第40話 グリモワール

 あれからヴィストラールに言われた通り寮に行き、俺は与えられていた自室で服を着替えた。

 途中一階の廊下でティティスやクレアたちとすれ違ったけれど、俺は空返事で二人の脇を通り過ぎ、学生寮をあとにする。


「はぁ……」


 そして現在、俺はいつかと同じように校長室の前にいた。

 ノックをするとヴィストラールの声が返ってくる。


「待っておったよ」

「……」


 あの時と違って言葉を発することが可能なのに、俺は小さくうなずくことで精一杯だった。

 ヴィストラールの隣には悄然としたブランの姿もある。彼女も着替えていた。私服だろうか。修道服ではなく、シンプルな白シャツとカーキ色のパンツスタイルだった。首から下げた十字架がなければ、彼女が聖職者だということは誰にも分からないだろう。


「……」

「………」


 ブラン・ル・フェはやはり俺と目を合わせようとしない。それどころか、あからさまに目をそらした。顔色が良くなっていることから、解毒の呪文を使ったことだけは確かだろう。


 しかし、喧しさだけが取り柄だった彼女からは、今のしおらしい姿は想像できなかった。

 だから俺はどんな顔をしたらいいのか分からずに、少し困ったように眉をひそめた。


「さて、夜の海を眺めながらの話し合いとするかの」


 ヴィストラールが手を叩くと、それを合図に大きな海亀が砂の中から現れた。


「げっ!? なんだこれ!」


 クルッとひっくり返った亀の周りに、子亀が三匹現れて、今度はひっくり返ることなく甲羅の中に引っ込んだ。


「ほれ、リオニス・グラップラーも座ったらどうじゃ?」


 どうやら亀は椅子とテーブルのようだ。わずかに戸惑いを見せていたブランだったけど、何かを言いかけて、やがて諦めたようにちょこんと甲羅に座った。

 俺も彼女を見倣い、正面の甲羅に腰を落ち着かせる。ヴィストラールは斜め前に座っていた。


「夜も更けておる、二人ともジュースで良いかの?」

「うちは、できれば酒がええな」

「ならん」

「せやけどっ! こんなんシラフじゃ話せんやろ」

「……それでも話さねばならんこともある。お前さんが本当に聡明な彼のように、過去を断ち切り赦すというのならば、尚更じゃ」


 二人が何の話をしているのかはさっぱり分からなかったけれど、対面にいる彼女の深刻な顔を見れば、只事ではないということだけは俺にも伝わった。


「……俺はジュースで構わない。でもできれば、パイナップル味がいい」

「海じゃからな。雰囲気は大事にせねば」


 その通りだと、俺は軽くうなずいた。


「……うそだろ」


 ヴィストラールが海に向かってパイナップルジュースを三つと叫べば、洒落たテンガロンハットをかぶった二足歩行のヒトデが海から現れた。

 パイナップルジュースを力強く亀のお腹に置くと、何時だと思ってんだよ! 悪態をつきながらヒトデは海に帰っていった。


「……なんやねん、あれ」


 度肝を抜かれたのは俺だけではなかったようだ。ブランも相当ショッキングだったようで、何度も睫毛を鳴らしていた。

 目が点とはこのことだ。


「予期せぬ愉快な驚きに、二人の緊張も少しは解けたかの?」


 夜の海辺は、すっかりいたずらな微笑みをたたえる好々爺のペースだった。

 重りを詰められたように重たかったお腹も、いつの間にか少し軽くなったような気がした。さすが最高の魔法使い。


「さて、何から話すべきかの」


 優しく問いかけるヴィストラールの視線に居心地が悪かったのか、くちびるを尖らせたブランが明後日の方向を向いた。矢継ぎ早にパイナップルジュースを手に取ると、それを一気に飲み干した。


「うちの名前はブラン・ル・フェ。せやけど、本当の名前は別にある。ううん、それが偽りの名前なんかもしれんへん」


 グラスを亀のお腹に叩きつけるように置いたブランは、空になったグラスを見つめながら、まるで独り言のように言った。

 亀は少し痛かったらしく、わずかに身じろいだ。


「さっぱり意味が分からないんだけど?」

「うむ。つまりこういうことじゃよ。ブラン・ル・フェとは、彼女の前世からの名だということじゃ」

「―――前世!?」


 雷に撃たれたような衝撃が全身を駆け抜けると同時に、やっぱりかと思う自分もいた。


「以前、儂が炎の呪いについて語ったことを覚えておるかの?」

「アヴァロンの……九姉妹か」

「うむ。にわかには信じられんと思うが、彼女は亡国の姫君の生まれ変わりなんじゃよ」

「!?」


 ということは、俺のように別世界から転生したわけではないのか。


「儂も彼女から打ち明けられた時は驚いたが、同時に納得もした。あの枢機卿が親代わりに名乗りを挙げたのはそういうことじゃったのかとな」

「ブランの親代わりだったという人か?」


 蓄えた白ひげをさすりながら鷹揚とうなずくヴィストラール。


「あの人は真実の魔法書グリモワールを持っとったから、はじめからうちがブラン・ル・フェやって知っとったんや。知っててうちを受け入れてくれた」

「真実の魔法書グリモワール? はじめて聞くな」

「亡国の姫君たちは死の間際、強く世界を呪ったという。必ずこの世界に復讐するとな。その想いは炎の呪いとなり、世界に火をつけることになったんじゃ」


 その際、モルガンは輪廻眼魔眼を用いて九姉妹に転生の呪いをかけたという。自分たちが復讐を遂げるまで、深い悲しみのなかで魂は永遠と輪廻を繰り返すという、地獄の所業とも呼ぶべき呪いを。


「なんで姉妹にそんなことを!」

「忘れへんためや」

「同時に復讐が達成されなかった際は、この世界を憎しみの業火で焼き尽くすためじゃよ」

「炎の呪いでか?」

「モルガンが姉妹にかけた呪いにはの、輪廻を繰り返す毎に彼女たちが世界にかけた炎の呪いを強化するという効果があるらしいんじゃよ」

「ブランたちが生まれ変わるたび、炎の呪いが強くなるってことか」


 炎の呪いはやがて世界を飲み込むだろうと、ヴィストラールは懸念を抱く。

 それはポトフリス神話に出てくる終末の時であるのだと。


「神々を殺した人間は神々に代わって神座に就いたのじゃが、神々の呪いによって世界は終末を迎える。亡国の姫君たちは神話の神を模倣したのじゃよ」

「うちらの魂はいわば増幅装置や。輪廻を繰り返すたびに苦しさは増し、それは同時に世界を覆う呪いとなる」


 膨れ上がった炎の呪いは、いずれ世界を覆い尽くし、この星を飲み込んでしまうとブランは言う。

 自分たち姉妹の怒りと悲しみが世界を滅ぼすのだと。


「止める方法はないのか?」

「世界に掛けられた呪いを解くには、亡国の姫君たちの怨みを鎮める必要があるらしいんじゃ」

「どうすればブランたちの怨みは消えるのだ?」

「止める方法は二つ。一つはうちらが自ら怨みの根源を断ち切ること。つまり、うちらが火炙りとなった原因を作った人物を、赦すことや」


 方法を聞いた俺は怪訝な顔をしてしまう。

 それほどの怨みを抱く相手を、果たして赦すことなど可能なのだろうかと、単純に疑問を抱いてしまったからだ。


「もう一つは、怨みの根源たる魂を虚無に消し去ること。原因となった人物の魂そのものをこの世界から消し去ればええっちゅうことや。復讐を遂げたらすべての呪いは消え去るんやからな」


 要は復讐相手を見つけ出して、そいつの魂を葬り去るってことか。

 一より全。

 気が引ける話だが、世界が滅びるよりは余程いいと思う。


「でもさ、その相手をどうやって見つけるんだよ? そいつも大昔に死んでいるのだろ?」

「そこで必要となってくるのが、真実の魔法書グリモワールじゃよ」

「なんでわざわざ喋る本が必要なんだよ?」

「真実の魔法書グリモワールにはいつどこで、彼女たちが生まれ変わっておるのかが記されておるのじゃよ」


 なるほどと手槌を打つと同時に、単なる日記ではなかったのかと思案する。


「だからブランの親代わりだった枢機卿はブランの正体を知っていたのか!」


 如何にもと同意するヴィストラールは、真実の魔法書グリモワールが全部で十冊あることを教えてくれた。


「そのうちの一冊は儂が保管しておる」

「すごいではないか!」

「以前何者かが禁書庫に忍び込んだからの、今はさらに厳重に保管しておるよ」

「………そう、なのか」


 絶対に俺たちのことではないか。

 だが、これで分かったことがある。

 あの日モルガンが禁書庫に忍び込んでいたのは、真実の魔法書グリモワールを手に入れるためだったのだろう。

 しかし、禁書庫が無数に存在するため、モルガンはそれがどこにあるのか分からなかったのだ。


「うちはな、うちを世界を滅ぼす魔女と知りながらも、それでもうちを受け入れてくれたあの人のようになりたいんや。せやから、ヴィストラールから石化事件の話を聞いたときは驚いた」


 ブランの親代わりを務めた枢機卿は、彼女に慈愛の心を説き続けたという。


「ん……? でもなんで石化事件を聞いてブランが驚くのだ?」

「お前さんが話してくれたある人物の名を儂が口にしたからじゃよ」


 あっ!? と思わず亀の腹に手をつき尻を浮かせた。


「モルガン・ル・フェ!」


 二人はそうだという風に大きく頷いた。


「儂もその可能性は視野に入れておったんじゃが、まさか本当に本人だとは夢にも思わんかった」


 ブランに自分が九姉妹の一人だと正体を打ち明けられてようやく、ヴィストラールも石化事件の黒幕が九姉妹のモルガン・ル・フェ本人だと考えるようになったという。


「ブランはモルガンがアルカミアに居ると知ったから、ここへ?」

「……」

「………」


 俺の質問には答えず、ブランは黙ってヴィストラールの方に向いた。ヴィストラールは何かに答えるように、深くうなずいた。


 それからスゥと息を飲み込んだブランは、何かを決意したような力強い目で俺を見た。


「うちがアルカミアここに来たんはな、リオニス・グラップラー、自分に会うためや」

「俺に……? なんで俺に?」


 素っ頓狂な声音で聞き返すと、ヴィストラールは震えるような細い吐息をゆっくりと吐き出し、


「お主なんじゃよ」


 そう言った。

 当然俺は訳がわからず、


「なにが?」


 聞き返した。


「うちら姉妹が死ぬほど怨んどる相手が、リオニス・グラップラーなんや」

「……………………は?」


 彼女が何を言ってるのか理解できずにいたのだけれど、束の間の時を経て理解した。


「はあああああああああああああああああああああ!?!?」


 したと同時にこの世のものとは思えない叫び声を水平線に放っていた。


「なんで俺なんだよ!?」

「なんでって言われても、うちには分かるとしか言いようがないわ」

「そしてお前さんが彼女たちの復讐相手じゃとしたら、モルガンがアルカミアに居たことも説明がつくんじゃよ」

「俺が居たから、か?」


 首を縦に振るヴィストラールとブランに、俺はでもッ! と声を張り上げた。


「なんでモルガンは俺がアルカミアここに居ることを知っているのだ! そんなのおかしいではないか!」

「モルガンはおそらく真実の魔法書グリモワールを持っておるのじゃよ」

「いやいやちょっと待て! それは九姉妹の転生先が記された魔法書グリモワールだろ! なんでそれで俺の居場所まで分かるのだ! おかしいではないか!」

「じゃから、十冊あると言ったじゃろ」

「………十冊? え、なんで十冊?」


 指折り九姉妹を数えてみるが、やはり九人だ。

 なのになぜ真実の魔法書グリモワールは十冊もあるのだ?


「完全に思考が停止しとるから教えたるけどな、一冊は復讐相手の所在が記された魔法書グリモワールや。つまり、モルガンの持っとる魔法書グリモワールには、自分のことが書かれとんねん。そうやなかったら、モルガンがアルカミアに何ぞ居るわけあらへんやろ」


 彼女はそういうけど、俺には俺が彼女たちの復讐相手ではないという確固たる自信がある。


「それは違う! 絶対に違う!」

「違う言うたって、うちには分かる言うてるやろ」

「なら聞くが、仮に俺が別世界で生まれ変わって居たとしたら、どうやって会いに来る気だったのだ!」

「何を訳のわからんことを言うとんのや」

「死んだ人間が必ずしも同じ世界で生まれ変わるとは限らんだろ! 異世界転生を知らんのかバカタレッ!」


 にも関わらず、ヴィストラールまでもがそれはないと断言する。


「もしもこの世界に亡国の姫君たちの復讐相手が存在していなければ、そもそも彼女たちの願い、復讐は遂げられておるのじゃよ」

「なんでそうなるんだよ!」

「この世界からの消滅。それが亡国の姫君たちの目的だからじゃよ。だが、炎の呪いは未だ存在する。それは彼女たちの復讐相手がこの世界に留まっていることを意味しておる。そして、お前さんこそがその相手じゃと、彼女自身が言っておるのじゃ」


 すなわち、それがすべてだと最高の魔法使いは言う。


 けれど、間違っている。

 なぜなら俺には前世の記憶がはっきりとあるのだ。

 その俺が断言している。

 俺は彼女の復讐相手ではないと。


「とにかく、何と言われようと人違いだ! 理由は複雑過ぎて教えられんが、俺はお前たち姉妹の復讐相手ではない!」

「けどっ!」

「第一、もしも俺が本当に復讐相手だったのなら、お前はともかくとして、なぜモルガンは何もしてこなかったのだ」

「それは……わからへんけど」

「分からへんのではない。人違いだと分かったから襲わなかったのだ! それに、あのゾッドとかいう魔人が襲ったのも俺ではなくお前だったではないか。話の内容からしても、黒の旅団はあきらかにモルガンの作った組織。だとしたら、なぜモルガンは俺を一番に襲わなかったのだ。そこのところを是非教えて頂きたいものだな」


 押し黙るブランと、一理あると俺の主張を認める最高の魔法使い。


「せやけど、うちにはわかるねん。自分があいつやって!」

「くどいッ! 証拠もないのに言いがかりをつけないでほしい。そんなに俺を復讐相手に仕立て上げたいのなら、真実の魔法書グリモワールとやらを持ってくるのだな。そこに俺が書かれていたなら認めよう」


 120%あり得ないがな。

 だって俺の前世はヲタな善良サラリーマンなのだ。

 俺は気分が悪いと席を立ち、話し合いはここで幕を閉じることとなった。





―――――――

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