慕情18
「こんばんわ」
「ううわぁっ!って、なんだ、ね、ねーちゃんか……」
「なんだとはまたぞんざいな」
足音を殺して、後ろから冷蔵庫を漁っている小さな背中に声をかけると、ビクッと肩を揺らしながら、妹が振り向く。母親と勘違いしたのか一瞬目を見開いて驚きを見せたが、私だと視認した途端その相好がヘニョっと崩れた。
「こんな時間になにしてんの?」
「ひゅまみくいらけど、ねーちゃんも?」
「ちげーわ」
当たり前のように指で今晩の残り物の合鴨ロースを摘んで口に放り投げて話す妹。阿呆が鴨咥えてるせいで発声も阿呆そのものだ。
「私は水飲みにきたんよ」
「そうなん」
興味なさそうに鴨をひょいひょい食べる妹の横から手を伸ばし、ペットボトルを取って、コップに注ぐ。
お風呂上がりに飲む水はキンと冷えていて、一口喉を滑らすとお腹の中へ落ちて行くのがよく分かった。
「ねーちゃん、あの女の人と付き合ってるでしょ?」
「…………………………」
鴨を取る手を止めて、隣の私に振り向いて邪気の無い顔で聞いてくる。
不思議と、妹とここで出くわした時からなんとなくこういう会話の運びになると思っていたので、私の心に動揺は無かった。
「ご名答」
一口飲んで、コップから口を離し、年長者らしく年下に答え合わせをする。この妹には今朝現場を押さえられてるので言い訳は通じないし、そもそも今ここで口ごもるのはなんか違う。ので正直に答えた。
「わはー!わはー!」
「なんじゃその反応は……」
頬に両手を当て口を広げて楽しそうに勝手に盛り上がる妹ちゃん。それが何を指し示すのは曖昧だが、怪訝な顔をされなくて良かったと正直ちょっとホッとする。
「あんな美人捕まえるなんてやるじゃん、ねーちゃん!!」
「シッ、こらっ、あまり大声出すな。ヤベーのに聞かれるから」
キラキラした目で私を見る妹の口に人差し指を立てて、背後を窺う。
幸い誰かが起きて来た気配は感じなかったがフラグは立っている。
「かーちゃんだって、きっと喜ぶと思うよ?」ヤベーのが誰なのかきちんと意図した明敏な妹が言う。
「いや喜ばれても……。それに、一応同性だよ。……あの子も私も」
意識していなくとも語尾の勢いが弱まって、それがなんだかひどく情けなかった。
「大丈夫だよ姉ちゃん」
「……え?」
いきなり妹の声色から子供らしさが抜けて、変わりに私の口から間抜けな声が漏れる。
「大丈夫」
「………………」
声だけでは無い。顔つきも、いつもの子供らしい屈託のない笑みではない。口角は緩やかなカーブを描いていて、真っ黒い瞳の中も曇りなくただ深い。そのくせ眉だけが私を安心させるように下がっていて、まるで迷子の子供でも見るような面持ちだった。
妹のそんな顔は、今まで見たことが無かったのでおねーちゃんはちょっとびっくり。
「誰もそんな事で姉ちゃんを軽んじたりしないよ。母さんだって、私だって」
「……そっか」
「うん」
落ち着き払った声で妹は続ける。
「この家に姉ちゃんを虐める奴はいない。だから姉ちゃんは姉ちゃんの好きなようにすればいい」
混じりっ気の無いまっすぐな視線。それは子供特有のものではなく、この子特有のものなのだろう。
「どっちが妹か分かんないなこりゃ」その純真な視線に耐えきれず、首を掻いて茶化すように言う。
「ねーちゃんは私のねーちゃん、本堂町桜だよ。血の繋がりとか、そういうのは関係なく」
「……あぁ、ありがと」
今度はふふんと鼻を鳴らし誇らしげに話す妹に、曖昧に笑い返す。
その言葉、私がこの家に来た当初にも、この子は言ってくれたなぁと随分昔のことを思い出しながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます