第47話 移りゆく状況と状況
時は再び巻き戻る。
「これはすごいな!」
「ええ、まさに圧巻ですわ!」
ボトルダンジョンに降り立ったクレアとアリシアは、先端が天をもこするかと思われるほどの
「そんなに身を乗り出したらパンツが丸見えなんだじょ」
「「「!?」」」
周囲を確認するように塔から身を乗り出すアリシアの背後から、突如聞き覚えのない声が鳴り響く。聞きようによっては男性とも女性とも受け取れる中性的な声だ。
「――何者だッ!」
条件反射とも云える速度で反応しては、腰の杖剣を引き抜くビスケッタ。杖剣の切先が声の主に向けられた後、遅れて鋭い眼光が声の主を捉える。同時にビスケッタが目を丸くする。
「か、かわいい」
瞠目しては頬を上気させるビスケッタとは異なり、アリシアとクレアは前方の生物に鳥肌を立てていた。
「女の子はもうちょっと慎ましやかに行動しないとモテないんだじょ。母ちゃんが言ってたじょ!」
彼女たちの視線の先には、太陽のように真っ赤なボディに八本足の珍生物が佇んでいる。深海生物タコである。
「オイラは試験官のタコル。この試験中お前たちのサポートを任せられているんだじょ!」
ヌルヌルと歩み寄ってくる醜悪な生き物に、アリシアとクレアはたじろぎ、鉄格子に背中をぶつけてしまう。二人とは対照的に、青い髪の少女は刃を鞘に収め、爛々と瞳を輝かせながら膝を曲げた。
「私はビスケッタ・ダーブラ! ペット募集中の伯爵令嬢だ!」
「よろしくだじょ、ビスケッタ」
「親しいものからはビスケと呼ばれている。タコさんも気軽にビスケと呼んでくれ!」
「うん、ならそうさせてもらうじょ。お前たちもよろしく頼むんだじょ」
親しげに声をかけるタコに対し、クレアとアリシアは顔を引きつらせながら「ああ」とか「ええ」とかうわ言のように小さく呟くだけだった。
それから試験について説明を受けた三人は、浮かれた様子で連絡橋を渡っていく。
途中クレアとアリシアは凄まじい爆発音に顔を向けたが、ビスケッタは目下を歩くタコルを目で追うことに夢中となっており気づかない。
――ああ、なんて愛くるしい生き物なんだ!
そのお月様のような体を後ろから抱きしめていいものかと、悶々と一人考えてはにやけ面を浮かべている。見方によっては危ない人である。
ビスケッタから漂うただならぬ空気を本能で感じ取ったタコルは、チラチラと背後を気にしては足早になる。逃しはしないと後を追うビスケッタは、アリシアたちを抜き去りダンジョンへと入っていく。
「あっ、ちょっと!」
「ビスケッタのやつは趣味がおかしいのではないのか?」
「……ええ。彼女は昔から人が眉をひそめるモノを好む習性があるんですの」
困ったものだと嘆息するアリシアは、クレアと共に一人と一匹を追いかけてダンジョンへと足を踏み入れた。
そしてちょうど彼女たちが一次試験を受けるためにトロッコに乗車した時刻、アルカミア魔法学校では不測の事態が起ころうとしていた。
「ヴィストラール!」
「分かっておる」
今の今まで晴れ渡っていたアルカミアの上空が突如、薄黒い雷雲に覆われはじめたのだ。自然現象ではあり得ない雲の動きに、ヴィストラールとブランは怪訝に空を見上げる。
異変に気がついた師範ガーブルが駆け足でやって来るのを横目に認めたヴィストラールは、速やかに生徒たちを寮の食堂に避難させるように指示を出す。
それと同時に、彼は手にしたボトルに視線を落とした。透明なガラス瓶の内側には、不吉な黒煙が渦巻いていた。
「……何者かが試験を妨害しておるようじゃな」
「なんやて!?」
「生徒たちは大丈夫なんですか?」
ヴィストラールが持つボトルに視線を向けたガーブルの顔には、少し不安な暗さが漂っていた。
「こちらは儂とブラン先生で何とかしよう。ガーブル・ブルックリン先生は学内にいる生徒たちの避難を優先してほしい」
「御心のままに……」
目礼してから校内に駆けていく魔法剣の教師を見届けたヴィストラールは、アルカミア魔法学校、その天守閣に目を凝らす。
「どうやら、招かざる者たちがやって来たようじゃな」
天守閣の尖端部には、黒一色を身にまとった何者かがアルカミアを見下ろしていた。
「ヴィストラール!」
黒ずくめの存在に気がついたブランが息も切れるように叫ぶと、彼は小さく首肯する。
「おそらく黒の旅団じゃろう。彼らの狙いは……果たして何かの?」
「黒の旅団の頭領がモルガンなんやったら、まず間違いなく狙いはリオニス・グラップラーや!」
自信満々に言い切るブランだったが、最高の魔法使いは腑に落ちない表情で髭をなでた。
――だとしたら、なぜモルガンは茶会の席でリオニスに何もしなかったんじゃ?
分からないと言うように、ヴィストラールは困惑の表情を覗かせた。
「うちをボトルダンジョンに入れてほしい!」
ヴィストラールは眉間にしわを寄せて、困ったように唸った。「ふむ……」と考えあぐねるように視線をさまよわせていたが、
「モルガンは必ずリオニスに復讐するために来とるはずや! うちはあいつを止めたい!」
彼女の熱意に負けたと言わんばかりに、さまよわせていた視線も最後には彼女ほうへ向けられた。
「何よりも生徒の安全が一番じゃ、約束はできるかの?」
「分かっとる! うちかてもうアルカミアの教師なんや!」
「うむ。儂もあやつらを片付けたらすぐに向かおう」
そう言ったヴィストラールの視線の先には、無数の魔法陣が宙に張り付いていた。そこから続々と漆黒の翼を有するガーゴイルの群れが飛び出してくる。今やアルカミアは魔王城と化しており、上空を魔物たちが我が物顔で跋扈する。
「ほな、行ってくる!」
毅然とした態度でいうと、ブランはヴィストラールが手に持つボトルダンジョンの口に手をのばした。彼女がボトルの中に入ったことを確認したヴィストラールは、懐にボトルを押し込み敵を見据える。
「すまんが時間が惜しい。はじめても構わんかの?」
転瞬、雄叫びを上げたガーゴイルの群れが一斉にヴィストラールへと翼を広げた。
時を同じく、ボトルダンジョンへと降り立ったブランは、懐かしくも強力な魔力の波動にモルガンの存在を明確に感じ取っていた。
「だだ漏れやないか。自分の存在を誇示したがるあいつらしいわ」
懐に手を伸ばしたブランは、内ポケットから鉛筆ほどのサイズの箒を取り出した。
「あるべき姿に戻れ」
唱えると、小さかった箒は瞬時にあるべき姿へと大きさを変えた。
「今行ったるわァッ!」
箒に跨がったブランがダンジョンに向かって飛び去っていく。
その頃、二次試験会場に向かって歩いていたチームアリシア一行は、得体のしれない不安感に襲われては、身を寄せ合っていた。
「アリー、私から離れないで!」
「全身を針で刺されているような、この嫌な感覚はなんですの!」
「一つはっきりしていることがあるとするなら、何か良くないモノが潜んでいるというくらいだろう。どうなっている試験官」
「わ、わからないじょ! こんなの事前に受けた説明にはなかったんだじょ!」
ダンジョンの奥から不穏な空気、といったようなものが漂っている。 彼女たちのいわれのない不満、いらだちといったものが複雑に入り混じって、一触即発の緊迫した空気となっていく。あたりの空気が重みをもっていて、四方から圧し縮まってくるような息苦しさを覚える一同。
「なんの音だ?」
長く美しいクレアの耳先が、微細な音を拾おうとピクピク動く。
「何も聞こえませんわよ?」
「アリー、ハーフエルフは我々より聴力が優れている」
「クレア、貴方には何が聞こえていますの?」
瞼を閉じたクレアは音に全集中。
彼女は暗闇のなかで音の形を掴もうと試みる。すると、次第にクレアの脳内にイメージとしてのビジョンが浮かび上がってくる。
「うめき声だ」
「うめき声、ですの?」
分からないというように疑問符を頭に浮かべるアリシアの足下で、ひどく神妙な顔つきのタコが続けてくれと言葉を投げかけた。
「何かを引きずるような音……何かを運んでいるのか? それがうめき声を上げながら暴れているようだ。それにこれは、足音だ!」
「数は?」
腰の杖剣に手を伸ばしながら、鋭い声でビスケッタが問う。
「三……いや、引きずられているのも含めると四? わからない。確実なことは三人組がこちらに向かって来ているということだ」
ハーフエルフの報告に、タコルは喉の奥で小さくうなった。
――このルートにはオイラたちの他には誰もいないはずだじょ。何か……何かすごく嫌な予感がするんだじょ。
「みんなすぐに逃げられるようにするんだょ! 危ないことはしちゃダメなんだじょ!」
「安心するんだタコさん! 誰にもタコさんを捌かせたりはしない! こんなに愛くるしい生き物を、刺し身になんてさせてなるものか!」
「何を訳のわからないことを言ってるんだじょ!」
「そうですわ! 火を通さなくてはお腹を壊してしまいますわよ」
「なら、タコ揚げなんていいんじゃないか?」
「少し油っこくはありませんか?」
「やめるんだじょ!!」
「冗談だ」
「冗談ですわ」
悪戯に微笑む二人に、こんな時に冗談なんてやめるんだじょと頬を膨らませるタコ。そんなタコに青い髪の女剣士はデュフフと鼻息を荒くさせた。
――か、かわいいッ!!
「悪気はない。場を和ませようとしただけだ」
「同感ですわ。息が詰まってしまいますもの」
「お前たちのブラックジョークは洒落になっていないんだじょ!」
沸騰したヤカンのようにプンプン怒るタコをよそ目に、クレアが尖った声音を発した。
「来るぞ!」
緊張の瞬間、前方の暗闇からダンジョンに不釣り合いなヒールの音が鳴り響く。闇の中から姿を現したのは、不気味な黒いベールで顔を覆った女だった。
「あらあら、まぁまぁまぁ。予想通り、ちゃんとエンカウントしましたわね。うふふ」
ベールの下で妖艶な微笑みを浮かべる女に、三人と一匹は得体のしれない恐怖心を感じていた。
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