慕情9

「いやー美味しかったね。おばさんすごい料理上手だっ」

「ハハッ……。うん、そうだね」

 ベットに腰掛け、お腹いっぱーいと両手をあげている彼女に、座布団にお尻をつけている私は下から気の抜けた生返事で答える。


 実際のところ、食卓は家族の一員である私の方が気疲れをするアウェーな場になっていたので、料理の味なんて繊細な感覚まで気を回している暇は無かった。この舌が覚えているのは彼女から食べさせてもらった麻婆豆腐のピリリと痺れる辛味だけである。


「今度、おばさんにお料理習おうかな?」

「いやぁ……、いつもはもっと質素だし、アレはあんましアテにしない方が……」


 彼女が我が家の母親色に染まるのを想像したらそれだけで息の根が止まりそうになったので、やんわりと釘を刺しておく。


「そうかな?」

「うん、絶対そう。料理なら自分のお母君に習った方がいいよ」


 彼女のお母上の手料理は、彼女が持参してくるお弁当を通して何度か口に運んだことがあるが、どれも見事な出来栄えだった。何度かお会いした時も、見るからに家事全般を得意とする人の良さそうなお母様と言った感じだったので、正直我が家のアレより全然適任だと思う。


「……んー、機会があったら、ね」

「あはは、あんまりやる気でないよねー」


 急に語気が弱くなった彼女。料理に対するモチベーションがそもそもそんなに高くはないのだろう。最近はコンビニのでもなんら問題ないからその気持ちは良く分かる。私だってその手の花嫁修行には一切興味の針が向かないたちだ。自慢できることでは無いが、その昔、味噌汁を作ろうとした時に、お湯に味噌を入れれば勝手に出来ると思って実際に試してみたのだが、出来たのは味噌を溶かしたただのお湯であった。結局正解が分からなかったので、そのまましょっぱいお湯を飲み干したが、あの時は味噌汁一つ作れない自分というものに心底驚いたものだ。顆粒和風だしとは何だ。ほんだしとはなんなんだ。それはもう味噌汁では無くて味噌だし汁じゃないか。そんな思春期特有の悩みに、かつては私もぶつかって挫折した。きっと彼女もそのクチだろう。分かる分かる。


「……なーんか失礼なこと考えてない桜ちゃん? 今すごい阿保を見るような目で見られたような」

「えっ何のこと?」


 怪訝そうな声で聞かれても一切心当たりがない。私が彼女に向けたのは嘲笑ではなく憐憫である。


「いや、気のせいか……」納得したのか、はたまた妥協したのか、そう呟いて首を振る彼女。


 私には分からないことだらけだが、双方あまり楽しくなる話題ではなさそうなのでこれ以上は話す必要はない。私も味噌だし汁を作れなかったことに関しては今だに地味に結構気にしている。


「……さて、」

 お腹もこなれてきたところで、時計を確認してみると、もうすっかり子供向け夜アニメも終わっている時間帯で、彼女の前言通り、夜はこれからという感じ。


「何しよっか?」


 座布団の上であぐらをかいて、ベットに座っている彼女に問いかける。せっかく泊まりで遊びにきてくれたのだからわざわざ退屈になる必要も無い。彼女は今や恋人であるが、それ以前は気の合う親友である期間が長かった。故に室内でもお互い一緒にいて楽しく遊べる術はまぁまぁある。例えば、


「なんかゲームでもやる?それとも映画でも見る?」この二つとか。

「んーー、そうねぇ」


 黒目を天井の方に浮き上がらせ黙考する彼女。そしてそんなに時間は掛けず、再び口を開く。


「じゃあ、恋バナでもしよっか。桜ちゃん?」

「恋バナ」

 オウムの真似してお返しした。

 

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