08.レピデス先生の贈り物
折角のめでたい日なのに、辛気臭いわねぇ。
セインは本日のメインであるシフォンケーキにクリームをデコレーションしながら、何処かよそよそしい孫と娘を横目に見た。
よそよそしいとはいっても、あからさまにおかしな態度をとっているのは孫のみで、ルーナはその理由が分からないと言ったように困っているだけだ。話し掛けたいけど、ソルが話しかけにくいオーラを出しているので躊躇っている。そんなふうに見えた。
きっと原因は、昨晩のルーナの発言であろう。
セインにとってもここ最近で一番衝撃的な出来事として心に刻まれたので、ソルにとっては更に考えもしなかった発言だったのだろう。
とはいえ、折角の誕生日なのだからせめて今だけは表面くらい取り繕いなさいな、と思いつつ、まだそんな器用なことができるような歳でもないか……とセインは苦笑した。
「ルーナ、トッピングは何がいい? 色んな果物用意したのよお」
ちらちらとソルの様子を窺い、落ち着かなさそうなルーナを手招きする。
ハッとした顔でこちらに駆け寄ってきたルーナは、カゴいっぱいのフルーツを見て目を輝かせた。
「わあ……! こんなにいっぱい」
「余ればそのまま食べてもいいからね。さて、どれにする?」
水の玉を弾く葡萄や、真っ赤に熟した苺。黄金色のパイナップルに、艶々と光を反射するメロン。そのどれもが色とりどりの宝石のようにルーナの瞳に映り、ルーナは頬を上気させる。
果物は高級品という認識が強く、ルーナにとってはなかなかお目にかかれない光景だった。
「どれも美味しそう……。あの、私、特に葡萄が好き、です」
ちょっと恥ずかしそうにそう告げたルーナに、セインはにっこりと微笑んで早速葡萄をクリームの上に散らした。
他には? セインがそう尋ねようとした時、コンコン、と玄関からノック音が響く。
ルーナがそちらに目を向け、足を踏み出そうとすると同時、ダイニングテーブルに頬をついてそっぽを向いていたソルが立ち上がり、伏し目がちにルーナとセインを一瞥した。
「俺が出るよ」
「え、あ……ありがとう」
ソルが扉を開けると、亜麻色の髪を持つ、黒縁メガネの男が顔を覗かせた。歳の頃は二十代半ば。白いシャツにクリーム色のニットが良く似合う、優しい面立ちをしている。
左右に流した前髪から覗くタレ目が、ソルを見て柔らかく蕩けた。
「やあ、ソルくん。宿題はもう終わったかな?」
しかし、次いでとび出てきたそのセリフに、ソルは顔を引き攣らせる。
「レピデス先生……開口一番その確認、やめてよ…」
「え? ああごめんね。まあ、提出期限はまだ先だからね」
にこにこと微笑みを絶やさないこの男の名はレピデス。
島外で大学に通い、教員免許を取得した彼は、島に戻りセインとソルの家庭教師を担当していた。
「ルーナちゃんに話があったんだけど……ああ、いたいた」
嫌がるソルの柔らかい髪を撫でた後で部屋を覗き込み、お目当ての人物を見つけたレピデスは勝手知ったるように上がり、ルーナの前に立った。
「レピデス先生」
「お誕生日おめでとう、ルーナちゃん」
微笑んだレピデスは、ソルにそうしたようにルーナの頭を撫で、その後で隣のセインへと目を向けた。
「セインさん、少しだけルーナちゃんお借りしてもいいですか?」
「あら。ええ、どうぞ。よければ、先生もご飯食べていく?」
「ああ、いえ。今日は折角の家族水入らずでしょうから……今度、ぜひご一緒させてください」
セインはその言葉に頷き、ルーナの肩を優しく叩いた。
「まだご飯まで時間はあるから、いってらっしゃいな」
「あ、うん……ありがとう」
ルーナはやや戸惑うように頷き、レピデスを見上げた。
そんなルーナを安心させるようにレピデスは微笑み、ルーナの背中に手を当てる。
「そんなに時間は取らせないから、付き合ってくれると嬉しいな」
「はい……」
なんだろう? 不思議に思いながらも、誘導されるままルーナは玄関先へと足を向け、家を出る刹那、不審がるようにこちらを射抜くソルに、レピデスは片目を瞑って見せた。
突然茶目っ気たっぷりのモーションをかけられたソルは、毒気が抜かれたようにキョトンとする。
「ソルくんが心配するようなことは何もないから安心して」
僕は紳士だからね。そういったレピデスに、カッとソルの頬が燃え上がり、羞恥に膜の張った二つの眼で、レピデスを睨みつけた。
「心配なんかしてねー!」
ムキになって怒るソルが可愛くて、レピデスは喉の奥を鳴らして笑ったが、渦中の人物であるルーナが何も理解しておらず首を傾げているのを見て、ついには声を上げて笑ってしまった。
ほんとに可愛い二人だなあ。ソルに聞かれたらまた怒られそうなことを思いながら、背中にソルの睨みを受けつつ、レピデスはルーナを伴い外に出るのだった。
「急に外に連れ出してごめんね」
まだ日が落ちきっておらず、薄闇のベールを纏う空を見上げていると、ふと隣から声をかけられてルーナはそちらを見上げた。
緑がかった瞳が、どこか気遣うような色を灯している。
「今日ね、ルーナちゃんの家庭教師について、解約のお願いがセインさんからあったよ。ルーナちゃん、あのお家から出るんだって?」
その言葉に、ルーナは頷いた。
家庭教師自体は続けてもいいのでは、とセインには言われたが、引っ越したあとでそんな時間が取れるのかも分からず、それにお金がかかることも重々承知していたので、解約をお願いしたのだ。
「レピデス先生、今までありがとうございました」
「ルーナちゃん……」
まるで今生の別れのような挨拶をしてくるルーナに、少し眉を下げ、レピデスはルーナを撫でた。
「あのね、個人的な意見として勉強は続けた方がいいと思うんだ。牧場主になるってことは、君はこれから経営者になるってことだ。外との取引も増えるし、色々な教養は身に付けていて損は無いんじゃないかな」
「それは……はい。確かに……」
レピデスの言うことは尤もで、ルーナは眉間に皺を寄せ考え込んでしまう。だけど、具体的に幾らかかるか聞いたことは無いが、改めて自身で家庭教師契約を結ぶとしても、すぐには出来ないだろう。
牧場経営が軌道に乗ったら、またお願いしてみようか……そう思考の海に沈んでいたルーナの頬を、レピデスが摘んだ。
突然の刺激に引き上げられたルーナは、柔らかくこちらの頬に触れるレピデスを目を丸くして見つめた。
「れ、レピデス先生?」
「難しい顔してたから。ずーっと眉間に皺作ってたら、そのまま固まっちゃうかもよ」
悪戯めいた笑みでそうからかわれ、すでに解かれた眉間を思わず触ってしまう。レピデスは穏やかな表情で、言葉を続けた。
「ルーナちゃん。いきなり、そんなに何でもかんでも自立を急いで、何もかもを絶とうとしなくていいんだよ。家庭教師の件だって、セインさんはこのまま続けてもいいって言ってくれてたんでしょう? 僕だって、新しい君の家まで足を運ぶのは吝かじゃないよ。
この島の皆は、君のことを、君が思うよりも応援してるよ。だけど、それじゃ甘えになっちゃうからって、全てを跳ね除けられるとこちらとしてもちょっと寂しいな」
レピデスの言葉に、胸をつかれたようにルーナは眉を下げ、否定するように首を振る。
「跳ね除けるなんて、そんなつもりは無かったんです」
「うん。それも分かってるけどさ。何もかも一人でやろうとするのは凄く大変だから、僕たちの好意も、ラッキー! くらいに思って受け取ったらいいのさ」
レピデスはそう言って少し屈み、俯いてしまったルーナの顔を窺った。
「ルーナちゃんはすごく優しいから、そんなふうに思うのは難しいのかもしれないけど……でも僕らはいつでも君の味方だってこと、忘れないでね」
わかった? こてんと小首を傾げたレピデスに、ルーナは頷く。
それに満足そうに破顔し、「じゃあこれ」とレピデスは鞄の中から小さな包みを差し出した。
「誕生日プレゼント。独立祝いも兼ねてね」
「え……! あ、ありがとうございます」
長方形の、赤いリボンで飾られた包みを受け取り、ルーナはほう……と息をついた。
「それと、ルーナちゃんは僕の家のこと知ってる?」
「えっと……動物屋さん、ですよね?」
ルーナが時折配達に行く、隣町のオレンジ色の屋根をした家を思い出し、ルーナは答えた。いつも、人好きのする溌剌とした笑顔をうかべた、亜麻色ショートの女性が出迎えてくれるそこは、牛や羊、鶏などの飼育を主にしていた。
ルーナの言葉に、レピデスが頷く。
「今は牧場自体が無いに等しいから、自分たちで育てて、採れる副産物を売買することを主としているけど。本当は動物自体の販売をしていたんだ。ルーナちゃんのところで設備が整って飼えるようになったら、特価で対応するから、ぜひご贔屓に」
恭しくお辞儀をしたレピデスに、ルーナは小さく笑う。
「ありがとうございます。是非!」
「うんうん。その調子で、家庭教師も続けてくれると嬉しいんだけど、どうかな?」
気付くと、街をぐるりと一周し家の側まで戻ってきていた。
レピデスが少し立ち止まり、こちらを見上げるルーナに訊ねる。
「えっ……と、」
「まだ、解約手続きはしていないし、僕からセインさんに言ってあげる。……セインさん、喜ぶと思うよ」
諭され、ルーナは困ってしまった。
お金がかかるのに、面倒が増えるだけなのに、それなのに喜ぶのだろうか。
「セインさんたちは、君に甘えてもらえるのが一番嬉しいと思うんだけどな」
中々踏ん切りがつかなそうにしているルーナの両手を握り、ゆらゆらと揺らしながらレピデスがそう微笑む。
ルーナの双眸もゆらゆら揺れ、やがて長いまつ毛が影を作った。
「……甘えても、いいんでしょうか」
その言葉に優しい顔で頷き、ルーナを甘く見つめ返す。
「いいのさ。それが家族ってものだろう」
ああ勿論。島の皆、君のことを家族同然に想っているからね。そこは忘れちゃダメだよ?
勉強を教えてくれる時、ここは大事だから絶対覚えてね! という時と同じような口調で言われたそれに、ルーナは泣きたくなるような想いで胸を詰まらせながら、微笑って頷いた。
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