稀少9

「……でもその、さっきの大丈夫?」


 愉快痛快二度と蒸し返したくはない出来事だが、やっぱり一応聞いてみる。乙女心的な意味で。


「ま、まあ……うん。桜ちゃんちの前だし、あるよね、ああいうことも」


 我が家を遠い目で見つめる彼女だが、その口どりは軽い。とりあえずは大丈夫そうだ。


「いやあ、ごめんね慌ただしい奴で」


 ずっと掛けていた橋を下ろして、やれやれと、手を横に振るジェスチャーを取ってみる。本当はやれやれどころではなく、こらこらくらい言いたいところ。


「えっ?慌ただしいって、誰が?」

「ほら、うちの妹」

「…………いも、うと?」

「うん。……うん?」


 声を揺らし、まるで今初めて耳にした単語のように繰り返し呟いた彼女に首をかしげる。言葉にしながらその口元まで一瞬震えたように見えた。


 どうしてそこで疑問符?彼女がうちの妹を見るのは初めてじゃないはずで、それにさっき妹の方も、私のことをおねーちゃんと呼んでいたはず。


「どうかし」

「ううん、なんでもないごめん大丈夫」 


 何が『大丈夫』なのかも分からないまま、私の言葉を遮り、早口で話す彼女。顔は笑っているが、声にはやや冷たさが混じっている。

「気にしないで」

「う、うむ?」


 やはり表情は穏やかで、普段通り。でも、なんだろう、自分でもよく分からないけれど、全体的に色々硬いというか、淡白というか、お魚みたいな例えばかりで申し訳ないが、とにかく、どこかいつもとは異なる雰囲気が感じられる。


 やはり妹に思うところがあるのだろうか? 

 

 あのタイミングではそれも仕方ない。正直私もキレたい。しかし私の知っている彼女が、そんな事で相手を煩わしく思うとも考えづらい。彼女は基本寛大というか、控えめに言って仙女というか、もはや怒りの沸点がどこにあるか分からないというか。……流石にそれは言い過ぎだが(仙女は妥当) 他人に自分の怒りを見せるのを躊躇するタイプなのは違いない。そんな彼女が少し不穏な姿を見せたということは、


 それすなわち、


「嫉妬?」

「え?私うるさかった?」

 不思議そうな目で見られた。

「あー……、いや、なんでもない。日本語って難しいよね」


 逆に私の発音は海外の人とはコミュニケーションが取りやすいのだろうか。どうでもいいけど。

「まぁ、大丈夫ならいいんだ」


 なんだかコントみたいなってしまったので、適当にごまかして切り上げる。彼女に感じた違和感も、今はどっかへ消えているのでまぁ瑣末なことだと流す。妹を小憎たらしく思うほどちゅーに期待をしていたという事にしておこう。純粋に私がそう思いたいから。


 そして流れる空気がだいぶ和やかさを取り戻してきたと、緊張の後の気の抜けた神経から感じとり、制服のポケットからスマホを取り出し時間を確認してみる。

「やべ」

 案の定、家を出てからだいぶ時間が経っていた。

「遅刻しちゃうね。そろそろ本当に行こっか」

「だねぇ、行きますかぁ」


 あくびを一つ嚙み殺し、猫のように太陽に向かって上半身を伸ばす彼女。そしてずっと向かい合っていた身体をトコトコ小刻みで動かし私の隣に移動する。なんとなく心が落ち着くのは、これがいつもの定位置でいつもの距離感だからだろう。

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