夢想
「あはっ」
目の前のちっちゃい少女との出来事が今まさに進行形なのに、現実の彼女がそれを知る由も無いのがなんだか荒唐無稽で笑ってしまいます。ちなみにこういうのを過去進行形と言い、単語の終わりにingをつければ満点です。
「……何か楽しいの?」
「いや全く」
「………………」
せっかく周りの目も気にせず私の元へ来てくれた彼女が、小学生らしからぬ本気で困惑した顔になってしまいました。面白いですが、だんだんかわいそうにもなってきます。夢といえど彼女は彼女。だったら整然と接しなければ。
「ありがとう」
当時、突発的な彼女の行動に呆然としてしまうだけで、結局伝えられなかったその言葉を、無意味と理解していても尚、今伝えます。
「本当に、ありがとう」小学生だった私に初めて慈しみを与えてくれた少女へもう一度。
「別に、私はただ……」
「ただ?」
「……なんでもない」
少女は俯いて、つまらなそうに黙ってしまいます。
これも全ては私の妄想で全部私の中で完結してしまうイメージで、だからこそ、彼女の言葉の続きを探すのはそう難しくもない気はしますが、それをするのは目の前の少女に対してあまりにも野暮なのでやめておきました。少女の行動が気まぐれな偽善であれ何であれ、私がこの時初めて他者に救われたのは事実なのですから。そしてそんな野暮の変わりに、
「そろそろ、かな。じゃあまたね」
少女に別れを告げます。
教室の窓から射す日の光が徐々に光量を増して、教室の中が白み始め、悪夢の終わりを五感で感じました。
「……………………」
少女は下を向いたまま何も答えず、次第に光に飲まれるように霞んで、空間と溶け合って形が無くなっていきます。
さっきも言った通り、悪夢を終わらせる鍵となるのは彼女で、色がなくなるまで指で擦ったように何度も繰り返し見たこの夢は、いつも教室で、彼女が私に声を掛けたところで途絶えます。そこが終点。そして現実の私は起床して、一日の始点を迎える。そういう風になっているのです。
だから、今日もここまで、まもなく意識が覚醒します。
最低の過去の再現をして来た筈なのに心さえも朝日が射すように清廉としているのは、いつも終わりに彼女が立っていてくれるからなのでしょう。そう考えるとこれも悪夢とは一概に言えないのかもしれません。
自分がどんな形をしているのかも分からないほど実体が解けた世界で、やることも無いのでぼんやりと思考を巡らせながら、ほぼ消失した彼女の半身を見送ります。
そして、先に消えるのが私か彼女か、いよいよ分からなくなって来たところで、いつもだったら無音なはずの覚醒間際の空間に、急に聞き慣れた声が響き渡りました。
「私のことは、全部、全部忘れていいからね。桜ちゃん」
「えっ?」
いつも耳にしている、あどけなさの抜けたその声、しかし今まで聞いたことないくらい感情の籠もっていない冷血な声、実体はもうほぼ無いはずなのに冷たい汗が全身から湧き出すのを感じます。
とっさに目と鼻の先で佇んでいた少女の方に視線を向けますがその姿はとうに消え、あるのはただ白んだ空間だけです。
「な、に……?」
声に出してるのか、ただ心の中で呟いているのか、定かではありませんが自分の震えた声がポツリと脳で反響しました。
今のは一体なんだったのでしょう。目の前の少女が言ったのでしょうか?それとも別の何か?しかし確かに彼女の声だったので彼女が言ったことに違いはないのです。そしてこれは私の夢なので、今のは私が彼女に言わせているのです。ですが今言ったことの答えは私の中には見当たりません。『忘れていいから』って、どう意味だそれは?何を私に忘れろって?
夢の彼女にそんなことを言われたのは初めてで、私はひどく惑う。
夢、というのは、現実に沿わないことも可能になる。どんな突拍子もない事が起こってもそれが普通で、当たり前に変換される。じゃあ今のだって、意味を持たない彼女の声を模したただの音、そう解釈すればいい。いいはずなのに、胸が掻き乱されて、しかし心臓は凍てついたように冷たくなっている。
何かを考えられるほどの私の実体はもうどこにも残っておらず、ただバクンバクンと激しく暴れる心臓だけを引き継いで、
私は現実へと起床した。
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