第41話 フードファイター

 翌日は目覚めが悪かった。

 きっと昨夜ヴィストラールとブランから、突拍子もない話を聞かされたからだろう。


「俺がブランたち姉妹の復讐相手?」


 馬鹿馬鹿しい。


「元異世界人の俺がどうやって九姉妹の怨みを買うというのだ」


 そこまで言ったあと、窓の外に広がる曇天模様を眺めながらふと思う。

 この世界は俺が前世でプレイしていた【恋と魔法とクライシス】の世界である。ならば、俺ではない本来のリオニスがその復讐相手だったとしたならどうだろう?


「………まさか、な」


 ベッドから抜け出して姿見に映る自分自身をまじまじと見る。


「痛ッ―――」


 顔の火傷跡がわずかに疼いた。

 頭の中にはいつか見たあの光景が鮮明に浮かび上がってくる。

 轟々と燃えさかる炎のなかで、光を失ったアリシアがこちらを見ていた。泣き叫ぶアレスの声は、やはりノイズがひどくて聞こえない。


「う゛ぅッ……」


 激しい頭痛に内側から頭蓋を圧迫されてるんじゃないかと思うほどズキズキと脈打ち、痛みは頬から喉を通って心臓へと這っていく。心臓の動脈に合わせて熱が身体を走り抜ける。焼けるように心臓が熱くなって、俺は胸を押さえながら床に額を打ちつけた。


 熱い、苦しいッ!


 体の奥底から得体のしれないナニカが迫り上がってくる感覚。今にも爆発してしまいそうなそれは、仄暗くドロリと内側でとぐろを巻く。


「――さま……リオ……ス………ま、リオニス様!」


 肩を掴まれて大きく体を揺さぶられた俺の眼前には、今にも泣き出してしまいそうな侍女の姿があった。ユニだ。


「リオニス様どうしたの!? 顔色が真っ青なッ―――!?」


 一瞬にして視界がぐるりと回る。次いで何かが倒れる大きな物音が耳をつんざく。

 今の今までペルシャ絨毯の繊細な模様が視界いっぱいに広がっていたはずなのに、気がつくと蒼白い顔がそこにあった。


「――――ッ!?」

「……リオ………ニス、さ……ま」

「ユニ――――ッ!!」


 俺は慌てて掴んでいた細首から手を離し、馬乗りになっていた彼女から飛び退いた。


「俺は何ということを……すまない。ほんとにすまないッ」


 咳き込む彼女がのっそりと上体を起こした。


「ユニは大丈夫なの。それよりリオニス様、一体どうしてしまったの?」

「わからない……わからないんだッ」

「リオニスさま……」


 床に座り込んだまま、俺は震える手のひらに視線を落とす。

 今もまだ、この手には彼女の首を絞めた感触が不気味なくらいにはっきりと残っていた。


「………」


 俺は自分が恐ろしかった。

 これまでにも俺のなかに潜むナニカが暴れそうになることは何度もあったけど、実際に手をあげることは一度もなかった。いつも寸前で自制できていた。

 だが、先程は止められなかった。ユニを傷つけてしまった。


「リオニス様……!?」

「!?」


 手のひらに視線を落としたまま動けずにいると、再びものすごい勢いで肩を掴まれた。耳のそばで大砲を打たれたような声に驚き、わずかに顔を上げると、何かに驚いて目を白黒させるユニがいた。


「リオニス様……跡が、火傷の跡が……」

「え……?」


 俺はゆっくりと顔に手を伸ばし、頬から顎先に恐る恐る指先をずらしていく。


「……っ」


 指先が首に触れた瞬間、たまらず息を飲んだ。

 首に達していた火傷の跡が、明らかに広がっていたのだ。

 立ち上がっては急いで姿見で確認する。


「また、広がっている」


 今しがた鏡に映った自分自身を見たときには、たしかに火傷跡は首の辺りまでしかなかった。けれど現在、服を脱ぎ捨てて確認した火傷跡は、左鎖骨辺りまで伸びていた。


「なぜだ? 一体どうなっている」

「すぐにお医者さんを呼ぶの!」

「ユニ!」


 血相変えて部屋から飛び出そうとする侍女を、俺は呼び止めた。


「無駄だ。これはそういう呪いなのだ」

「でも、でもッ!」

「それより、お前の方は大丈夫なのか? 俺は……お前に何ということを。謝って赦されることではないということは分かっている。けれど、すまん! この通りだ」

「やめてほしいの! 公爵家の人間が端女なんかに頭を下げてはいけないの。お願いだからやめるのッ!」


 折り目正しく頭を下げ続ける俺を、ユニは力強くでやめさせようとした。

 だけど、俺は決して頭を上げなかった。女の子に手をあげた自分自身が赦せなかったのだ。


「赦すの! 赦すから、だからもうやめてほしいの!」


 今にも泣き出してしまいそうなユニの声が、痛いくらいに脳に突き刺さっていた。


「ユニは本当なら、リオニス様に殺されても仕方ない女なの! だからやめてほしいのッ!」

「そんなわけないだろッ! 俺がお前にどれだけ救われてきたと思う。誰もが化物を見るような目で俺を見るなか、お前だけはずっと傍に居てくれた。そんなお前に……俺は」


 最低だ。自分が赦せない。


 一体どれくらいの間二人でそうしていたのだろう。

 ソファに移動した俺に、ユニは温かいルフナを淹れてくれる。


「これを飲んで落ちつくの」

「ありがとう」


 独特のモルティーさと舌に転がる黒糖のような甘みに、疲弊していた心が癒やされる。


「少しは落ちついたの?」

「本当にすまなかった」

「やめるの。ユニはこの通り全然気にしてないの」


 明るく振る舞って、俺を和ませようとしてくれているのだろう。本当によくできた侍女だ。


「試験も近いの。今日は一日しっかり休むことをおすすめするの」

「そう、だな」


 ユニの提案を受け入れ、今日一日学校を休むことにした。

 そして俺は先程のお詫びにと、彼女を昼食に誘った。

 はじめこそ気を遣わないでくれと言っていた彼女だったけれど、店にやって来た頃にはすっかり上機嫌だった。

 ちなみに昼食にやって来た店は昨日ブランに連れてきてもらった酒場だ。決してもう一度長ネギとベーコンのキッシュが食べたかったからではない。断じて違う!


「あっ、キッシュばかり頼んでいるの!」

「ここのキッシュは絶品だからな! 是非ともユニにたくさん食べてほしくて……ついな」

「またそんなことばかり言ってるの。本当は自分が食べたいだけなの!」

「バレたか!」

「当然なの! リオニス様を一番見てきたのは他の誰でもなくユニなの!」

「そりゃ違いない」


 二人で楽しく談笑していると、冒険者風のガラの悪い男たちが歩み寄ってきた。せっかくのユニとの外食を邪魔されたくはない。睨みつけて追い払ってやろうかと思案した直後、


「兄ちゃんあの武闘派で有名なグラップラー公爵家の人間なんだってな!」

「通りで強ぇわけだ!」

「いやー、昨夜はたまげたぜ! あんな化物をよく一人で押さえ込めたもんだ」

「町のみんなもあんたに感謝してたぜ」

「どうだい? 俺に一杯奢らせてくれねぇか?」


 俺たちの席はあっという間に店の常連たちによって囲まれてしまった。


「え、あっ……いや、その」


 人から感謝されることなどなかった俺は只々びっくりしてしまい、どう返事をしたらいいのか分からずに右往左往してしまう。


「ほらほら、退くぺこ退くぺこよ!」


 人混みを押しのけるのは、大量のキッシュを運んできたウエイトレス。


「なんだよペコル、そのアホみたいなキッシュの量は!」

「いくら何でも町を救った公爵家の子息にその嫌がらせはねぇだろ」

「バカ言うなだぺこよ! これはこちらのお客様が頼んだキッシュぺこ!」

「これ、全部か!?」

「っなわけねぇだろ! 付くならもう少しマシな嘘を付きやがれ!」

「嘘じゃないぺこ! お客様が頼んだぺこよね?」


 テーブルを埋め尽くす程のキッシュに、集まった常連たちは奇妙な顔をしていた。

 ペコルと呼ばれたうさ耳娘が注文の品は間違っていないか尋ねれば、彼らの注目が一斉に俺に集まる。少し恥ずかしくて顔が熱くなるけど、俺は間違いないと首を縦に振る。


「ほら、見ろだぺこよ! このお客様に奢るならエールよりもキッシュぺこね!」


 すると、あちこちからキッシュの注文が飛び交った。

 どうやら皆が俺にキッシュをご馳走してくれるようだ。


「リオニス様は本当に変わったの。ユニはとってもハッピーなの!」


 嫌われ者だった俺が誰かから感謝される。そのことを自分のことのように喜んでくれるユニに、俺もつい顔がほころぶ。


「よし! では頂くとするか!」

「はいなの!」


 大量のキッシュをユニと二人でせっせと食べ始める。その様子を物珍しそうに見つめるギャラリーたちからは、次第に声援が飛び交う。

 ここはまるで大食い会場のようで、さしずめ俺たちは決勝を争うフードファイターといったところだろう。


「ゲプッ、もう食べられん」

「一生分のキッシュを食べたの。しばらくキッシュは作らないの」

「それだけは勘弁するのだあああッ!」


 こうして、ズル休みした俺の休日は過ぎていった。

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