第2話 「冬温」

最後の恋だと思っていた。

もう 30 も過ぎ、結婚という二文字を否応なしに意識しながら、

相手の放つ優しさという罠に、

わたしはまんまと嵌ってしまった。


気がついた時は

わたしには何も残されていなかった。


貯金も、家も、仕事も・・当然、将来この人と結婚するだろうという淡い思いも、

すべて奪い取られていた。


生きていく意味もわからず

生きる目的も失い

自暴自棄になったわたしは、

着の身着のまま、なけなしの金をはたいて電車に飛び乗り

冬の海に身を沈めよう

そう思ったのだった。



「あの・・しばらくここにおいてもらえませんか?」

「え? まあ別にかまわないけど・・でもご家族の方、心配するでしょ?」

「わたしにはもう・・帰る場所がないんです・・」


10 年前に火事で実家が全焼し

それ以来、わたしには身寄りはない。


そんな私の身の上話をひとしきり聞いた男は、いいとも悪いともいわず


「ふーん・・俺とおんなじだな・・・」


男はこの広い家に一人で住んでいるらしかった。

そう言ったきり、なんの干渉もせず黙ってわたしをこの家に住まわせてくれている。


もう年齢的に枯れかかっているとはいえ、

やはり男と女が一つ屋根の下に暮らすということは、客観的に見ればリスキーではあると思う。

けれど・・


女として情けなくなるくらい、

男はなにもしない。

(わたしの存在が見えないのではないか?)

そう思えるほど、

男は判で押したように決まった時間に出かけ、決まった時間に帰ってきて、

まったく干渉することはない。


同じ家に住んでいながら、

初めの一月ほどは顔を合わせることもなかったくらいだ。

それでも、時々すれ違うと

「おっ・・顔色良くなってきたなあ」って

声をかけてくれるし、

なにより目を覚ますと、

枕元にはお弁当が置かれていた。

毎朝欠かさずに・・


顔を合わせなくても、

会話がなくても・・

そばに誰かがいる。

存在を感じられる。


それだけでわたしは幸福感を感じていたし、

余計な詮索は一切しない。そのことが心から有難かった。


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