CRIMEGLOBAL

ユヒミカ

第1話


 風上かざかみから連絡を受けたのは、実に三年振りのことだった。


 「久しぶりだな」


 風上は、検察庁 横浜地方裁判所の検事である。


 刑事事件を担当する、神奈川県警 横浜警察署の刑事は風上の信者と言っても過言ではない。


 刑事との一心同体で事件の解決に試みる連携捜査は、テレビドラマのモデルになるほど幾多の優秀な結果を残している。


 「久しぶり」

 吹雪ふぶきは抑揚のない口調で応えた。


 「三年振りくらいか。メッセージは見たか?」


 召集の連絡が回ってきたのは、昨夜の23時頃だった。


 風上は組織が動く時に連絡網を回す役目を担う。


 「見たけど。だれ発信なの?」


 「副会長だ」


 「意外な人の発信だね」


 「そうだな」


 「召集理由は?」


 答えは分かっていたけど聞いた。


 「理由は俺にも分からない。ただ会長が召集を掛けたらしい」


 会長が?


 どうやら少しは、聞いた価値はあったようだ。


 組織が結成されてから約10年、会長が直々に召集を掛けたのは今回が初めてである。


 「任務?それとも問題?」


 「さぁな」


 「組織の皆んなは?」


 「明日中に全員横浜に入る予定だ」



 吹雪は日中に交わした風上との会話を思い出しながらエレベーターを降りた。


 地上44階建て横浜スカイホテルの最上階にある、4401号室から4413号室までの13部屋は、組織の一人一人が使用できる居住空間だった。


 窓際は全面ガラス張りの構造で、横浜から東京までを一望できる絶好のロケーションである。


 このホテルは世界中に不動産を所有する、株式会社 MASALUの経営最高責任者である大富おおとみが組織のために建設した所有物だった。


 売買の天才と言われている大富の銀行融資には、関東中央銀行 東京本部 営業部 統括部長である神崎かんざきが窓口となった。


 若くして日南大学の数学教授を勤めた神崎が、銀行を通して年間で操作するお金は底無しと言われている。


 五年前には大学時代の仲間とラスベガスのカジノでカウンティングを使用し、一夜で数億円を稼いだノンフィクションドラマも持っている。


 その時はセキュリティが出動する大騒ぎになったが、外務省 総務諜報対策課 管理官の大和やまとが迅速に手を回し一難を魔逃れた。


 吹雪は革張りのソファに腰を降ろし、壁に掛かる液晶テレビの電源を付けた。


 テレビでは連日同じニュースが報道されていた。


 内容は、勅使河原てしがわらがシナリオを描いた防衛大臣襲撃事件である。


 もちろん事件には無関係であるが、それは政治結社 愛国会あいこくかい関東ブロック幹事 愛愁会あいしゅうかい会長の肩書きを持っているからこそできた犯行なのは言うまでもない。


 手段や過程を選ばずに目的を遂行するサイコパスな勅使河原に、法律や秩序は存在しない。


 故に組織の中ではもっとも警戒心を持たなければいけない危険人物である。


 スタジオに画面が切り替わると、事件について討論を始めるコメンテーターが紹介された。


 神奈川家庭裁判所 神奈川家裁判事補 神奈川地方判事補 の桐谷きりたにが紹介される。


 被害者感情と加害者感情を考慮した、中立的でありながらも社会的秩序から裁判に臨む桐谷は、国民や政界からの支持も高く、当事者の立ち直りや更生に繋がっている。


 吹雪は、ワインセラーからワインを適当に一本取り出してコルクを飛ばした。


 普段アルコールを体に入れることは殆どなかったが、今日は飲みたい気分だった。


 天井から吊り下がるワイングラスを取ると、部屋のインターホンが鳴った。


 グラスに半分注いだワインを一息に飲み干した。


 自分がこの部屋に泊まっているのを知っているのは組織の人間とフロントのみである。


 組織の人間がアポ無しで闇雲に接触してくることは今までもこれからも絶対に無い。


 それにこのホテルに入ったのは一番乗り。

 

 ホテル側のコンタクトならまず部屋に電話を掛けてくるはず。


 吹雪は部屋の前を映し出すモニターを付けた。


 上品な顔立ちに艶のある美しい黒髪、立っているのはどこかで見たことのある女だった。


 「誰だっけ?」


 言葉に強弱をつけず聞いた。


 「白鳥しらとり代表の使いでお伺いさせていただきました」


 白鳥の名前を聞いた瞬間、テレビや雑誌で引っ張り凧の女優であることに気付いた。


 日本芸能界連盟 関東育成協会会長 白鳥芸能プロダクション 代表取締役の白鳥は、一軒の田舎キャバクラのボーイから芸能畑で成功者へと成り上がった努力家である。


 その不動の信念と不断の努力は、芸能界だけではなくメディアを通したドキュメントとして、お茶の間にまで影響力が広がるほどだった。


 「招いたつもりはないよ?」


 「取り敢えず中に入れてもらえませんか?」


 半年ほど前に青森の県会議員の汚職を抑えようと、著名人の集まる食事会に出席した時たまたま白鳥と偶然にも鉢合わせた。


 白鳥は大御所が多数在籍する芸能事務所を買収するために足を運んでいたらしい。


 普段組織の任務以外でメンバーと連絡を取ったり会ったりするのは禁じられている。


 しかしこの日は奇跡的な偶然だった。


 食事会で会話を交わすことは無かったが、白鳥からの連絡でその日の夜は白鳥が経営する会員制クラブを貸し切りに酒を交わした。


 インターホンの前に立つ女はそのアルコールの席で話の中に登場した売れっ子女優だった。


 「楽しませられなかったら怒られてしまうので取り敢えず中に入れてもらえませんか?」


 楽しむつもりもなかったし、怒られるのも知ったことではなかった。


 しかしどんな理由であれ、自分の言動が原因で白鳥の頭に角が生えるのは面白くなかった。


 「スマホ持ってる?」


 「え?はい」


 「部屋に入りたかったら言われた通りにして」


 「分かりました」


 「360度回って廊下の天井を映した動画を撮ってほしいんだ」


 白鳥を知っているとは言え、念のために部屋の周囲を確認する必要があった。


 「見せて」

 モニターに映るスマホの画面には、誰も映っていなかった。


 部屋の前でウロウロされるのも不都合である。


 部屋に入れてすぐ帰らせようと思った。


 鍵を開錠するとディスプレイ越しではない女優が目の前に現れた。


 「こんばんは」


 女は可愛らしい笑窪をつくり挨拶をした。


 生で見る方が少し痩せて見えた。


 「愛子です」


 「女優さんでしょ?」


 白鳥の余計なお節介には正直笑えなかった。


 「嬉しい!見てくれてるんですか?」


 「番組表をわざわざチェックして見てるわけじゃない。テレビに映ってるのをたまたま見たことがあるって意味だよ」


 「そう言うことですね」


 愛子が肩を落として、少し悲しそうな表情になる。


 普段から演技力を武器に仕事してる人間の表現なんて、ロボットの感情を読み取るくらい分かりづらい。


 「お名前は?」


 「吹雪」


 「カッコいいお名前ですね」


 「そうかな?」


 「雰囲気と言うかオーラと言うか、名前にぴったり合ってます」


 雰囲気もオーラも大体使う時のニュアンスは一緒である。


 吹雪は突然の来訪者が普段出会うことのできない画面越しの相手とは言え、一瞬で相手をするのが面倒くさくなった。


 「ちょっと疲れてるからシャワー浴びてくる。適当に時間潰したら勝手に帰ってね」


 吹雪はバスルームへ向かった。


 愛子が帰るまでバスルームを出る気はなかった。


 全面鏡張りのバスルームでは、どこを向いても適度に鍛えられた肉体が映った。


 吹雪はシャワーに打たれながら、消えない無数の傷痕を優しく撫でた。


 この傷痕を見る度に腹わたが煮えくり返り、胸が張り裂けそうになる。


 この肉体が今もこうして動くのは来栖くるすのおかげである。


 東京医学専門高等学校 医学部研究所 教授 東京医学法人 来栖医院 院長である来栖の迅速な措置により、あの時はなんとか一命を取り留めた。


 過去携わった全ての手術を成功に納めることで名を馳せた有名外科医の腕は、漫画の主人公にしても良いくらい本物だった。


 モザイクアートの描かれたバスルームの扉に人影が映る。


 「あの~?」


 吹雪はシャワーの音の中で、舌打ちをした。


 今度は何だ?

 「なに?」


 「一緒に入ってもいいですか?」


 溜め息を吐いた。


 財布に入らないくらいの金を白鳥が蒔いたのだろう。


 「逆上せるからもう出るよ」


 ゆっくりシャワーも浴びれない苛立ちで、吹雪は躊躇なく扉を開けた。


 張りのある透き通るような透明感のあるパーフェクトボディに、吹雪は一瞬だけ目を奪われた。


 無造作にバスタオルを頭に掛けてバスルームを出た。


 無数の傷痕に視線が映るのを肌で感じ取ったが、別に何とも思わなかった。


 裸のまま横浜の夜を一望できる、開放感溢れるリビングは格別だった。


 無言のまま愛子が背後から抱きついてくる。


 何なんだこの状況は?


 頭の中で白鳥がニヤリと笑う。


 白鳥の野郎…


 腹部に両腕を回され、張りのある両乳が背中に触れる。


 背中に触れている愛子の乳首が立っていくのが分かった。


 その気はないのに下半身が反応し、愛子をお姫様抱っこしてベッドへ誘った。


 触れ合う肌。

 糸を引く唇。

 絡み合う舌。

 互いに熱くなる下半身。


 愛子の陰部がびしょ濡れになっているのが、尻を鷲掴みにしただけで分かった。


 我慢の理性を解き放ち、男に生まれた本能のままに合体した。


 滴る汗を透き通った肌で受け止めながら感じる愛子を見下ろしながら前後していると、扉のオートロックが開く音が聞こえた。


 おいおいおい…


 うそだろ?


 客の許可無しで出入口の扉が勝手に開くことは絶対に有り得ない。


 敵か?


 この女の仲間?

 マスコミ?


 いや…


 いくらお節介好きの白鳥とは言え、正体を明かすはずがない。


 この女も馬鹿だが、白鳥が派遣した以上マスコミの嗅覚は完全に遮っているはず。


 腰の動きを低速に切り替えて、枕元のクラッチバッグに右手を伸ばした。


 腰使いが変動したことに気づいた愛子が、息を淫らせ目を開ける。


 部屋の前まで来ている気配を感じると扉がノックされた。


 口元から漏れる喘ぎ声を自分の両手で必死に押さえていた愛子が悲鳴を上げる。


 愛子の仲間ではない確信が舌打ちとなる。


 さすがに今の反応が演技だとしたら大したものである。


 「だれ?」


 相手が名乗る前に、部屋の扉は開いた。


 サングラスにスーツを着飾った男が銃口を向けられていることに気付き、口の端を吊り上げる。


 同じく銃口を向けられて口の端を吊り上げた。


 既に愛子は掛け布団を抱えてベッドの隅に遠ざかっている。


 「警視庁公安部だ」


 男が手帳を左手に掲げる。


 「公安?」


 警察庁警備局を頂点に警視庁公安部・道府県警本部警備部・所轄警察署警備課というピラミッド構造を持つ、日本の警察組織の一部である。


 名前を名乗らなかったことに違和感を感じた。


 「捜査対象間違えてるでしょ?」


 社会に対して隠然たる勢力を持つ公安が、堂々と正体を明かして自己紹介するなんて聞いたことがない。


 警視庁公安部の任務は、そのほとんどが国家に対する犯罪の取り締まりと言われている。


 主に政治犯罪や、社会的秩序を乱す恐れのある思想犯、外国諜報機関、国際テロ組織などがその対象となり、目標を定めると監視、盗聴、尾行と様々な捜査手段を駆使する。


 警察組織の中でもっとも面倒で不気味な部署である。


 「朝日昇あさひのぼるについて聞きたいことが山程あってね」


 朝日は警察庁 情報通信局 局長 情報管理課 課長 であり組織の一員だった。


 「どこの誰?よく分からないけど人のこと聞きに来るだけでそんな物騒なもの構えるの?」


 「捜査対象者の身辺調査は常に危険だからな。職業柄これが普通だ」


 「その説明で納得する人いるの?」

 理不尽な理由を馬鹿にして笑った。


 「お前の右手が答えだ」

 物騒なものを握っているのは、お互い様だと言いたいのだろう。


 「吹雪桜ふぶきさくら26歳 指定暴力団 國義組こくぎぐみ 本部長 絆義会きずなぎかい 会長 吹雪連合 総長 として日本最大の広域組織の裏社会を牛耳る國義組の重役幹部に最年少で就任。その國義組のトップに君臨する七代目の愛娘の婿養子となったお前はエスカレーター式で暴力団社会を駆け上がっている。業界では現代的やくざの曹長として、将来國義組のトップになるとさえ噂されている。しかしその裏の顔は世界屈指の犯罪組織力と犯罪知名度を誇るCRIMEGLOBAL《クライムグローバル》の主要メンバー。組織の役割は主に組織全体の総括。調査結果では趣味から特技、癖や好物まで把握、性格や女性のタイプまで熟知している」


 女性のタイプ…


 公安の男が長々と退屈な説明を満足気に終えると、ベッドの隅で怯える愛子に一瞬視線を送った。


 「悪趣味だね。それに欠伸が出そうな非現実的空想を並べられても困るよ」


 公安の男を見て笑った。


 「通常各都道府県警は警察庁から独立して行動を取るが、各都道府県警の公安課は警察庁警備局公安課から、外事課は警備局外事課から指示が出る。これにより各県警同士の確執や情報の漏洩が回避できる。公安の実力を行使すれば警察組織のアンテナに掛からない情報でも容易く手中にすることができる」


 面倒だな…


 「あんたが喋っているのは公安構想図の説明に過ぎない。國義組に関する情報は公開してるから認めるけどクライムなんとかってのはよく分からないね」


  「さっきも名前を挙げたがCRIMEGLOBALには朝日昇というメンバーが在籍している。朝日が警察庁 情報通信局 局長 情報管理課 課長であり組織の一員であるのは全体を統括するお前なら、自分の名前くらい良く知っているはずだ。この情報は三ヶ月前から情報通信局 情報管理課の上層部で噂になっている。朝日に近く厳正で厳重な刑罰が科せられるのは明白だ。捜査線上では必然的にCRIMEGLOBALの存在が浮上し法廷で組織との関係が明るみになれば、報道メディアの余計な働きにより、世界中がCRIMEGLOBALを過小評価する。そうなればこれまで一切の証拠や痕跡を残すことなく目的を遂行してきたCRIME GLOBALの伝説も地に落ちて崩壊だな」


 深く溜め息を吐いた。


 知り過ぎているのも問題だったが、今の推論が現実となるのはもっと問題である。


 公安が特殊な部署で目の前の本質的には有能なお喋り男が、わざわざ夜這い中に堂々と踏み込んでくる変態捜査官だってことは解った。


 しかし捜査令状も逮捕状も持参せずに一人で乗り込んできた様子を推察すると、組織の捜査段階はまだまだ初期のはず。


 現段階では警察組織も朝日の物的証拠を掴めていないのが妥当な線だろう。


 ならば解決策は可能性のある犯罪要素をまず消滅させる他に組織を守る道はない。


 朝日と目の前の男を消す。


 「組織の手足として生きる以上、概念を壊したり秩序を乱したりする人材を放っておくわけにはいかないな」


 機械のように抑揚のないトーンで言い放った。


 「堂々と殺り合う気か?」


 「職業柄警察組織は元々上等だからね。あんたも知っちゃいけないことを知ってる以上この場をたとえ回避できたとしても時間の問題で確実に消されるよ」


 「なるほど。じゃあこの場の状況を誰にも口外しないって言ったらどうだ?」


 公安の男が挑戦的な笑みをこぼすと、絶妙なタイミングで枕元のスマートフォンが着信音を上げた。


 こいつはなにを言ってるいるんだ?


 冷静を通り越して血迷ったか?


 視線を移したディスプレイが表示しているのは、東京第一弁護士会 関東司法改正協会 副理事長 夜星法律相談事務所 代表取締役の超エリート 夜星やぼしからの着信だった。


 夜星が所属する関東司法改正協会の弁護団体は、別名司法テロリストと言われていて、民事事件も刑事事件も裁判では無敗を誇っている。


 完璧主義の慎重な性格は、どんなジャンルの勝負場面でも勝てる確証を掴み、結果として勝率100%の確信を得るまでは決して勝負をしない。


 おそらく7コール以上は鳴っているはず。


 組織内での7コール以上の発信は、緊急連絡を表している。


 出るか迷った。


 この状況は組織にとってどう考えても分が悪い。


 しかし今考えなければいけないのは朝日と目の前の男の抹殺である。


 「出ろよ?隙を突いて引き金を引くほど金玉は小さくない」


 公安の男が顎でスマートフォンを差す。


 いちいち感に触る不快な奴である。


 思わず引き金を引きそうになった。


 「後でたっぷり相手してやる」


 右手で構えている銃口は外さずに、公安の男に左手の中指を立てると、ディスプレイを掴み取って着信に応じた。


 「はい」


 「ご機嫌か?」


 相当ご機嫌ななめだったが、夜星の一言で不機嫌に拍車が掛かった。


 「緊急じゃないなら切るよ?」


 「そう早とちりするな」


 「今忙しいんだよ」


 「分かってる」


 分かってる?


 電話の向こうで夜星が声を上げて笑う。


 「用件は分かるな?」


 なるほど。


 この台詞は夜星の耳にも朝日の情報が入っている証拠である。


 それが警察組織からのアプローチなのか、個人のアンテナでキャッチしたものなのかは分からない。


 しかし夜星の用件とは九割型で朝日の問題を差している。


 だったら話は早かった。


 この現状を説明する必要性はない。


 「九割型ね」


 「大富が情報部長として失態したのは変えることのできない事実だ」


 待て…


 用件が大富の話…


 なぜ自分が知っている事を夜星は知っている?


 自分が大富の件を知ったのは、つい数分前である。


 「朝日が情報部長として失態したのは変えることのできない事実だ」


 「どうすんの?」


 「愚問だ。既に処罰は済んでる」


 「相変わらず手が早いこと」


 処罰と言う言葉を聞いて安心した。


 朝日はもう存在しない。


 夜星はどんな突発的状況でも常に柔軟で迅速な働きをする。


 組織のためなら容赦なく無情になる。


 夜星の徹底した責任と立場にはいつも純粋に感心してしまう。


 「ここで組織の中枢を担うおまえに、是非とも聞きたいことがある」


 「なに?」


 「俺が推薦する新しい情報部長の面接結果を聞かせてくれ」



 ………



 ん?


 今なんて…


 思考が高速回転する前で、公安の男が不敵な笑みをつくる。


 「くそっ」


 思わず声が漏れた。


 やられた。


 夜星の差し金…


 夜星らしい粋な謀りごと…


 最初からこの状況を知っていた…

 いや………創り出した…


 夜星のクソ野郎…


 白鳥の謀りごとなんて可愛いもんだった。


 個人的な情報の収集も公安部の情報網と行動力を発揮したほんの一部。


 目の前の変態クソ野郎はひとまず置いといて…


 この公安組織の利用価値は絶大である。


 「聞いているか?」


 「敷居の溝は埋めるだけでなく、次なる飛躍の土台にしないと意味がないって言いたいんでしょ?」


 夜星の選択は組織のNo.2に相応しい…


 自分より何歩も先を歩く優れた思考…


 やはり夜星は一筋縄では食えない…


 「確認したいことがあるんだけど?」


 「おまえの情報をどこまで提供したかだろ?」


 「それ」


 「まずうちの組織を統括する奴に直接会ってこい。俺が3ヶ月前に言ったのはそれだけだ。言うまでもないが組織の他の連中との間接は一切ない」


 「分かった」


 公安組織の特権を行使したとは言え、組織に加わればそれもまた強力な武器になるのは間違いない。


 それにこの変態サングラス野郎は自力で情報を掴みここまで辿り着いた。


 組織に必要のない人材ならタイミングを見て消せばいい。


 それまで手の平で転がすか。


 「まだ信用はしてないけど安心はした。僕の一存じゃあ気兼ねするけど採用すれば今までの情報部長とは違う面白い暗躍が期待できるはずだよ」


 「おまえは組織の中で権利を主張する義務がある」


 「真闇は?」


 真闇輝美まやみかがみは横浜市会議員 自由民主党所属 衆議院議員 自由民主党関東農業企画室 室長である。


 実父である真闇一輝は元総理大臣であり、歴代の総理大臣でもっとも長い間、日本のトップとして国民を牽引した。


 剃刀のように切れ味鋭い思考は、どんな状況下でも的確な判断で間違いない答えを導き出す。


 地元である横浜だけに人気は留まらず、政界を越えた国民的アイドルとして、日本の光ある未来を建設するために日夜政治活動に奮闘している。


 真闇がどう考えているのかが一番重要なことだった。


 真闇は自分にとって神的な存在である。


 行き止まりの壁だとしても進めと言われれば進むし、右だと言われれば右折する。下に落ちろと言われれば底が見えなくても迷わず飛び降りる。


 副会長である夜星の意向に真闇が賛同していなければ答えは簡単である。


 夜星と対立するまでだ。


 「俺の独断だ。会長が朝日の件を知ったところで俺の取るべき行動はなにも変わらない。お前にまず会いに行かせたのはお前が認めない人材を他のメンバーは絶対に認めないからだ」


 確かに夜星の言う通りだった。


 真闇が知っていようが知らなかろうが夜星の取るべき行動はなにも変わらないだろう。

 

 「これからどうするつもり?公安とは言えど組織の情報を掴むことのできたセキュリティの甘さ。大問題だよ」


 「俺も今一度組織の防衛の在り方を見直そうと思ってる」


 「確実にもう遅い。僕も色々と探ってはみるけどこれからきっと忙しくなるよ」


 「俺はこれから大阪に行くが明日には横浜に入る。それとメンバーが朝日の件を知っていたとしても今回の事は俺から言うまで他言しないでくれ」


  「分かった」


 夜星との電話を切っても銃口を向けたまま、ITを担当する天野あまのに電話を掛けた。


 日本情報処理技術協会 技術委員長 情報処理局 室長 株式会社ITA 代表取締役である天野は、国が認めるIT業界のカリスマ的存在である。


 幼少期から独学でハッキングの勉強をし、現在では侵入できないインターネット回線はほとんどないと自負している。


 自身が開発して取締るITAプログラムは、世界中のどこでインターネットを使用していても、その用途と個人を特定することができる。


 「名前は?」


 「阿久津湊あくつみなとだ」


 阿久津は既に拳銃を腰にしまっていた。


 天野は8コール目で電話に出た。


 「どうした?」


 「久しぶり」


 「挨拶する余裕があるなら切るぞ?」


 どうやら突然の召集で苛立っている様子だった。


 「もちろん緊急だよ。ちょっと組織の存続に関わる事態だからさ。調べて欲しいことがある」


 「なにをどう調べるか簡潔に教えろ」


 「まずは阿久津 奏って人物について」


 電話口の向こうで、高速ブラインドタッチの音が聞こえてくる。


 「国の犬だな。それも面倒臭い公安だ。まさか嗅ぎ回られてる訳じゃないだろうな?」


 阿久津の素性に偽りはないらしい。


 「今は僕の時間だから質問はあとで。次に組織の情報漏洩について調べて」


 「そんなの調べるまでもないだろ?この俺が徹底して管理してるんだぞ?世に出回るわけ…」


 天野の言葉が途中で途切れる。


 思った通りだった。


 既に目の前の阿久津以外にうちの組織の構成に勘付いてる者が居る。


 でなきゃ公安とは言え、徹底した組織のバリケードを突破できるはずがない。


 「どこの誰?」


 「ちょっと黙れ!くそ」


 再びキーボードを無茶苦茶に弾く音が聞こえてくる。


 おそらく新しい防壁を張り直して相手の情報網に侵入しデータを削除しているのだろう。


 「iSOだ」


 なるほど…


 intelligence

 secret

 organization


 日本屈指の情報網を持つ諜報秘密組織である。


 「一応iSOの所有するデータバンクがパンクするよう地雷ウイルスを仕掛けた。俺が侵入した痕跡が回線上で消えたら作動する」


 「どの程度まで捲れてた?」


 「似てないモンタージュと一つ二つ惜しい個人情報だ」


 公安組織のアンテナと情報網があればその程度の内容で近しい標的は絞れる。


 「かなり深刻な状況だね」


 「会長の召集理由はこれだな?」


 「多分そうだね」


 「この阿久津って奴が組織にとって煙たい存在なら今すぐ手配して消すぞ?」

 

 「ところでもう横浜?」


 「俺も明日の午前中にはそっちに着くようにする。さっきから質問に答え…」


 「じゃあまた明日。会った時に色々話そう」


 吹雪は天野との電話を一方的に切ると、スマートフォンと拳銃を枕元に投げ捨てた。


 阿久津がサングラスを外す。


 「歳は?」


 「お前と一緒だ」

 少し老けて見えたが、やはり年齢は一致していた。


 真闇が組織を結成した時、初期メンバーから現在に至るまで歳は全員同い年だった。


 「あんたのように社会的にも優秀な人材がどういった経緯でうちに来たかは詮索しない。いずれ必ず解ることだからね」


 皮肉を込めて作り笑いをした。


 「あんたが加入したら確実に今後の組織の方向性を担うポジションにつく。あんた次第で組織は良くも悪くもなる。そのことを充分に理解した上で明日の召集時に他のメンバーに会ってもらいたい」


 ハンガーに掛かるワイシャツを羽織りボタンを閉めた。


 「先に言っておくけどウチの人間の殆どは血の気が多い。だから不審な行動は命取りになるって常に頭に置いておいた方がいい」


 阿久津の本心は分からないが、利用価値があるのは間違いなかった。


 「分かった」


 裸体のまま、差し出された阿久津の右手を握った。


 阿久津も所詮は太い首輪で繋がれた、真闇の支配下にある夜星の駒の一手に過ぎない。


 おそらく情報通信局に朝日の存在を浮上させたのも夜星の仕業だろう。


 あくまでも憶測だが夜星は数ヶ月前から今日のシナリオを描いていたに違いない。


 常にぶち当たる現実の先を歩き、思い通りに現実を操作する夜星の思考はやはり逞ましく憎い。


 「あと僕も人のことは言えないけど、他のメンバーはかなり癖が強いから気を付けてね」


 スーツの上着を羽織ると部屋の扉に向かった。


 「おっと…忘れてた」


 踵を返すと、愛子を見据えて微笑んだ。


 残念ながらバラエティのドッキリ企画ではない。


 恐怖に怯えて喋ることすらできない愛子は、涙と失禁でシーツを濡らしていた。


 「いい表情してる。これまでのどんな作品よりきっと素晴らしいよ」


 愛子の頭を優しく撫でた。


 「恨むなら白鳥と金に目が眩んだ自分を恨むんだね」


 愛子が何度も首を横に降る。


 「この子のことはあんたに任せる」


 始末しろという意味を込めて、愛子のことを阿久津に託した。


 これができなきゃ組織としても仲間としても迎えることはできない。


 「但し、ここは僕がたまに使う居住空間だから汚さないように」


 「分かった」


 愛子が半狂乱のように過呼吸になる。


 吹雪は阿久津の横を通り抜けて、玄関扉を開けてホテルの廊下へ出た。


 明日の招集時は一悶着ありそうだ。


 白鳥もさすがに、黙ってはいないはず。


 エレベーターに乗る時に一瞬、愛子の悲鳴が聞こえたような気がした。

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