第38話 VSゾッド

 一方、ゾッドと呼ばれる黒ずくめの大男と対峙するブランは、得体のしれない不安感に手をこまねいていた。


「お前、一体なにもんや」

「オレの名はゾッド。あの御方に仕える戦士」


 ニメートルを優に超える大男は、三百キロ以上はあるだろう鉄塊を、丸太のような剛腕で軽々と振り回してみせた。


「お前には恨みはないが、ここで死んでもらう。それがあの御方が下した決断だ」

「あの日シロツメクサが手向けられとった時から、何れこうなることは予想しとったわ」


 ブランの親代わりだった枢機卿が殺害された日、部屋の片隅にはシロツメクサの花冠が置かれていた。それは犯人からブランに向けてのメッセージだった。


 シロツメクサの花言葉は《約束》。

 けれど、その花言葉には続きがあった。

 《約束》が果たされなかった時、シロツメクサの花言葉は《復讐》へと変わるのだ。


 ブランはシロツメクサの花冠を目にした瞬間、遠い昔に交わした約束を思い出していた。

 そして、その時が来たのだと確信するも、彼女はすでに犯人と約束した時の彼女ではなかった。


 それを知ったからこそ、犯人は警告として彼女の親代わりだった枢機卿を手に掛けたのだ。

 裏切りは赦さないという意味を込めて。


「うちは正直今でも迷っとる。約束を果たすべきかどうかを……」

「では、なぜすぐにあの御方の元に来なかった」

「見定めるためや」

「見定める?」

「孤児やったうちは教会に拾われ、枢機卿に育てられた。そこで色んなことを教わったんや」


 大切な人を想いながら、ブランは横目で落ちていくリオニスを認めていた。


「あの人は口癖のようにいつも言うとった、人は変わることができるってな」

「くだらん。そんなことの為にあの御方との約束を違えたのか」

「うちが変われたように、ひょっとしたらあいつかて変わっとるかもしれへんやろ。もしもあの頃と違うあいつがおるんやったら、うちは赦してもええとさえ思っとる」


 ブランの言葉を聞いたゾッドは身を反らし、けたたましい声を立てて笑う。

 そして大剣を頭上に掲げると有無を言わさぬ勢いで振り下ろした。

 強風が吹き荒れ、鐘楼のような重々しい鉄の音が響く。


「ぐぅぅッ!?」


 咄嗟に大鎌で受け止めたブランの体躯には、想像を絶するほどの圧力がのしかかっている。

 衝撃波によって建物の窓ガラスは粉々に飛び散り、破砕音が響く。

 ブランの細腕はミシミシと悲鳴をあげ、石畳の大地は円を描くようにその足下だけが陥没した。


 肉体強化ブーストを行っていなければ、今頃彼女はただの肉塊と化していたことだろう。


 ――どないなっとんねん!?


 歯を食いしばり、腕の血管が破裂しそうな程の重圧に耐えるブランに対し、ゾットは表情ひとつ変えることなく目下の彼女を見据えている。


 肉体強化ブーストもなしにこの威力、こいつホンマに人間なんかッ!


「いつまでそうしとるつもりやねん。はよどけんかァッ!」

「―――!?」


 押し返されたことに驚いたのか、ゾッドの目がわずかに見開いた。


「オレの一撃を防いだだけでなく、押し返してみせるか」


 感心するゾッドとは対照的に、ブランはケッ! と不満気に唾を吐き捨てた。

 眼前の大男が一ミリ足りと動いていないことに気付いていたからだ。


「余裕ぶっこきよって。腹立たしいったらありゃせんな」


 近接戦は不利と判断したのかブランは地面を蹴って後ろに跳躍し、ゾッドと距離を取り、顔を見上げてハッとし、心底厭わしいと強く睨みつけた。


 男の目が明らかに人のそれとは異なっていたのだ。

 紫色の瞳は渦潮のように、中心に向かって渦を巻いていた。


「なんちゅう縁起の悪いもんを持っとんねん」


 魔眼はポトフリス神話に登場した神殺しの青年が有していたことから、教会では呪いの瞳と忌み嫌われている。

 ところが、魔法使いたちにとっては魔眼は魔力の源とも、願いの瞳とも言われており、魔眼を欲する魔法使いは珍しくない。


「根性腐っとるあいつらしい皮肉やわ。どうせ聖職者を神になぞらえ――くぅッ!?」


 その体格からは想像ができぬほどの俊敏な動きでブランの眼前に跳んだゾッドは、大剣を横薙ぎに強く払った。


「オレを前に、喋る余裕があるか?」

「――――!?」


 大鎌で身を守ったブランだったが、桁外れの怪力に堪えきれず弾き飛ばされた。石畳に身体を強かに打ち付け、ゴロゴロと転がる。目まぐるしく変わる景色のなかで、ブランは火を吹く地面に目を見開いた。



「それは笑えんやろ」


 大剣の切っ先を地面に走らせ火の粉を撒き散らしながら迫るゾットの大剣は、直ぐに魔力円環によって剣身が熱を帯びたように赤く染まり、凄まじい勢いで発火する。炎をまとった鉄塊は容赦なく、焦りの色が滲むブランの顔面めがけて飛んできた。


「火炙りとなれーー!」

「チッ」


 素早く回避しつつ転がり起きたブランは、すかさずゾッドを取り囲むように魔法陣を展開していく。


「串刺しにしたるわ――いねやァッ!」


 高速詠唱から無数の巨大氷柱を巨体めがけて放つブランだが、ゾッドの体躯を穿つことはない。


「そんなアホなッ!?」


 ゾッドは目にも留まらぬ剣撃で氷柱をすべて打ち落としていたのだ。

 砕け散った氷塊が足下を通過すると同時、ブランの腹部に息が止まるほどの強烈な前蹴りが叩き込まれる。


「ぐぅわぁああああああああああッ!?」


 気がつくと背中から壁に叩きつけられ、嘔吐・吐血した彼女が崩れ落ちていく。


「弱い。所詮はこの程度か」


 膝をつくブランは、一歩一歩踏みしめるように歩み寄ってくる足音の主へと目を向けた。

 上手くピントが合わない。

 ダメージによるものというよりは、酩酊によるものだと思われる。


「くそったれ……ちょっと余裕ぶっこき過ぎたわ」


 酒に酔っている今の彼女では、本来の力は到底出せない。反応速度は勿論のこと、魔力円環の精度も普段の彼女では考えられないほどお粗末なものだった。


「せやけどな、本番はこれからやァッ!」


 地面に片手をついたブランは魔力円環を行い、そこから二体の自動氷結兵オートポーンを召喚する。


「そのような玩具でオレに勝つつもりか」

「玩具かどうか試してみたらええわァッ!」


 酩酊で動けない主に代わり、自動氷結兵オートポーンは筋骨隆々とした大男に近接戦を挑んだ。


「くだらん」


 交わされる剣戟は恐るべき速度を持っていたが、一分の無駄もない研ぎ澄まされた体捌きから繰り出される必殺の振り下ろしは、大気を切り裂いて飛ぶ魔弾なみの速度と切れ味で自動氷結兵オートポーンに容赦なく迫った。やがてその体躯は粉々に弾け飛ぶ。


「これが貴様の力か? あの御方の足元にも及ばない」

「なんでや……なんでお前みたいな化物があいつに従っとんのや!」

「従ってなどいない。オレは誰にも従わない。ただ、お前と違ってオレは約束を違えることはない。ただ、それだけだ」

「約束やて!? 一体自分はあいつとどんな約束をしたって言うねん!」

「貴様がそれを知る必要はない。なぜなら貴様はここで死ぬのだ」


 立ちはたがる巨体を見上げては、ブランはくちびるを噛みしめた。


 これは油断し過ぎたうちがアホやった。

 こうなったら解毒して全力でやったるわ。


「―――!?」


 一度体勢を立て直そうと、この場から離れようとしたブランだったが、まるで地面と同化してしまったかのように体が動かなかった。


 なんや……これ!?

 どないなっとんねん。なんで、なんで体が動かんねん。


「オレの魔眼、発動すれば見たモノの動きを止める。オレの視界にいる限り、貴様は何人たりと動くことは不可能。魔眼に睨まれた神とは、まさにこのこと」

「待て……ちょっ待てや!」


 今更解毒の呪文を唱えて置くべきだったと後悔したところで、もはや手遅れである。

 身動き一つ取れない状況のなかで、赤毛の少女はこの窮地から抜け出す方法を思案するも、神をも畏れた力の前には為す術もない。


「安心しろ。痛みはない。一瞬だ」


 野太い声と共に掲げられた鉄塊が、月明かりの下で不気味に光り輝く。


「次に目が覚めた時には、何もかも忘れている。貴様の悪夢もここで終わるのだ」

「うちは、うちはこんな終わり方は望んで――」


 眼前に迫りくる鉄塊がやけにゆっくり見えた。

 頭に記憶の断片がページをめくる絵本の如く流れてゆく。


 いつのことだっただろう。

 花畑には沢山の人がいて、沢山の笑い声に包まれながら、うちは大好きなシロツメクサの花冠を編んでいる。

 誰もが幸せそうに微笑む記憶のなかで、ただ一人、顔のない少年が樹木にもたれ掛かっていた。その表情は分からんけど、とても悲しそうだった。

 それに、一人だけえらい貧相な服装をしていた。


 だけれど次のシーンでは、貧相な恰好をしたのは自分の方で。

 辺り一面火の海と化した小さな村で、うちはただ村が燃えゆく様を呆然と見ていた。

 足下にはバスケットと、摘んできたばかりの色とりどりの花が熱風に揺れている。


 なのに、またシーンが変わると、大好きな枢機卿あの人がうちに微笑んでいる。


 ――時に、赦すことで人は救われる。

 ここでブランと私が出会えたのも、神の思し召しがあったからこそ。

 私の絶え間ぬ愛で、その小さな胸の内側に住みついた憎しみを解いてみよう。

 そして、いつの日にか……赦してあげられるといいね。


 記憶の絵本は、年老いた男の微笑みをもって閉じられる。


 彼女の眼前には、鉄の塊が迫っていた。

 あと一秒とせずに、少女の頭部は見るも無惨に砕け散るだろう。


 彼女は死を恐れない。

 恐れたことなど一度もない。

 一度もなかったはずなのに、初めて願ってしまう。


 死にたくない――まだ死ねない。


 少女にはまだすべきことがあるのだ。


 うちはまだ、見極めとらん。

 この目で見極めて、あの人のように慈愛をもって赦したい。


 差し迫る死のなかで、少女の口が開かれる。


「リオニス」


 あと0.2後には、彼女の頭部は鍋で煮詰められた完熟トマトのように真っ赤に染まっているだろう。

 そのはずだった。


「―――!?」

「………っ!?」


 魔眼の男は一瞬何が起きたのか分からないといった表情だったが、次第に目が二倍ほどにも見開かれていく。


 それは死を覚悟していたブランも同じだった。

 この状況で助かることなど、奇跡でも起こらない限りあり得ない。

 そう思っていたのだが、奇跡は起きた。


 一筋の光が目の前を横切ったように思えた次の瞬間、耳をつんざく爆音が響き渡ったのだ。

 眼前には、無意識に名を呼んだ少年の背中が広がっていた。


「…………」


 ブランは口を開けたまま、はくはくと動かし、震えていた。声も出なかった。

 ただ、大きな瞳を夢のように見開いて、その背中を呆然と見つめている。


「……リオ、ニス?」

「だからあれ程、酔っぱらったままの戦闘はやめるべきだと忠告したのだ」


 右手にグッと力を込めたリオニスは、ゾッドを押し返すように杖剣を振り払った。

 反動を利用したゾッドが後方へ跳んだことを確認したリオニスは、ゆっくりブランへと首を回す。


「ま、ちゃんと約束通り呼んだのだから、大目にみてやらんこともないぞ!」


 喜色満面を浮かべるリオニスに、ブランの頬は見る見る赤く染まりつつある。

 頭部からは蒸気機関車の如く煙を放っていた。


「かっ、かかか勘違いすなやァッ! あ、あれはしゃあなしで呼んだったんやから! 生徒に自信をつけさせるためには、少しでも成功体験を積ませるんが一番やからな。その点、ピンチの教師を生徒が救ういうシチュエーションは、中々ええ成功体験やったやろ。それを演出して、さらなる高みに導いてやってこその教師やとうちは考えとる。つ、つまりすべてはブラン先生の計算! 演技やったちゅうわけやわ!」

「ふーん。まぁそういうことにしといてやるか」


 生徒に助けられたことが余程恥ずかしかったのだろうと、リオニスは然程気にしなかった。


 ――にしても、こいつはなんでこない涼しげな顔しとんのや。


 ゾッドの馬鹿力は本物である。

 たとえ酩酊状態だったとはいえ、自分でさえ受け止めるのがやっとだったあの重たい一太刀を、リオニスはあっさりと受け止めていたのだ。

 そのことがブランには信じられなかった。

 なにより、先程のあの速さはなんだったのだと、ブランは未だ混乱のなかにいた。


 それは魔眼の男、ゾッドとて同様であった。


「あり得ない。このオレの一撃がこうも容易く防がれるなど、あってはならん」

「たしかに驚異的な一撃だったことは認める。お陰でまだ手がジンジンする。が、止められん程ではないだろう」


 ゾッドへと向き直ったリオニスは、敵である男の一振りを称賛した。

 しかし、同時に疑問に思うこともある。

 どうして彼は肉体強化ブーストでさらなる強化をしないのかと。


「必要ないからだ」

「だが、そのせいで止められては本末転倒ではないのか? もしもお前が肉体強化ブーストを行っていたなら、ああも容易くは受け止められなかっただろうからな」

「問題ない。どうせ次は止められない」

「……? すごい自信だな」


 頭に疑問符を浮かべるリオニスに、ゾッドはそれよりもと言った。


「奴らはどうした?」

「奴ら?」


 なんの事だろうと思案したリオニスは、何かを思い出したようにパッと表情を明るくした。


「ああ、あの黒ずくめたちか。それなら、ほら」


 そう言って彼方に視線を向けた。

 その方角には、伸びた黒ずくめたちが積み重なっていた。


「足止めすらまともにできぬとは……。まあいい」

「ん?」


 なんかこいつさっきよりでかくなっていないか? 気のせいかな?


「リオニス・グラップラー。今はまだ貴様を殺る時ではない――が、狂戦士の血が疼く!」

「なっ!?」


 全身に力を込めた刹那、膨張した筋肉によってゾッドの体が一回り大きくなった。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!」


 雄叫びをあげては大気を震わせるゾッドの体躯が、さらに一回り巨大になっていく。


「ななななんやねんこいつ!?」

「どうなっているのだ!」


 熱を帯びたゾッドの全身から蒸気が沸き立つと、皮膚が赤黒く変色をはじめる。


「おいおいおい、これはなんなのだ!?」

「ばばば化物やんけッ!?」


 頭部から二本の巨大な角が月に向かって伸びていく。肩甲骨からは蝙蝠のような羽が生え、その姿はミノタウロスと呼ばれる魔物に似ていた。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!!!」


 腹の底から一気に喉もとへ突き上げてくる、この世のものとは思えない絶叫。

 俺たちの前に現れた怪物は、正真正銘の化物だった。

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