第2話
「ヨル、こっちへ来て挨拶しなさい。今日からこの家で働くことになったスエだ」
使用人が増えるのは時々あった。
新しい使用人が来るといつも、父様は俺にきちんと挨拶をさせた。珍しくはない一場面。だけど、スエと初めて会った日のことは、はっきりと覚えている。
スエがとても綺麗な顔をしていたからだ。
「よろしくおねがいします」
このころ、俺はまだ5つか6つ。
舌足らずでそう挨拶すると、スエは腰を折って深く頭を下げた。その動作がとても滑らかで美しく見えて、俺は自分の部屋に戻ったあとでお辞儀の練習してみたりした。
スエは屋敷では下働きとして働いていた。
俺は時々、庭仕事をしてるスエを窓から見てた。綺麗な顔だなって幼心に憧れていた。俺の近くで俺のお世話してくれる使用人はみんな優しいし好きだけど、ああいう綺麗な人が近くにいたらいいなあと思っていた。
ほどなくして、その願いが叶うことになった。スエが俺のお世話係になったのだ。俺の面倒はじいやが見てくれてたけど、じいやも年が年ということで隠居することになった。だから俺は、父様にお願いした。
「新しいお世話係は、スエがいいな」
父様は渋い顔した。スエにじいやの代わりが務まるとは思えない、父様の顔にはそう書いてあった。
「父様、母様、お願いします」
父様と母様は何かごしょごしょ相談して、少し難しそうな顔して「わかった」と俺のお願いを聞いてくれた。なんだかんだ言って子どもに甘いんだ。父様と母様は。
ふと目を開けると、まだ外は薄暗い。
枕元のケータイで時間を確認すると、まだ5時だった。早いよ。二度寝しよ。布団に包まりつつ、さっきまで見てた夢のことを思い出す。
スエと初めて会った日のこと。じいやとお別れして、スエがお世話係になった日のこと。
ヨルは単純な子どもだった。顔がいいやつにお世話係になってほしいだなんて。まあ、子どもってそんなもんか。
そんなことを思ってウトウトし、いつの間にかぐうぐう二度寝。
そしたら今度は寝坊してしまった。起きて時計見て慌てて着替えて家を出た。
「おはよー」
急いだおかげで、遅刻せずに済んだ。セーフ。すでにいつもの席に座ってた上原くんは、俺を見て溜め息。
「おはよう。なんなのその寝ぐせ。朝ご飯はちゃんと食べた?」
上原くんはそう言いつつ手を伸ばし、寝ぐせを直すように俺の髪を撫でつける。
「今からサンドイッチ食べる」
さっきコンビニで買ったサンドイッチを掲げて見せると、上原くんはもう一回溜め息ついた。溜め息を通訳すると、「ちゃんと起きなさい。家で食べてから学校に来なさい」だ。
上原くんは俺の生活をとっても気にする。今は同級生という立場だけど、母様の意識が抜けきってない。
上原くんの視線を感じつつサンドイッチもぐもぐしてたら、伊藤くんもやって来た。
「おはよ」
そう言いながら、サンドイッチ食べてる俺の頭をぐりぐり撫でる。伊藤くんも俺のこと子ども扱いする。いいけどね。
その日の帰り。
上原くんが俺の部屋のチェックし行くって聞かなかった。ちゃんと片づけできてないのであまり見に来てほしくなかったが、誰も上原くんを止めることはできない。
ウチに来て「あーあーもーもー」って呆れる声を出した上原くん。
「まあまあ。ちょっと散らかってるけど、別に不潔ではないじゃん」と俺を庇ってくれる伊藤くん。
少し情けなくなりつつ、ふたりに手伝ってもらってお片付け。その途中、不意に今朝の夢のことを思い出した。
「そういやさ。今朝、スエと初めて会った日の夢を見たんだけど。スエって、なんでウチで働くことになったの?」
伊藤くんと上原くんは気まずそうに顔を見合わせた。聞いちゃいけないことだった?
「スエは元々、知り合いの家の持ち物だったけど。あー…何て言うか。いい環境じゃなくて、見かねて譲ってもらったんだ」
俺は察する。
前世のあの世界。あそこでは、下層階級の人間は金銭で取引されていた。今の価値観ではドン引きだけど、あの世界では当たり前のことだった。
父様は優しい人だった。見かねてってことは、スエは前の持ち主のところで酷い扱いを受けていたんだろう。
「初めてお前に合わせた日は、譲ってもらってから一ヶ月は経ってたかな?それなりに回復するのを待ってからお前と顔合わせさせたんだ」
俺は何も知らなかった。
「スエ、下層階級の人間だったんだね」
決して蔑んでるわけじゃない。使用人の中には、他にも下層階級の人がいたはずだ。
でも俺はスエのこと何も知らなくて…。
「生まれは下層階級じゃなかったそうだけどな。前の持ち主もスエのことを詳しくは知らないと言っていた。たまたま市で買ったと…。スエ自身も、何も話さなかったし」
スエには、過去があったんだ。誰にも話さなかった過去。もし俺が…ううん、ヨルが、あのまま毎日を過ごしていたら。
スエはいつか、過去のことを教えてくれただろうか。そんな信頼関係を築けていただろうか。
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