09.愛し君へ
ルーナとレピデスが家の中に入ると、すぐにセインが気付いて、エプロン姿で出迎えた。
「お帰りなさい。レピデス先生も、家まで送ってくれてありがとうね」
「いえいえ。僕が連れ回したようなものなので。それにしてもいい香りですね。今夜はシチューですか?」
「ええ。丁度出来上がったところなの」
タイミングが良かったわあ、と喜ぶセインにレピデスもにこにこと頷き、そのままキッチンへと戻ってしまいそうなセインを引き止めようとレピデスは口を開いた。
すると、そんな彼の指先をくい、と引っ張り、ルーナが止める。
驚いてルーナを見ると、意志の宿る碧眼が、真っ直ぐにレピデスを見上げていた。
「……私、自分で言います」
やや強ばった顔でそう宣言したルーナは、レピデスから離れ、セインの背中へと声をかけた。
「セインさん」
呼び止められたセインは足を止め、不思議そうな顔でルーナを振り向く。そして、きちんと身体ごとルーナへと振り返り、じっと視線を合わせた。
「どうしたの?」
柔和な笑顔で訊ねられ、ルーナは自分の口の中が渇くのを感じながら、ごくりと少ない唾を飲み込み、口を開く。
「あのね……」
「うん」
「家庭教師のこと……やっぱり、まだ続けててもいいかな……?」
恐る恐るといったようにお伺いを立ててきたルーナにセインは目を見開き、やがて嬉しそうに破顔した。
それから、不安そうな顔をして立っているルーナをぎゅっと抱き締める。
「もちろん! 絶対やめない方がいいって、私も思ってたのよ」
「ほ、ほんと? ありがとう……」
ドクドクと早い鼓動が重なった体温の隙間から伝わり、セインはやや抱き締める力を弛めながら、ルーナの頭を撫でた。
「こちらこそありがとう。続けたいって言ってくれて」
囁くように言い、セインはルーナを解放した。
抱きしめたことで少し乱れてしまった髪を整えてやりながら、セインは微笑む。
「さて、そろそろご飯だからね。手洗いうがいしておいで」
「あ、うん……! あの、先生、プレゼントありがとうございました」
レピデスが手を振ることで応えると、ルーナはぺこりと一礼してから洗面所のある部屋へと去っていく。
やがてその背中が見えなくなると、セインはレピデスへと目を向け、お礼を言った。
「ありがとうね。あの子のために色々と」
レピデスは微笑みで応え、「では、良い夜を」と頭を下げてフォルティス家を後にした。
「さーて、おまちかねのプレゼントタイムよお」
クリームシチューにチキンにガーリックラスク。それにセインお手製のフルーツたっぷりシフォンケーキを平らげ、膨れたお腹を摩りながら、蜂蜜入りのホットミルクを飲んでいるとセインがそう手を叩いた。
その言葉にフォルティスも頷き、椅子から立ち上がる戸棚からなにやら冊子と紙を持ってくる。
ルーナが首を傾げながら待っていると、フォルティスは手にしていたそれらをルーナの前に広げた。
「儂からは、家をやろう。これは注文書だ」
「えっ!?」
思いもよらなかった言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまう。
ルーナの視界に広がる冊子には、確かに家の写真が載っていて、様々な色の屋根やフローリングが、見本市のように広がっていた。
「あの空き地に住むにはまず家が必要だろう。大工のリゾルタに話してみたら、ルーナの独立祝いだってかなり安くしてくれたんだ。だから金のことは気にするな。まあ、小さい家だが」
「でも……!」
「ルーナ。これは儂からのお祝いだ。断られると悲しいんだが?」
戸惑うルーナに先手を打つように言われ、ルーナは言葉を飲み込んだ。そしてまた冊子へと目を落とす。セインなんかは、あらこの屋根の色可愛いわね、なんて言いながらルーナより先に楽しんでいた。
「ルーナの趣味がどんなもんかわからんかったからな……外装はルーナが好きなように決めなさい。決まったらこの注文書に書くんだ。分からなければ聞きに来なさい」
まるでこれも勉強だと言わんばかりに真っ白な注文書を押し付けられ、暫く茫然としていたルーナは、やがて大事そうにそれを抱え込んだ。
それから、泣き顔混じりに微笑んでフォルティスを見上げる。
「ありがとう、フォルティスさん。本当に、ありがとう……」
フォルティスは満足そうに頷くと、自分の仕事は終わったと言わんばかりに椅子に腰かけ、食後のコーヒーに口をつける。その様子にセインはくすりと微笑ってから、感動に浸るルーナの肩を優しく包み込んだ。
「私からはね、お洋服!」
陽気な声でそう言ったセインは、椅子の下に隠していた箱を取りだした。大きなブルーのリボンで飾られたそれは、何枚もの服が包めそうなほど大きくルーナは目を丸くする。
「牧場仕事って、ほんっとに土やら何やらで汚れるのよお。だから、仕事で使えそうな動きやすい服を何セットか用意しておいたから、ぜひ使ってちょうだい」
「……ありがとう。毎日着るね!」
愛おしさを瞳に滲ませながら、ルーナはつるりとした包装紙を指先で撫でた。
土地が欲しい。ここから出て、独り立ちしたい。そんな突然のわがままを受け入れてくれただけでも十分だったのに、もう、これ以上の幸せはない。ルーナがそう泣きたいような想いで胸をふるわせていると、そんなルーナを優しく見つめていたセインが、ふと視線をずらした。
それから、視線の先で唇を引き結んでむっつりと黙っている、完全に言い出すタイミングを失っているであろう孫に声をかけた。
「ソルもあるのよね?」
「え」
「なッ……!」
二人の瞳がそれぞれの理由で見開かれる。
ソルを怒らせた日から、あまり話していなかったからこの誕生日会も歓迎はされてないだろうなとルーナは勝手に考えていたし、ソルはまさかこんなタイミングで暴露されると思っていなかったのだ。
恨めしそうに鋭い眼光で貫いてくるソルに、セインは頬に手を当ててため息をついた。
「あなた、今渡さないとずるずる渡せないまま終わりそうなんだもの。せっかく私に、「ルーナの誕生日、何を贈ればいいか相談に乗って欲しい」って真っ赤な顔で──」
「だああああっ! やめろって! 今持ってくるから!」
「ソ、ソルくん落ち着いて」
椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がったソルは、八つ当たり気味にルーナも睨み付けながら姿を消し、戻ってきた時には一つの箱を抱えていた。
そして、ルーナから目を逸らしながらそれを突き出した。
「ん」
「えっと……貰って、いいの?」
「……ん」
ソルの顎がわずかに上下するのを認めた後、ルーナは恐る恐るといったように手を伸ばし、蓋付きの赤い箱を受け取った。
「見せて見せて」
この場で開けてもいいものか、悩んでいるとセインが頬を寄せて期待に目を輝かせたので、ルーナはソルの様子を伺いながら、両手でそっと蓋を外した。
現れたのは、照明の角度で七色に光を散らす緩急材の中で眠る、黒地にゴールドのラインが入ったスニーカーだった。ルーナとセインは、揃って感嘆の声を上げる。
「素敵……!」
「我が孫ながらセンスいいじゃな〜い」
それぞれに褒められ、ソルは居た堪れない気持ちになりながらさらに二人から顔を逸らす。そのほんのり桃色に染った耳の縁を見ながら、ルーナは微笑んでお礼を言った。
「ソルくんありがとう! 大事にするね」
「……大事にするのもいいけど、ちゃんと使えよな」
そのままだと飾りのように箱の中で眠らせられかねない。そう思ったソルが釘を刺すと、コクコクとルーナは頷く。
「毎日履いて、毎日お手入れするね」
たかだか安物のスニーカー一足にそこまでしなくても……。ソルは呆れてルーナの方を向いたが、その双眸が甘く煌めき、あまりにも純粋な喜びとこちらに対する感謝の色に溢れてるのを見て、何も言えなくなってしまった。
本当は、悲しくて仕方なかったのだ。
ルーナが一人で思い詰め、人生に関わるような重要なことを決めてしまったことも、自分の存在が何の枷にもならなかった事も。……自分で思うより、ルーナの中での自分の存在がちっぽけな気がしてしまって。
しかしそれはソルの勘違いだった。自分のことをなんとも思ってない人間が、こんな眼をするわけがないのだから。
未だ悔しい気持ちも、引き止めてしまいたい想いも残ってはいるが、大切な女の子の門出も祝えないような心の狭い男にはなりたくない。
ソルは漸く、心からの笑みでルーナの決断を受け入れることが出来た。
「誕生日おめでとう、ルーナ。……応援してる」
どうか君に、幸多からんことを。
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