしに眼を与えてはくれない。アレスは悪魔にそれ相応の代価を支払っていると考えるのが妥当なところだろう。


 ――アレスのことは好かんが、魔眼はいくらなんでもやり過ぎだ!


 それに、アレスの魔眼は狂戦士ゾッドの魔眼とはレベルが違う。

 魔眼にはランクがあり、もっとも強力と云われている魔眼には、瞳の中に紋様シンボルが刻み込まれている。

 今のアレスの左眼のように……。


「お前はなぜそこまでして俺をッ!」

「そんなの決まってる! アリシアを、みんなを守るためだッ!」

「みんなを……?」

「お前はいつか必ずアリシアをその手に掛け、みんなを不幸にする!」

「そんなことはしない!」

「するんだよ! お前はアリシアを、アルカミアのみんなを不幸にするんだ! だから僕がお前を止めなくちゃいけない! そのためなら僕は、悪魔にだって魂を売るつもりだ!」


 目を尖らせて足をドンと踏んで怒鳴り声を響かせるアレスに、なぜだか胸の中が熱く重苦しくなっていく。


 ――俺がアリシアを、アルカミアのみんなを不幸に……?


 一体何を言っているのだと、俺は眉をへの字に曲げた。


「うぅッ……」


 直後、窓ガラスに爪を立てたような不快な音が頭の中で鳴り響く。


「どうしたんやリオニスッ!」


 目の前がグニャグニャと歪み、平衡感覚がおかしくなっていく。立っているのも精いっぱいな俺の脳内を、またあの光景が埋め尽くしていくのだ。


 燃えさかる炎の中で、抜け殻のようなアリシアを抱きかかえるアレスが俺を睨んでいる。


 ――くそっ、なんなんだよこれは!?


 猛烈な胸の熱さに一瞬息が止まり、脂汗が吹き出してくる。


「アレズッ……」


 ――!? 口が、舌が勝手に動く。

 右腕は意思を得たように腰の杖剣に手を伸ばし、目にもとまらぬ速度で抜刀。

 眼前のアレスに構えていた。


「リオニス……お前ッ!?」

「あらあら、まぁまぁまぁ。うふふ」

「本性を現したな、悪の権化めッ!」


 ――違う! これは俺ではない!!


 体がナニカに乗っ取られてしまったかのように勝手に動くのだ。海老のように体を曲げて痛みから、この支配から抗うよう努める俺は、唇を噛み右手首を掴んで我慢する。


「あらあら、まぁまぁまぁ。またそうやって本当の自分自身を抑え込むのですね」

「――――ッ」

「ええ、ええ。わたくしは忠告したはずですわよ。憎しみの連鎖を断ち切るためには魂に抗わぬことだと。素直になることが一番ですわよ」


 暴れまわりたい衝動をこらえながら、俺はキッと殺気を孕んだ視線でベールに覆われた女を睨みつける。


「だま、れ……おんなッ! にぐい、きざまが……にくい、アレスッ!」

「あらあら、貴方って本当に身勝手な男ですわね。ええ、ええ。貴方のように生まれ変わり、すべてを忘れられたならどれほど幸せだったのでしょう。けれど、わたくしたち姉妹が自らに掛けたこの呪縛は、貴方の魂を消滅させるまで永遠に繰り返される。なにより、わたくしは貴方が大嫌いなのですよ、リオーニス」


 粘っこい感じの声が鼓膜にからみつく。俺を挑発する女が、ベールの内側でほくそ笑んでいる顔が容易に想像できてしまう。その度に、わけのわからない憤りが胸の奥にわく。


 叫びたい衝動に駆られる。

 今すぐにでも、狂ったように暴れまわって楽になってしまいたい。そんな殺人衝動とも呼べる衝迫を抑え込む俺の気など知らず、アレスが放たれた矢のように突っ込んでくる。


「リオニスゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ――――!!」

「――――」


 相変わらずの馬鹿正直で直線的な刺突を打ち払い、俺は水中を泳ぐように上体をふらつかせながら身を引いた。


「ッ!?」


 ――のだが、これまでのアレス・ソルジャーからは考えられない動きを見せる。まるであらかじめ俺がパリィしてから後退することを知っていたかのように、アレスは慌てる素振りを見せることなく、俺の背後にまわり込んでいたのだ。


「言っただろッ! 僕はもう以前の僕とは違うんだ!」


 流れるような下方からの斬り上げに、わずかに反応が遅れてしまう。俺の中のナニカが邪魔して体が満足に動かないのだ。


「うっ!?」

「リオニスッ!?」

「あらあら、まぁまぁまぁ。だからあれほど我慢は良くないと言いましたのに」


 微かに頬に熱が走る。

 こんな状態でなければあの程度、そんなみっともない言い訳を頭の中で繰り返す自分に苛立ちが募る。


「にぐぃ……憎いッ! お前さえ……いなければッ!!」


 ――ハッ!?


 別のことに気を取られたわずかな隙きを突くように、一瞬体のコントロールをナニカに奪われてしまう。


「アレェエエエエエエエエエエスッ!!」


 自分が発した声音とは思えないほどの、獣じみた雄叫びを上げながらアレスに斬り掛かる。


 ――嘘だろッ!?


 放たれた一閃を、アレスが華麗に避けた。


「!?」


 俺は思わず目を見開いてしまう。

 ナニカに乗っ取られて鈍くなっていたとはいえ、以前の彼ならばここまで鮮やかに躱すことなど不可能だったはず。なにより、俺の知るアレスならば回避できたことに気を良くして、無鉄砲な追撃をしてきたことだろう。


 されど、今のアレスは違った。

 冷静に戦局を見極め、一旦俺から距離を取っては呼気を整えている。


 一体何がどうなっているというのだ。以前の彼からはとても想像できない立ち回りに戸惑いを覚えてしまう。人は一月と経たずにここまで成長するものなのか?

 魔眼……やはりあの眼の影響としか思えない。


「ぐぅぅッ……」


 気を抜いたら暴れだしてしまう体を気合で抑え込み、今は眼前のアレスに集中する。

 すると、前方で杖剣を構えるアレスが、先程からぶつぶつと何かを呟いていることに気がつく。


「今のは絶対に攻めるべきだったね。……いいや、違うねッ!」


 この地獄耳はたしかに、囁くようなアレスの独り言を拾っていた。

 それはまるで、見えない誰かと会話をしているようだった。


「バエルは慎重過ぎるんだよ! 悪魔のくせになんでそんなに臆病なんだ!」

「―――!?」


 にわかには信じがたいが、アレスははっきり悪魔と口にした。


 悪魔バエル――俺はその名に心当たりがあった。


 【恋と魔法とクライシスⅡ】をクリアすると、隠し要素としてとある悪魔と交渉することが可能になる。それこそが智慧の悪魔――悪智慧之王バエルである。


 アレスの魔眼が悪智慧之王バエルとの交渉によって得たものだとすれば、かなりまずい。というのも悪智慧之王バエルは66の悪魔軍団を率いる地獄の王の一人なのだ。

 つまり、事と次第によっては地獄の悪魔たちがアレスの仲間になってしまうということ。


 ――冗談ではないぞ!?


「リオニス! お前はもう僕を捉えることすらできない!」

「え? ……ってそれはッ!?」


 アレスの姿が霧のように消えた。

 悪智慧之王バエルの不可視によって透明になったのだ。


 【恋と魔法とクライシスⅡ】において唯一、俺が好きだった透明化による覗きプレイ。

 まさか『Ⅱ』の主人公ロック・シャレットではなく、『Ⅰ』の主人公アレス・ソルジャーが使うとは、もう無茶苦茶ではないかッ!


「ワハハハ――お前に僕は見えないだろ!」


 透明人間となったアレスの姿は見えないが、大きな笑い声がダンジョン内にこだまする。慌ただしく周囲を走りまわる足音も聞こえてくる。


「そこだァッ!」

「っと!」

「――なっ!? くそっ! なんで防がれるんだッ!」


 そりゃ姿が見えなくてもあれほど派手に走りまわっていれば、こちらに居場所を教えているようなものだ。打ち込む前に大声を出すのもどうかと思う。おまけに攻撃する際には透明化が解けてしまう。


 そもそもエロゲ仕様な覗きプレイ用の透明化を、戦闘で使用すること自体がおかしい。


「あっ、また消えた!」


 悪戯がバレ、慌てて逃げ隠れる幼子のように、背を向けて走り出すアレスの姿がまた消える。というか、戦闘中に背を向けるのはさすがにまずいだろ。


 しかも透明化しているのにまたぶつぶつと話し込んでいる。

 それではさすがに透明化の意味がないんじゃ……。


「喋るな? ……なんで? 透明になった意味がない? ………そ、そんなのわかってるよ!」


 その言い方は絶対に分かっていなかっただろとツッコんでやりたい。

 しかし、少し安心するのも事実だ。

 たとえ悪智慧之王バエルという優秀な頭脳ブレーンを手に入れたとしても、結局のところアレス自身がPONなので、然程脅威にはならない。


 けれど、困ったものだな。


「どうすれば良いのだ……」


 今はナニカによる衝動が抑えられているものの、油断すればすぐに狂気の渦に飲み込まれてしまう。


「今度は完璧に決めるぞ!」


 意気込んだアレスの足音を頼りに、俺は何とか防御に努める。

 突如出現したアレスと剣戟を重ねれば、飛び散る火花とともに甲高い鉄の音が鳴り響く。


「チッ」


 短い舌打ちを打ったアレスが離れていく。姿は消えようとも、足音はグルグルと俺を翻弄するように周囲を駆けまわっている。そして頃合いを見計らっては急接近、一太刀打っては再び距離を取るを繰り返す。

 攻撃時に姿が見えてしまう欠点を補うための、ヒットアンドアウェイ戦法のようだ。


 間違いなく悪智慧之王バエルの悪智慧だろうが……にしても夏の蚊のようで鬱陶しくてかなわん。


「――って!? 危ないではないかッ!」


 何処からともなく黒い拳が飛んできた。

 俺はすかさず腹黒い魔女を睨みつけた。


「一対一の決闘にどういうつもりだッ!」

「あらあら、まぁまぁまぁ。わたくしが一体いつ、一対一などといいましたか?」

「なっ!?」


 不愉快を眉間に刻み込んだ俺は、何処かにいるであろうアレスに向けて大声を放つ。


「アレスからもバシッと言ってやったらどうだ? 男同士の戦いに水を差すなと!」

「…………」


 呼びかけに応じるように姿を現したアレスは、困り顔で俺とモルガンを素早く交互にニ回見て、ハッと閃いたように手槌を打った。


「僕は何も見てないし、知らない!」

「は? いやいやいや、そこの黒い手が思いっきり襲って来ただろ!」

「知らない知らない知らなーいッ! 僕が強いからって言いがかりをつけるな! 本当に貴様は悪党らしく卑怯だな」

「どっちがだよッ! ――って!?」

「うふふ」


 言ってる側から黒い手が藪蚊のように襲って来やがる。


「ほら見ろッ! 襲って来てるだろ!」

「ひゅ〜ひゅ〜」


 ――っの野郎ッ! 吹けもしない口笛なんぞ吹きやがって、白々しいんだよ!


「リオニス! 痛ッ!?」

「バカッ、その体では無理だ!」


 援護に来ようとするブランにそこに居ろと手のひらを突き出し、俺はできるだけ彼らをブランから遠ざける形で戦闘を継続。黒い手を打ち払いつつ、透明人間と化したアレスを相手にする。


「避けるなこの卑怯者ッ!」

「無茶言うなッ! アホかお前はッ!」

「アホって言うやつがアホなんだぞ! 僕に謝れッ!」

「くそっ! なんなんだよこのガキンチョはッ!」


 やはりアレスの動きが以前とは比べものにならないほど卓越している。まるであらかじめこちらの動きを計算したかのような手際の良さ。間違いなく悪智慧之王バエルの指示だろう。

 めんどくさいな。


「うぅッ……」


 その上胸の内側では焼けるような痛みとむしゃくしゃが押し寄せてきて、ジリジリと集中力を奪い取ってくる。


「全然当たらないじゃないかッ!」


 すべての攻撃をパリィする俺に、苛立ちを募らせたアレスが地団駄を踏む。


「うるさいうるさいうるさーいッ! お前の言う通りにしたって最初の一撃以降、掠りもしないじゃないか!」


 自分の攻撃が当たらないことを、すべて悪智慧之王バエルのせいにしている。ある意味悪魔よりもたちが悪い。きっとこの状況を魔眼を通して見ている悪智慧之王バエルも、呆れて果てて嘆息していることだろう。


「え……うーん。どうしようかな?」


 アレスの動きが止まる。

 悪魔になにか言われたのだろうか、難しい顔でなにやら考えはじめた。

 そして、耳を疑う言葉を述べる。


「お前ならあの大悪党を倒せるのか? ……本当か? 分かった。そこまで言うなら悪智慧之王お前がやってみろよ!」

「……ん?」


 悪智慧之王バエルがやるとはどういう意味だ。

 言葉の意味を理解できずにいる俺に、傲岸なアレスが胸を張り上げる。


「今から貴様に僕の本気ってやつを見せてやるよ!」


 傲慢な態度でそう言うと、アレスはわざとらしく咳払いを一つして、叫ぶように声を発した。


「へ〜んしんッ!」

「――――なっ、なんだッ!?」


 アレスが目を覆いたくなるような厨ニ病全開なポーズを決めると、これまでのアレスの魔力量を遥かに上回る禍々しい魔力が金眼から放たれる。その圧倒的な魔力の波動により、彼の足下には巨大なクレーターが築き上げられていく。


 周囲の岩壁にも亀裂が走り、カタストロフィを彷彿とさせる地響きにダンジョンが唸りを声を轟かせる。


「……うそだろ」


 真っ黒だったアレスの髪が、左側半分だけ雪のように真っ白に染まっていく。さらに右眼は黒目と白目が反転、別人のようなアレス・ソルジャーがそこにはいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る