第48話 動けぬ者たち

「で、この中に第三王女はいるのか?」

「安心して。ちゃんと居るから。ほら、そこのチョココロネみたいな髪の女、あれがアリシア・アーメント。この国の第三王女よ」


 ベールの女に続いて姿を現したのは、二メートルを優に越える大男と、ボーイッシュなショートヘアが印象的な美少女。ゾッドとニーヴである。

 アリシアとビスケッタは女の方に目を留める。鼻につく甘い香りと、大人びた雰囲気の彼女に見覚えがあった。


「貴方、ニーヴ・シャレットですわね! こんなところで何をしていますの」


 以前パーティで何度もニーヴを見かけていた二人は、彼女がシャレット家の令嬢だとすぐに分かった。

 名前を呼ばれたニーヴ本人は、意外そうに目を大きくした。


「へぇー、わっちのことを覚えてくれていたんだ。ちょっと意外かも。死神くん同様、わっちになんて興味がないものとばかりに思っていたよ」

「アリーはなぜ居るのだと聞いている! 答えろッ!!」

「怖っ!? えーと……あっ、ごめん。興味なさすぎて君と君のことは分からないかも。きっとあの時の彼もこんな気持ちだったのかな?」


 腐敗臭をかいだように顔をしかめるビスケッタと、私もお前など知らんとノーダメージなクレア。そんな二人を尻目にアリシアは大男が引きずる人物に視線を流し、短く声を上げた。


「アレスッ!?」

「うぅ〜〜〜ん! んんっ〜〜〜ん!!」


 手足を縛られ口枷を付けられたアレス・ソルジャーが、陸に打ち上げられた魚のように跳ねていた。


「貴方たち一体何をしていますの!?」

「気にするな。少し貴様をいたぶると伝えた途端に暴れだしたので、こうして縛っているだけだ」

「「「「!?」」」」


 大男の発言に、この場は途端に凍りつく。

 ビスケッタはアリシアを守ろうと刃を抜き放って戦闘態勢に入ったが、誰かに後ろから膝の裏を押されたようにガクンッと膝が折れてしまう。


「なっ!?」


 ビスケッタだけではない。アリシアもクレアもついでにタコも、次々に地面に手をついていく。

 皆同様に、自分の身体に何が起こっているのかが理解できないといった表情をしている。


 ――なんだ、これは?


 視界が霞はじめて、眼前の女が三重にも重なって見える。

 ビスケッタは頭を振り、杖剣を杖のように見立てて立ち上がろうと試みるも、上手く身体に力が入らない。なにより先程から動悸が激しくなる一方だった。


 もう一度眼前の女に目を向けると、ニーヴ・シャレットが蔑みに満ちた顔で自分を見下ろしていた。瞬刻、ビスケッタの脳裏に彼女の二つ名が過ぎった。


 ――毒使いポイズンレディ


「まさか!?」

「ようやく麻痺毒が回ってきたかな? どう? わっちお手製の毒の効き目は?」

「毒ですって!?」

「一体いつの間にッ!?」

「オ、オイラは生だろうが揚げだろうが美味しくないじょ!?」


 事の深刻さに気がついた彼女たちの顔が青ざめていく。

 驚きで脳が揺さぶられる彼女たちに、ニーヴは得意げに毒を盛った方法を語り出した。


「このパフュームを向こう側から君たちに向かって放っただけ。それを風魔法でゆっくり君たちの方に流せば……ほら、とても簡単」


 ニーヴは見せつけるように毒の入った小瓶を鼻先に運び、香水でも楽しむかの如く匂いを嗅いだ。特殊体質の彼女はあらゆる毒に耐性があった。


「これは深い愛情の香り。彼を振り向かせるためだけに考え、試行錯誤を繰り返した愛毒香ラブ・パフューム。これでわっちをスルーすることなんてできなくなる。誰もがわっちの注目になってしまう」


 毒の香りに陶酔するニーヴは、膝をついて口元を押さえるアリシアに辛辣な視線を浴びせる。敵愾心やら嫉妬やら、憎しみやらを絞り出す彼女の顔が憎悪に満ちる。


「う゛ぅッ……」


 積年の怨みを晴らすかのように、ニーヴはアリシアの手を踏みぬいた。苦痛に歪む彼女を見下ろしてはほくそ笑む。


「アリー!?」

「うぅ〜〜〜ッ!!」


 目の前で守るべき主君が苦悶の表情を浮かべているというのに、何もできない自分自身に苛立ちを募らせるビスケッタ。それは地面で芋虫のようにモゾモゾ動くアレスも同様だった。クレアとタコルはじっと逃げだす機会を窺っている。


「わっちは初めて会った幼少の頃からずっと、君が大嫌いだったよ。たまたま王様の娘に生まれ堕ちただけの君が、努力も苦労もせずに全部を手に入れる。不公平だと思わない?」


 踏みにじられた第三王女の手の甲が赤く腫れあがっていく、


「貴様ァッ―――!!」


 非道な行いに怒りが燃えだし、感覚が無くなりつつある身体でビスケッタは立ち上がった。そのまま気合一閃、憎き女に向かって杖剣を振るうも、鈍った身体から繰り出された一太刀はあっさりとニーヴに躱されてしまう。


「へぇー、すごいすごい。その状態から立ち上がって一太刀振るうだなんて、君って意外とタフなんだね。でも残念。当てられない一太刀ほど無意味なものはないよ。それはどれほど想っても、存在すら認められないことと同じくらいに惨めなこと。そう思わない?」

「くッ……はぁ……はぁ………」


 病魔に冒された末期癌患者のように息も絶え絶えになりながら、ビスケッタは気合だけで眼前のニーヴを睨みつけた。


「君、自分の立場わかってる?」

「だまれッ……」

「ねぇ、別に殺しても構わないんだよね?」


 ニーヴはベールの女に問いかけた。

 女は少し思案する素振りを見せ、


「ええ、ええ。ただのまき餌に過ぎませんから構いませんことよ。それに、彼により強い憎しみを与えるためには名案かもしれませんわね」

「そっ。なら死んでよ――」


 立っていることも精いっぱいであろうビスケッタに微笑みかけたニーヴが、腰の杖剣に手を伸ばした、その時――


「話が違うだろッ!」


 噛まされていた口枷を自力で外した少年が吠えた。


「はぁ。また君? あのね。言ったよね? 君の大好きなアリシアちゃんは殺さない。彼女は彼と彼女を呼び寄せる餌、大人しくしてもらうだけだって」

「ふざけるなッ! 僕だってたしかにあの悪党を殺すことは賛成した! けどな、関係ない人たちを巻き込むことを認めた覚えはないぞ!」


 アレスはリオニスを殺すために黒の旅団に入団したが、基本的にリオニス以外の人を傷つけるつもりは毛頭ない。彼は善人ではないが、悪党ではないのだ。


「ええ、ええ。そうね。そうですわね。けれど、目的を果たすためには手段を選んでは要られないのではないかしら? 貴方も最悪を変えたいのでしょ?」

「それは……そうだけど」


 不貞腐れたようにくちびるを尖らせるアレスに、モルガンは続ける。


「まぁまぁまぁ、愛する者を救うためには、時に犠牲はつきものなのです。なにより、彼女はアリシア殿下を救いたいと仰っているのですよ? 彼女が死ぬことで彼を殺せるのであれば、結果的に彼女はアリシア殿下を救ったということになりませんか? これぞ自己犠牲の精神なのです。素晴らしいではありませんか!」

「うるさいうるさいうるさぁーいッ! そういうことを言ってるんじゃないんだ!」


 アレスが騒ぎだしたことで興を削がれたニーヴは、すでにビスケッタのことなど眼中になかった。彼女の興味は直に会えるだろう炎雷の死神に向けられていた。


 ――これなら何とかなる!


 ベールの女とナンパな少年が話し合っている隙きに、息を潜めていたクレアが解毒の呪文を小さく唱えていた。

 完全に解毒に成功した訳ではなかったが、手を開いて閉じてを繰り返す彼女は、今しかないと覚悟を決める。


「「「「―――!?」」」」


 アリシアとビスケッタの襟首を掴んで走り出したクレアに合わせて、タコルは周囲に煙幕代わりの墨霧を吐き出した。


「振り返らずに走るんだじょ!」


 彼女たちだけでもこの場から逃がそうと、蒸気機関車の如く煙を吐き出し続けるタコル。


「あらあら、まぁまぁまぁ。元気な娘は嫌いじゃありませんよ」

「ゴホッゴホッ、今度はなんなんだよ!」

「二人抱えてわっちらから逃げ切れるなんて、本気で思ってないよね?」

「無駄なことを」


 瞬く間に墨霧に包まれるダンジョン内を無我夢中で駆け出したクレアだが、気がつくと岩壁に肩から叩きつけられていた。


「ぐわぁッ!?」


 放り出されて地面を転がるアリシアとビスケッタは、二転三転するこの状況に理解が追いつけないでいる。


「「「クレア!?」」」


 とてつもない肺活量によってゾッドが墨霧を吹き消せば、側頭部から血を流して倒れ込むクレアの姿が真っ先に飛び込んでくる。次いで宙に浮いた巨大な黒い手と、抉れた岩壁が視界を埋める。


「「「!?」」」


 その不気味な黒い手に、二人と一匹は蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり血の気の引いた唇を固く結んでいく。


「な……んですの、あれは」

「手の……化物」

「これは、洒落にならないんだじょ」


 絶体絶命の窮地に陥った彼女たちの元へ、大男は背の荷物を解きながら歩み寄る。


「面倒だ。逃げられぬように脚を斬り落とす」

「ぐぅぅッ……ぅっ」


 近付いてくる大男から逃げなければと思うクレアだが、脳震盪を引き起こしており立ち上がることすら困難。ナメクジのように這ってこの場から逃げようとするも、遅々とした速度では逃げ切ることは叶わない。


「うわぁッ!? 離せッ……やめろ! 私に触るなッ!?」


 髪の毛を掴まれて持ち上げられるクレアの背後で、重量感のある音が鳴り響く。巨大な鉄塊が地面に叩きつけられた音だ。


「やめなさい! その手を離しなさい! 私たちはもう逃げませんからッ!!」


 アリシアの必死の願いも届かず、大男は鉄塊をゆるりと持ち上げた。


「動けぇえええええええええええええええええええええ!!」


 仲間の窮地に再び杖剣を大きく横に振りかぶり、突撃をかけるビスケッタだが、


「――うばぁッ!?」


 いつの間にやら凄まじい勢いで壁に叩きつけられていた。

 黒い手が羽虫を払うように、彼女の身体を振り払っていたのだ。


「――て……オ、ス………けて」


 最後の力を振り絞り、彼女は人形に向けて声を振り絞っていた。


「――けてくれ! リオニスッ!」

「今ッ、動けぬようにしてくれるッ!」


 地を這うクレアの両脚めがけて鉄塊が振り下ろされた。砂塵を舞い上げ、叩きつけられた鉄塊が爆音を轟かせる。


「いやぁあああああああああ!?!?」


 動けずにいるアリシアの絶叫が轟き、血反吐を吐くビスケッタが地面に拳を払う。毒使いポイズンレディに足踏みされるタコルは自らの不甲斐なさに涙をこぼした。

 その場の誰もが絶望に顔を染め上げ、恐怖に顔を歪めていく。


「「「「「「!?」」」」」」


 しかし、砂埃が止むとクレアの姿はどこにもなく、その場に居合わせた者たちは状況が掴めずにギョッと目を見開いた。

 ただ一人、モルガンだけは「うふふ」とベールの内側で不気味に微笑んだ。


「待っていましたわ!」

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