故障5

「どうしてこんなところに?」出来るだけ軽い口調でその耳元に問いかける。

「どうして、だっけなぁ」

 一度そこで区切って、私の腕の中でわずかに首を下げる。


 そのままだんまりで適当にはぐらかされると思いきや、顔を上げて、彼女はまた言葉を紡ぎ出した。


「起きたら知らない天井で、ここが自分の家じゃなくて、どうして私がここにいるのか考えても分からなくて、うろついてたらこのベランダがあって」

「……へえ」

 ポツポツと、頭の中で一つ一つ箇条書きにするように口を動かす彼女。

 その肩に自らの顎を乗せ、横目で一瞬その顔を捉えた私は、


 

 黙ってすぐに目を逸らす。



「それで、ここに立ってみたらうちがあって、ぼーっと見てたら桜ちゃんが来てくれた」

 語尾は猫の鳴き声のようにいたずらっぽく上げて、彼女は私の質問にきちんと最後まで答えた。


「……それで、ここがどこかは思い出せた?」

「うん。桜ちゃんの家」

「せーかい」

 周していた手を宙に上げて彼女の頭を輪郭をなぞるように撫でる。慎ましながらもご褒美のつもり。


「えへへ、桜ちゃんのことは見たらすぐに分かったよ」

「そんな特徴的な見た目してるかな私?」

 頭からツノでも生えているのだろうか。

「うわー、またロマンスに欠ける解釈」

「あはは」

 口で笑いながら、抱き寄せる力を弱めて、自分の頭を後ろに戻す。


「……………………」

 しかし、指の感覚は研ぎ澄ませて、触れている熱を自分の肌に覚えさせながら。


「さ、そろそろ部屋戻ろ。んで二度寝しよう、二度寝」

 へにゃっと身体の力を抜いて、腕をほどいて彼女の身体を解放する。


 喉から出した自分の声は最初は上ずるように不安定で、でも言い終わる頃には淀みなく能天気。私はそのことにとても安堵している。


 そうして多少余裕の生まれた頭が次に考えるのは、新たな疑問で、私の脳は勝手にクエスチョンに挑み出す。


 さて、なぜでしょうか? 


 さっきの発言は幾ら何でも現実的ではない。だから起きたら知らない天井で、ここが自分の家じゃなくて、どうして私がここにいるのか考えても分からなくて、うろついてたらこのベランダがあったなんて、すべて彼女の考えた冗談か、ただの比喩なはずなのに、背中に氷でも入れらたように背筋が一瞬寒くなったのは、なぜなのだろう?その冷寒が喉まで走って声まで震えるなんて、厚かましさだけが特徴のこの私からしたら本来ありえない。


「ん、そだね。まだまだ早いし、学校終わるまで寝なおしますか」

 くあーとあくび一つして潤んだ瞳をこすってだるそうに喋る彼女。


 ここだけ写生すればいつもの他愛もないやりとり。とてもじゃないが少し前まで何も覚えていなかった人間の口どりには聞こえない。そもそも、寝ボケて徘徊していたのは本当だったとして、うちに来ていたこと自体忘れてしまっていたなんて、あまりにも記憶領域が非現実的すぎる。だからいつものように冗談だと捉えればいい。


 いいはずなのに。


「……………………」

 サンダルをペタペタ鳴らして部屋の中に戻ろうと歩く彼女の後には続かずベランダから遠くの街並みを見る。そこに広がるのはさっきまで私が見ていた風景。


「……ズーム」

 今度はレンズを絞るように目を凝らし、屋根だけをわずかに覗かせているその家にピントを合わせる。そこに広がるのはさっきまで彼女が見ていた光景だ。


「なに難しい顔してるの桜ちゃん?」

 目を細めて遠くを捉えていた私の顔を彼女は難しいと表現する。


 そうだろう。遠方へ目を向けている私の表情は一見しただけではただしかめているように見えるのだろう。



 しかし、さっき一瞬だけ合間見た彼女の顔は、違った。


 口角は力が抜けているもののしっかり閉じていて、眉は整列して横に一本線を書いていた。それだけならただ無表情だと感じるはずなのに、虹彩の輝きが異常だった。

 それは眼前に広がる朝焼けより強靭としたもので、まるで燃え狂う炎を宿したように、



 爛れていた。



 そして、その目だけが異様に大きく見開かれたいたのだ。


 瞼の下だけ不揃いな顔は、私を心底ぞっとさせる。這い寄る恐怖を確かに胃のあたりで感じた。


 それは普通の人間の見せる相好ではなく、そんな顔をした彼女は一度も見たことがなかった。


「桜ちゃん?」 

 もう一度呼ばれて、彼女の方に振り返る。

「……なんでもないよ」

 言いながら視界の真ん中に入れる彼女に変容はない。

 

 今は。

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