故障4
「朝日、もう登るね」
視線をずっと先に向けながらポツリと呟く彼女。私は黙って頷く。
会話に前後の脈絡がなく、ただ景色を見たままに口に出しているのが伝わってくる。
確かに太陽は今まさに家々の屋根を追い抜き、その光で全てを照らし出そうとしているところで、外はもうすっかり夜が明けて、空も青さが強くなっている。
「……………………………………………………」
「……………………………………………………」
お互い黙って、ただ広がる景色に目を向ける。一日の始まりというのは大抵騒々しいものなのに、日の出には静寂がよく似合うのを彼女も私も知っていたから。
「登った」
「うん」
地平線が一瞬完全な紅に染まる。そして太陽の光は黄金色になり、強い光を発したまま上空にずれて、完全な夜明けが世界に訪れた。
今日も晴天だった。
「綺麗だね」これは私から言った。
彼女と二人、肩を並べて共に望む夜明けの瞬間は美しく、いつも見慣れた町並みも、不純物なんて一切混じることない澄んだ水面に映ったように美麗だった。
「そうだね」
口は動かすが、登ってしまった朝日にはもう興味が無いのか、首を下げてまた自分の家の方角をぼんやり見つめる彼女。その熱のこもっていない瞳は、彼女の家がそこにあると知らなければただ明後日の方向を向いているようにしか見えないくらい虚ろ気。
しばらくそうしてぼうっと視線を送っていた彼女だが、やがてそれにも飽きたように一度身体を伸ばしてから、真横の私に向き直り、今度は興味深かそうにこちらを見つめる。そして口を開いてから、
「随分寒そうな格好してるね桜ちゃん。それじゃ風邪引いちゃうよ」
「えぇー……」
半袖から露出した私の腕を見て驚いたようにそう言った。
その言葉はさっき私が彼女に向けたものだし、彼女だって私の上着を羽織る前は半袖だったし、というかそもそも私が寒い格好のままなのは貴女が羽織っている上着が原因なわけでの全てが今の、えぇー……には集約されていた。
「というわけで、はい」
「えぇー……」
今度は上着を肩から外して私に渡した彼女に対する困惑の、えぇー……だ。とりあえずありがたく着させてもらったが、何一つとして抜本的な解決にはなっていない。てか朝日も見たんだし、もう私の部屋に戻ればいいのではないか?そう提案しようとしたところで、
「羽織る物の無い私のことは、責任とって桜ちゃんが温めてね」
「むえー……」
むが付いたのには意味はない。突拍子が無いのはさっきからずっとそうだし、そもそもなぜこんな時間に外に出ているのか、その理由だって彼女はまだ私に話してくれていない。
誰もが寝静まっている時間、生動としない町並み、ちぐはぐな彼女。このベランダでは全てが曖昧で、物事の輪郭がぼやけていて、だからだろうか、私もいつもより軽く、彼女目掛けて手を伸ばすことが出来た。
「はい」
一歩下がって彼女の後ろに周り、背後から自分の身体で覆うように抱きしめる。両手をしっかり彼女の肩に巻いて、密着した肌に隙間なんて生まれる余地はない。
「あったかい」
独り言のように呟いて、自分の肩に回された私の腕に、手の平でピタリと触れる。その表情は後頭部に隠れていて目にすることは叶わない。
「……身体、だいぶ冷えてる。いつからここにいたの?」
全身から伝わる熱が弱々しくて、彼女の身体に伸し掛かるようにさらに強く抱きしめる。
「んー……、いつからだっけね。でも多分そんなにずっとでは無いよ」
微笑を含ませ彼女はまたはぐらかす。それとも本当に自分でも時間の経過が分かっていないのか、その判断を下すことは背後からでは難しい。ただ私の腕を指先で掴むように撫でている手は、徐々に熱を取り戻してきていて、そのよく知っている温度が私の身体も暖める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます