稀少2

「髪、下ろしてるの珍しい。新鮮でびっくりしたな」


 照れて吃りそうになるも、口をキビキビ動かし、ちゃんと所感まで伝える。

「見惚れちゃってた?」

「うむ、完全に。大人っぽくてよく似合ってる」


 自らの口に重役を任せて、小出しになんかせず本音だけを前に押し出す。

 もはや変に気恥ずかしくなって距離感がおかしくなるよりは、勢いに任せて素直な言葉を並べたほうが自然になると判断した。


 そして何よりも今や私達は恋人同士なのでこれくらいのやりとり、なんてことない、ぜ。


「……おぉ、なんか積極的」少し後ろに仰け反り、感慨深そうに言う恋人。


 だって今や私達は恋人同士なのでこれくらいのやりとり、なんてことない、ぜ。の一文は口がひっついて言えなかった。が変わりに。


「すごく綺麗だと思う」


 虚飾なんて寄る術持たないくらいの真意で口火を切る。


 本当に、そう思った。今を切り抜いてしまいたいくらい、彼女の輝きは私にとって眩い。命息づく春の隆盛よりも強烈な一閃をこの全身から感じ取れる。端正な顔立ち、なんて要素だけじゃなり得ない、胸の奥が掴まれるようなこの想いは、単純に恋人補正が掛かっているからという理由なのかもしれない。でも、だとしてもいい。


 改めてはっきりと自覚できるのは多分いい事だ。


 あぁ好きだなぁ、なんて気持ちはさ。


「……ありがとう。でもほんとに、今日は珍しいね?」

「ん、まぁね」


 恥ずかしさは一から十まできっちり耳まで揃えて胸の中にご健在だが、慣れないやりとりが少しおかしくて自分でへへっと笑ってみる。そしてへへっとしながら眺める彼女の顔色が春らしい色になっているのを知っているのは私だけで、その視線もわずかに私の顔から逸れて、どこを見るでもなく瞳は揺らいでいる。


 首筋から耳にかけて熱がこもって可愛く染まるその顔は、花見客の私を十分に満足させられる程鮮やかで、この上ないくらい彼女の名前にふさわしく、風光明媚であった。


「さ、そろそろ行こっか」


 まだ家を出たばかりで。遅刻をしそうなわけでもないのに、わざわざ口語で用いるにはやや不自然な提案をする私の恋人。その顔を見ているとどうにも私の中のいたずらっ子が活発になる。


「手、繋ごっか?」


 普段は絶対に言わないシャルウィーを使って、自分の右手を「はいっ」と彼女の胸元に差し出す。そうする事で……あっ、また赤くなった。


「ちょっとタイム。タイム」

「はいタイム」


 今回は利き手を差し出してしまっているので、わざわざ合図は作らない。


「桜ちゃん、今日はなんか雰囲気違うね?」

「ん…?どこかで聞き覚えが?」


 ていうかお前、ループしてね?


「いや桜ちゃんのは、おはははよよ、きょおおうはなあんかふいんき、ちっ、ちがっうね、だったから」

「…………………………」


 遠くを見る。

 声のトーンまで完璧でいやがった。


「ごめん……、そんな深淵を見たような顔をさせたかったわけじゃ……」

「いや、いいのさ」


 過ぎたことさと、笑って逃げる。過ぎてなかったらもれなく地獄だ。


「私は別に髪型とかいつも通りだけど?」


 早く話題を変えたかったので、自分で自分の髪を一房つまみながらこちらから話を続ける。 

 私は元々、彼女ほど髪が長いわけでもないので、まとめる必要もないし、そんな凝ったヘアアレンジを毎朝加えているって感じでもない。だから今日もいつも通り寝癖だけ梳かしてそのままだ。


「いや、そういうんじゃなくて、こう、もっと内面的な……?」

 自分に差し出された私の手を、指の一本一本まで慎重に視線を行き渡らせて、弱々しい語気で話す私の恋人。

「んー? 私が手を繋ぎたいのがそんなに変?」

「なっ」


 声だけでなく、背筋まで一瞬跳ねたように見えたのは、きっと私の見間違いなんかではないのだろう。


 ザァと音を立てて突然吹いた春風に背中を押されるように私の足は半歩前へ出る。


 その勢いを利用して、首をゆっくり下に降ろし、顔ごと彼女に近づける。

 身長差のせいで私の影がじわじわ彼女を覆い、まるで侵略していくようだった。

 近づけば近づくほど甘いお菓子のような柔らかい匂いが鼻腔を埋めて、鼓動は増幅して波を打つ。

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