故障2

 布が擦れる音が止むと部屋の中は完全に無音になり、自分の深い呼吸だけが、窓の外から聞こえる鳥のさえずりと混ざって静かに耳の奥へ落ちていく。目を閉じれば眠気はすぐに這い上がってきて、意識が微睡み、眠りに、…………いや、待て。


 待て待て待て。え?


「無音、だって?」

 落ちかけていた意識を無視して無理やりもう一度布団から身を起こす。


 音が無い。


 そういえばさっきから何も聞こえない。


 誰かさんが寝返りをうつ音どころか、その寝息さえ。そして近距離で寝こけているはずの人物の気配も感じ取れない。


「…………!?」

 落下する布団も無視してすぐにその場で立ち上がる。そして真横のベットを見下ろす。薄暗い部屋の中、それでも確実に全く隆起していない掛け布団が目に入り、顔をしかめる。


「いない……?」


 呟いてもこの部屋の中に返事を返してくれる人間はいない。そりゃそうだ。だって彼女が眠っているはずのベットはもぬけの殻なのだから。


「………………」

 足元がおぼつかないながらもなんとか窓際まで歩いて、薄暗い日が射すカーテンを数センチ横にスライドさせる。しかしわずかながら明るさが増した自室の中を見回してみてもやっぱりここには私以外誰もおらず、枕の上にあるはずの安らかな寝顔もどこにも見当たらない。


 トイレにでも行っているのかと考えるが、それにしては廊下の向こうからさえもなんの音も聞こえない。


「……うん?」


 早朝散歩が日課、なんて話聞いたことがなくて首をかしげる。


 いや、そもそも彼女がうちに泊りに来たことさえも、私の見ていた夢?


「……いひゃい」

 自分の頬をつねって伸ばす。寝ぼけたこと言っている場合では無い。


 こんな時間にいなくなられると私としては当然不安になり、彼女の姿を探さなければという気になってくる。それこそ、寝ぼけたままトイレに行こうとして、足を滑らせ便座に頭を打って便器に突っ込んだまま気絶している、とかだったら洒落にならない。


「えらいこっちゃ」


 間違いなく一番最悪のシナリオを頭に浮かべて、即座に部屋を後にし、廊下へ出る。日の出前の空気は冷えていて、露出している二の腕がひんやりと熱を奪われた。


 まだ仄暗い廊下を自分の部屋から見て左に進み、廊下の突き当たりにある二階のトイレの前に立つ。


「………………」

 音はしない。電気もついてない。鍵もかかってないし、ノックをしても返事は無い。人の気配も全くしない。

 それでもおそるおそる扉を開けて中を確認してみると案の定そこには誰もおらず便器がででーんと鎮座しているだけだった。


 とりあえず、トイレで水死体エンドはまぬがれたことに安心して気が抜けたように肩を落とす。


 しかし、じゃあ、彼女は一体何処へ消えたというのだろう?


 不思議に思い、トイレの前で突っ立って考えていると、「ん?」今私がいる場所とは反対側に位置する階段側の方から、こつんと、固いものを指で軽く叩くような音が耳まで伝わり、反射的にそっちに向かって歩き出す。


 自分の部屋の前を通り過ぎ、妹の部屋の前も通過して、一階へと続く階段の前に立ってみるがやはり誰もいない。小音だったのでもしかしたら聞き間違いかもと思いつつ、とりあえず一階に降りるかと階段に足をかけたところで、こつん。またあの軽い音が聞こえて来た。


 しかも今度はさっきより近い。


 音のした方へ首を傾けて、顔を向けてみる。

 私が今いる階段のすぐ右側、半分開いたふすまから覗くその部屋は、誰も使っていない空き部屋で、本堂町家御用達の物置部屋と化している場所だ。とうに使われなくなった、倒れるだけで胸筋、背筋、上腕二頭筋を鍛えてくれるダイエット器具とかが封印されている。悲しいことにそれらが日の目をみることはもう二度と無いのだろうと思う。この家の住人は基本飽き性なのだ。私含めて。


 あとは窓の外には広いベランダがあるので、洗濯物を干す時と取り込む時くらいはこの部屋を使用するが、常在するような場所では無い。しかし物音は確かにここから聞こえた。

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