第39話 明かされた夜
「なっ、なななんやねんこのミノタウロスもどきの化物はッ!?」
たしかにミノタウロスに似ているが、これは違う。
そう判断するリオニスの脳裏には、一抹の不安が過ぎっていた。
ミノタウロスの全長はせいぜいニメートル程。対して現在のゾッドは優に三メートルを超えている。下手をすれば四メートルに届く勢いだった。
なにより――
リオニスが注目した点は背中の羽にある。
ミノタウロスにあのような羽は生えていない。
それにあの眼は、魔眼?
だが、そんな馬鹿なことってあるか。
リオニスがそう思うのも無理はない。
なぜなら【恋と魔法とクライシス】に魔眼使いは登場しないのだ。
魔眼使いと呼ばれるキャラクターが登場するのは【恋と魔法とクライシスⅡ】からである。
「貴様が悪い……オレを本気にさせた貴様がァッ!」
「いぃっ!?」
砲弾のように放たれたゾッドが、爛々とリオニスに襲いかかる。
頭上高くから振り下ろされた大剣を杖剣で受け止めたリオニスの足下が、またたく間に崩壊。円形状に石畳が陥落し、土の大地が露わになる。
「まだ受け止めるかッ」
「なっ、なんという馬鹿力ッ!?」
まるで隕石を受け止めているかのような衝撃に、全身の血管という血管が破裂しそうな程だった。
「冗談やろっ!?」
息もつかせぬ打ち合いが始まると、剣戟を振るう二人を起点に嵐が巻き起こる。
風圧によって地面にはめ込まれた石畳は次々と剥がれていき、吹き飛ばされた建物の一部とともに夜空へ舞い上がっていく。
「一体……なにがどうなってんねん」
目の前で繰り広げられる天地を揺るがす程の激闘に、ブランの思考はすっかり置いてけぼりとなっていた。
空笑いをしながらその場に座り込むシスターは、闇夜に激突する二つの影を茫然と眺めている。
「面白い、面白いぞ! リオニス・グラップラー!」
「ぐぅッ……」
雷鳴のような大音響を轟かせながら、鍔迫り合いにもつれ込む二人。
衝突する二つの人知を超えた膨大な力によって、大津波のごとく発生した衝撃波は周囲の建物を次々と飲み込んでは倒壊させていく。
その騒ぎに町の住民たちも騒ぎはじめた。
「ななななんだあの化物はッ!」
「モンスターよ! モンスターが町に侵入しているのよ!」
「アルカミアの生徒が押さえている間に、誰かヴィストラールに知らせるんだ!」
町は一瞬の間にパニックに陥っている。
されど、衝突する二人は止まらない。
「狂戦士ゾッドよ! なぜお前が、魔人が人の世に居るのだ!」
魔眼使い同様、魔人も本来の【恋と魔法とクライシス】には登場するはずのない存在であることを、リオニスだけが知っていた。
「あの御方は言った。復讐手伝えば、強い魂くれる。オレはさらに強くなる!」
――ブランに恨みを持つどこかのバカが、魔人を喚び出して取り引きしたということか。
「お前の目的はブランを殺すことかッ!」
「ブラン……? 違う。あの女は裏切った」
「裏切った?」
「あの御方は裏切りを赦さない」
「ちょっと待て! お前のいうあの御方ってのとブランは仲間だったのか?」
「強い絆で結ばれているはずだった。あの御方がそう言っていた」
――ということは、ブランとこいつは元々仲間だったということか?
しかし、先程のブランの態度を見るに、二人は初対面だった可能性が高い。
二人は同じ組織に属していただけの関係か。
教会関係者? いや、違う。この場合は教会から消えたという闇の魔法使いたちとの繋がりを考えるべきだ。
となると、消えた魔法使いたちが向かった先は、おそらく黒の旅団。
ブランは元黒の旅団メンバーだったということか。
「だが、時は絆を脆くする」
「二人はかつて教会で知り合った同志、違うかッ! そこで何かを誓い合った二人は――」
「グラァハハハハハハハハハハハハ――」
リオニスの言葉を大笑いで遮ったゾッドに対し、笑われたリオニスは不愉快だと眉を吊り上げた。
「何がおかしい!」
夜に腹立たしさが荒い声になって弾ける。
「貴様は何も分かっていない」
「だからどういう意味だと言っているのだ! 分かるように説明しろ!」
「貴様は何者だ」
この問いに、リオニスは躊躇うことなく大声で答えた。
「俺は公爵家の三男、リオニス・グラップラーだ!」
けれども、狂戦士ゾッドから返ってきた答えはNOだった。
「違う。貴様は、違う」
「―――」
「貴様は何者でもない。あの御方にとって、何者でもない今の貴様は殺す価値すらない」
「…………」
「そう、今はまだその時ではない」
――何が言いたいのだ。
泥沼に落ちたように困惑するリオニスを嘲笑うかのように、何かを思い出したゾッドが夜に羽ばたいた。
「今の貴様に価値はない」
「今の、俺?」
見上げる夜空には黄金に輝く月と、それに照らされる禍々しい怪物だけが映っていた。
「……何れ再び交えよう。偽りの者よ」
「待て! 逃げるな卑怯者!」
夜の闇に溶けていくゾッドを浮遊魔法で追いかけようとするリオニスを、ブランは背後から抱きついて、止めた。
「―――!?」
「行ったらアカン!」
「何をするのだ! 離せッ! 逃げられるではないかッ!!」
「あいつらのホンマの狙いはうちやない、自分やねん!」
「え……おれ?」
激しく心臓が鼓動し始める。
「俺が……狙い?」
かろうじて、喉から漏れた空気が声になる。
さざ波のような嫌な予感を感じつつ、リオニスは振り向きざまに声を絞った。
「どういう、ことだよ?」
「………それは」
にがりを飲んだような顔のブランに影が落ちる。くちびるは蒼く、目は赤くなって、影に覆われた彼女の表情を、それ以上リオニスが確認することはできなかった。
「ブラン……ル・フェ」
ただ、泣き出しそうに切実な声。遠い星の瞬きのように寂しげに震える声で、彼女はそれだけを口にした。
それだけで、眼前の少年はすべてを理解するだろうと思っていた。
案の定というべきか、金髪碧眼の火傷跡が印象的な少年は、驚きを飛び越えてキョトンと立ち尽くしている。
――ル・フェ。その少し変わったミドルネームとファミリーネームは、禁書庫に忍び込んだ夜、秘密の茶会で少年が出会った魔女と同じだった。
モルガン・ル・フェ――呪いについてリオニスに語った謎の女子生徒である。
「モルガン・ル・フェは……うちの姉や」
「……あね? 実の、姉妹なのか?」
「……」
二人は押し黙ってしまう。それは変につらい沈黙だった。
やがてブランは拳をにぎりしめ、抉れた地面を見つめながらゆるゆると首を横に振った。
「今は、違う」
「今は……?」
奇妙な返答に、リオニスは当惑に眉をひそめる。
そして、あるひとつの言葉が、可能性が脳裏をかすめた。
しかし、リオニスはあまりの馬鹿馬鹿しさに頭を抱えそうになる。
だが、その考えを本当に馬鹿馬鹿しいと言い切れるだろうかと、リオニスは思いとどまった。
なぜならば彼自身、その馬鹿馬鹿しい事柄の上に成り立っているのだ。
「それは、ここではない何処かで……二人は姉妹だったということか?」
「………」
死の世界のように永遠の沈黙に包まれてしまう。
やがて空からポツポツと雨が降ってくる。雨足は次第に早くなり、二人はそれ以上言葉を交わすことはなかった。
次に二人が気がついた時には、騒ぎに駆けつけたヴィストラールが神妙な顔で立っていた。
「寮の鍵は持っておるね? 一度着替えてから校長室に来なさい」
未だに考えがまとまらず押し黙るリオニスに、ヴィストラールは続ける。
「彼女が、ブラン・ル・フェがなぜアルカミアにやって来たのか、真実を知りたければ来るんじゃ」
それだけを言い終えると、ヴィストラールはすっかり消沈したブランを連れてアルカミアに向かって歩き出す。
二人の姿が見えなくなり、しばらくしてからリオニスも頼りない足取りで歩き出した。
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