07.前夜




「私、ここを出て、独り立ちしようと思う」


 ルーナが秘めていた想いを告げたのは、彼女が十六歳の誕生日を迎える前夜の事だった。

 それまで和やかな雰囲気が流れていた食卓に、戸惑うような沈黙が落ちる。三人ともが目を丸くしてルーナを凝視していた。


「それは、また……急な話だな……」


 一足先に我に返ったフォルティスが、しかしまだ狼狽えながらもどうにかそう言葉を絞り出すと、セインは眉を下げて心配そうな顔つきになる。


「ええ、本当に。どうしたの、ルーナ……何かあったの?」

「ううん、ずっと考えてたの。このままじゃダメだって……」


 ソルは男の子だし、二人の実の孫であるし、将来はこの島からも出て、外で働いたりすることもあるかもしれない。ソルにはまだ、色んな未来の選択がある。

 だけどルーナはこの島から出るつもりもなく、かと言って将来のあてがある訳でもなく。ただ、セインとフォルティスの庇護下の元でぬくぬくと暮らし続けることだけは、自分自身が許せなかった。

 ここまで育てて貰った分、どうにかしてその恩を返したいと、空き地の噂を耳にする前からずっと思っていたのだ。


「ここを出てって、どうするつもりだよ」


 どこか切羽詰まったような、苛立っているような様子でソルに問われ、ルーナはソルを一瞥してから、フォルティス達をじっと見つめた。


「南にある空き地。あそこを、私に譲っていただけませんか。そこで、少しずつ自分の牧場を営んでいきたいの」


 フォルティス達の瞳がまた丸く見開かれた。ルーナは、畳み掛けるように言葉を重ねる。


「急だし、土地が欲しいだなんて無茶なワガママでごめんなさい。でもこれが私の最初で最後のお願いです。お願いします。お願い、フォルティスさん……」


 深く頭を下げたルーナは、二人から許されるまで頭を上げるつもりは無かった。

 祈るように、耐えるように、強く目を瞑り唇を噛み締めるルーナだったが、すぐに柔らかい声が降ってきた。


「顔を上げなさい」


 その声にゆっくりと頭を上げると、フォルティスとセインが微笑んでルーナを見ていた。フォルティスに至っては、片眉を下げ、苦笑混じりでもある。


「全く、予想もしてなかったことを言ってくれる」

「……ごめんなさい」

「いいや。怒ってるわけじゃないんだ。むしろ、儂らは嬉しく思ってるくらいだよ。あの地が大事なお前の手に渡るというのなら」


 その言葉に少し首を傾げたルーナに、セインもまた微笑み、ルーナの頬に乱れかかったブロンドを指先でよけてやりながら薄桃色の唇を柔らかく解いた。


「あそこはね、元々私たちが住んでいたの」


 これにはソルも初耳だったのか、ルーナの視界の端で目を丸くしながら二人を見つめている。


「とある人に、この島で牧場を営んでくれないかってお願いされてね。心機一転、この人と二人こっちに来て、あの空き地で暮らし始めたの」

「ただ、かなり広大な土地だ。そのうち二人で管理するには、年齢的にも厳しくなってきてな……泣く泣く手放したというわけだ」


 ルーナが物心着いた時にはもうこの家で暮らしていたから、本当に昔の話なのだろう。まさか、そんな裏話があったとは。


「中々、進んで牧場を経営してくれる人なんて居ないでしょう? ましてや辺境の地と言っても過言ではないほど、この島は孤立しているし……。でもあそこにはたくさんの思い出があるから、このまま廃れていったり……誰か、私たちの知らない人達のものになるなんて、私は絶対嫌だったの」


 強い口調で言い切ったルーナが、ちらりとフォルティスを見る。フォルティスがどこか気まずそうに視線を逸らしたのを目の端に留めながら、ルーナは尋ねた。


「それは、ディクタトリアの人たちのこと……?」


 あら、とセインが口元に手を当てる。


「どこでその名前を?」

「……ちょっと気になって、調べてたの」


 どう言えばいいのか、迷ってたどたどしく言葉を紡いだルーナに、ああ、とセインは合点がいったように手のひらに拳を打ち付けた。


「この前、エクエスさんと珍しく話し込んでいたものね。彼に聞いたのね、彼、そういった事に詳しいから」


 呆気なく見抜かれ、ルーナは頷くしか無かった。


「見慣れない人たちが最近よく来るって、他の人からも聞いてたから気になってしまって。その空き地を気にしてるってことも、少し」


 セインたちの会話を聞いていたフォルティスは、顎に手を当てて暫く考え込んでいたが、ひとつ頷くとルーナを真っ直ぐに見た。


「そこまで聞いたなら隠すこともなかろう。お前の言う通り、あれは隣国ディクタトリアの王宮からの遣いだ」

「王宮……」

「元は、向こうの陛下がこの島を気に入ったとかでな……ここの発展に協力したいとかって話だったんだが……」

「でも、そんなの嘘よ」


 強い口調で否定したのはセインだ。


「耳触りの良いことだけ言って、この島を乗っ取るつもりだったんだわ、あの人たち」

「こら、セイン。あまり根も葉もないことを言うんじゃないよ」


 興奮した様子のセインを窘めたフォルティスだったが、ギロリと睨まれて返り討ちにされてしまう。

 セインは憤慨した様子で腕を組んだ。


「だってそうでしょう? 宿屋のご主人に無理なお願いまでして、体のいいことばかり言って、この島をディクタトリアの傘下にでもするつもりだったんだわ。荒れてはいるけど、広さだけは十分すぎるほどだもの、あの土地。拠点にもってこいだわ」


 ふん、と拗ねたようにそっぽを向いたセインの言葉を訂正するだけの材料はなかったらしい。フォルティスは困り顔で頬を掻き、ううむ、と唸った。


「少しでもこの島のためになればと思ったんだがなあ……」


 どこか遠い目をした表情が、期待通りの流れにはなっていないことを如実に表している。

 なんと応えればいいのかわからずただ眉を下げるしかないルーナに、フォルティスはふっと表情を和らげた。


「だが、実質この島の土地管理は儂らがしているようなもの。あの土地をルーナが継いでくれるならそれに越したことはないし、空き地譲渡については諦めてくれと伝えておくから大丈夫だ」

「そうよお、それに、私たちも一応は経験者だから、色々と教えてあげられるわ。一緒に頑張りましょうね」


 どうやらルーナの願いは思っていたよりもあっさりと受け入れて貰えたらしい。

 微笑む二人に、ルーナも花が綻ぶように破顔し、新生活への期待と不安に胸を寄せながら、家族のために、この島のために頑張っていこう、と決意した。



 それから、三人で暫く談笑しながら夕食を終え、明日はケーキを作ってパーティにしましょうね、というセインの言葉で解散となった。

 そこから寝支度を整え、さあ布団に入ろうか、というところで自室の扉がノックされ、ルーナは半分潜り込ませていた身体を戻し、ベッドに座った。


「はーい」


 セインさんかな? そう思いながらルーナが返事をするが、扉が中々開かない。

 首を傾げながらルーナは立ち上がり、扉まで歩くとゆっくりとそのドアを開けた。


「あれ、ソルくん?」


 はたして、そこに立っていたのはなぜかむっつりと黙り込みフローリングを睨みつけているソルだった。

 一向に合わない視線に訝しみながら、ルーナはその肩を叩いた。


「どうしたの、ソルくん」

「…………」

「ソルく──」

「なんで」


 ルーナがその表情を見ようとソルを下から覗き込もうとした時、喉の奥から絞り出したかのような声がその場に落ちた。

 驚いて固まるルーナに、下唇を噛み、何かを耐えるように眉を顰めたソルが強い眼差しをぶつける。

 その瞳は、哀しみと戸惑いと、行き場のない苛立ちが混ざりあって燃えていた。


「なんで、この家を出てくんだよ」


 ぎゅ、と握られた拳が白く肌を染めている。

 そんなに強く握ったら痛いだろうに、ルーナは心配そうな顔になりながら、訴えるような眼差しを静かに見つめ返した。


「ずっと考えてたんだ。この家で、このまま皆に甘えてたらダメだって」

「そんなこと、一言も聞いたことない」

「うん……まだ、そこまで具体的に考えてたわけじゃなかったから。誰にも相談してなかったの」


 ごめんね。眉を下げて微笑むが、ソルの表情は変わらない。


「……ここから通うとか、それじゃダメなのかよ」


 問われ、ルーナは目を瞠った。

 確かに、考えもしなかったがそれも不可能でないだろう。しかし、ルーナは首を左右に振った。


「それじゃ、完全な自立とは言えない気がするから……私はやっぱり、あの空き地に新しく家を建てて、そこから頑張ってみるよ。まあ、すぐにとは行かないだろうし暫くはフォルティスさん達の手を借りてしまうとおもうけど」


 途端、稲妻のように鮮烈な光がソルの瞳に走り、しかしすぐに二つの瞳は暗く陰を落とした。


「……少しも、悩まなかったのかよ」

「え……?」

「俺じゃ、ルーナをここに留めさせる理由にもならないのな」


 ルーナが言葉の意味を測りかねている間に、自嘲するように口元を歪めたソルは、まだ肩に触れたままだったルーナの手を払い、ルーナが声をかける暇もなく身を翻し、自室へと戻っていってしまった。

 乾いた音を立てて閉まった隣室の扉を呆然と見つめながら、ルーナは暫くそこで固まっていたが、終ぞ、彼の気持ちを理解することは出来なかった。








 

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