06.ディクタトリア




 ルーナがエクエスと話すことが出来たのは、日がすっかり落ち、空に星海のカーテンが敷かれた頃になってからだった。

 エクエスを出迎えた後、自分でも知らないうちに軽い熱中症になっていたルーナは、半ば強制的にセインとエクエスに休まされ、夕方頃まで眠っていた。

 その後慌てて起きて手伝いを申し出たルーナだったが、険しい顔のフォルティスとエクエスに叱られ、エクエスからは「後で行くから心配するな」とまで言われてしまい、ルーナは不甲斐ない自分に落ち込みながら、自室でじっとしていた。

 粗方の仕事が終わり、セインに断ってルーナの部屋を訪れたエクエスを出迎えたのは、眉を八の字にして情けない顔をするルーナだった。しかも、何故かベッドの上で正座をしている。


「ごめんなさい、エクエスさん」


 ノックはあったが、無言に真顔で部屋へと入って来たエクエスにルーナが頭を下げると、エクエスは勉強机に備え付けられていた椅子をベッドサイドまで引き寄せ、そこに座った。そして足を組み、ルーナを見下ろす。


「それは何に対する謝罪だ」

「……ご迷惑お掛けしてしまったので。お手伝いも全然出来なくて……」

「具合が悪いのに仕事をされて、ぶっ倒れでもされる方が迷惑だ」

「……ごめんなさい」


 目を伏せ、どんどん萎れていくルーナに、エクエスは眉根を寄せた。


「体調が悪くて休むのは普通だろ。それともアンタの親は、具合が悪い子供に無理させるような人達なのか?」

「ッ、それは違います!」


 自分のせいでセインやフォルティスが悪く言われるのは耐えられず、弾かれたようにルーナが顔を上げると、そこには思いのほか優しい眼があった。


「なら謝るな。それはあの人たちの優しさへの冒涜だ」


 ルーナは、ほとほと困ってしまった。

 身のうちにはまだ消えやしない罪悪感が燻って止まないのに、そんな風に言われてはもう謝ることなどできやしない。けれど、それもそうかとあっさり受け入れて納得するには、やっぱり自分の落ち度が浮き彫りになってしまって。

 だってもう少しルーナが自分の体調に気を遣えていれば、こんな事にはならなかったのだ。それはどうしようも無く、ルーナにとっては紛れもない事実で。

 それを棚に上げて、仕方の無いことだからと割り切るには、ルーナはまだ人への甘え方を知らなかった。


 捨てられた子犬のような顔で黙り込んでしまったルーナに、エクエスは声を掛けた。


「食欲はあるのか」

「え……」

「昼から何も食べてないだろう。食欲は? 何か食べられそうか」


 強い眼差しで問われ、戸惑いながらもルーナは頷いた。

 すると、そうか、と言ってエクエスが椅子から立ち上がり、部屋から出ていこうとするのでルーナは慌てる。


「ご、ご飯なら私自分で……!」


 だが、振り向いたエクエスの鋭い視線に言葉を途中で飲み込んでしまう。


「今の話、ちゃんと理解したか?」

「……はい」

「なら、いい子で待ってろ」


 吐き捨てるように言われ、ルーナが返事するよりも早く扉は閉じられた。

 まさか、この場においてはお客人であるエクエスにまで看病の真似事をさせてしまうとは。ルーナは深くため息を吐き出しながら、己の情けなさに顔を覆った。


「私の馬鹿……」


 仕事で忙しいだろうに、無理やり引き止めた挙句面倒まで見られて。本当はこんなにゆっくりしてる時間なんて無いはずだ。船の時間だってあるのだから……船?──そこまで考えて、ザッと血の気が引いた。


「船の時間は!?」


 なので、温め直されたお粥片手に部屋へ戻ってきたエクエスに、尋問せんとばかりに詰め寄ってしまったのも許して欲しい。なにせ、自分のせいで彼をこの島に一週間閉じ込めることになるのでないかと気が気じゃ無かったので。




 ベッドから飛び起きたルーナに掴み掛かられたエクエスは僅かに驚いていたが、すぐ険しい顔になり「布団に戻れ」と指示した。

 ハッと我に返ったルーナは、自分の行動を恥じるように頬を染めながら、おずおずとベッドへ逆戻りする。

 エクエスは、トレーごと夕飯をルーナに渡すと、それで? とルーナに続きを促した。


「何をあんなに焦ってたんだ」


 ルーナはちまちまとスプーンで粥を掬いながら、言葉につまりつつエクエスを上目で窺った。


「う……あの、帰りの時間……いつも夕方の船だった気がしてたので……大丈夫なのかなって……」


 窓から見える空は真っ暗だ。こんなに遅くまで彼が島にいるのを見た事がない。自分のせいでエクエスが帰れなくなってしまったら……ルーナはそう思ったが、エクエスは簡単にその不安を砕いてくれた。


「まだ深夜便がある。気にしなくていい」

「……そうなんですね」


 とはいえ、なあんだそっかなら大丈夫ですね! と無邪気に喜べるほど楽観的でもなく。神妙な面持ちで頷いたルーナを暫く観察するように見つめてから、エクエスは本題を切り出した。


「で、何が聞きたかったんだ。わざわざ丸焼きになってまで」


 熱中症になったことを未だにいじってくるエクエスに居た堪れなくなりながら、ルーナは口を開いた。


「あの、最近この島に、他の国からお客さまがよく来てますよね。エクエスさんと同じ貨物船から降りてくる……」

「そいつらのことは気にしない方がいい、と言ったよな」


 鋭く見咎められて、ルーナは怯んだが、ここで退くわけにはいかない。


「でも……! もしかして、その人たちの目的って……南にある、空き地ですか?」

「……」

「エクエスさんは、あの人たちのこと知ってるんですよね? 教えてください。あの人たちが何者で、何のためにここに来ているのか……あの人たちは、この島にとっていい人足り得るのか」


 ルーナは真っ直ぐにエクエスを見つめた。本気なのだと伝わるように。

 本気で知りたいのだと。茶化してるわけでも、好奇心でもなく、知らなければならないのだと。そう、訴えるように。


 少しの間沈黙が流れ、やがてエクエスは腕を組み、重たい口を開いた。


「それを知ってどうする?」

「この島を守りたいんです」

「それは随分と高尚な願いだ。だが、口にするのは簡単だよな」


 問い詰められ、値踏みするような視線をルーナは受け止めた。


「その人たちの目的が、もしあの空き地なら……私が先に、私のものにします」


 はっきりと言いきったルーナの言葉に、エクエスは虚をつかれたような顔になった。


「元は牧場だったと聞きました。動物を育てた経験はないけれど、畑なら少しはお手伝いした事もあるし……きっと今から勉強すれば、徐々にでも形になると思います」

「……そんなに甘くないぞ」

「分かってます。でも、私にできる精一杯なんです。他の国の人達に奪われて、もしこの島の人が損をするなら……私は、それを阻止したい。でも、」


 ルーナはそこで睫毛を伏せた。


「……でも、それが正しいことなのか分からない。だから少しでもちゃんとした情報を知りたいんです。お願いします。教えてください。彼らが一体誰なのか……」


 幸いと言っていいのか、元々無人島だったここは国として独立している訳ではなく、なんとなくフォルティス達が住み着いて活気づいただけだ。そのため、役所のようなものがあるわけでも、長のような人物がいるわけでもないが、それもなんとなくこの島に一番長くいるフォルティスが取りまとめ役のような立場になっている。

 だからきっと、空き地の所有権を得ること自体はそんなに難しくないはずだ。それこそ、フォルティス達にお願いすれば。


 だが、へーリアンやセインが顔を顰めるように、果たして外つ国の人達の目的がこの島にとって悪影響なのかどうかが、ルーナには判断しきれなかった。もしかしたら、島にとっていい方向に転がるのかもしれない。あの空き地を譲れば、島が発展するのかもしれない。そんな考えも捨てきれず、だからエクエスに意見を求めた。

 この島の人間ではない第三者かつ、なにやら事情を知っていそうであった彼に。


「なるほどな」


 ルーナの言葉に少し考え込んでいたエクエスは、呟くようにそう言ってルーナを見た。


「アンタの言う通り、あいつらの狙いはその空き地だ」

「──!」

「空き地を利用して、何をしようとしてるのかまでは知らないが……恐らくこの島を支配するための足掛かりにしたいのだろう」

「え……」


 島を支配。

 思いもしなかった単語に絶句するルーナに、エクエスは続けた。


「あれは、隣国ディクタトリアの連中だ。ディクタトリアについては?」


 訊ねられ、ルーナは首を横に振る。


「ディクタトリアは、この島の東方に位置する大陸の一番大きな国だ。王政で、今の王サマは、随分と好き勝手していると聞く」

「王様……」


 なんだかおとぎ話みたいだ。王様という称号を持つ人が、本当にこの世界に存在するなんて。

 小さな世界しか知らないルーナにはピンと来なくて、ただただエクエスの言葉を反芻した。


「この島は孤立しているが、その分海産物が豊富で、それに森の方には手付かずの鉱山もあると言うから、その辺りに目をつけたんだろう」

「目を?」

「金になるんだよ。ここがディクタトリアの支配地になれば、周りの海も、鉱山も、ディクタトリアのものだ。王の好きなように扱える。国の資産になり、他国との貿易量も増える」

「し、支配地になったらどうなるんですか……?」


 ほんの少し怯えた様子のルーナを一瞥し、エクエスは「さあな」と吐き捨てた。


「ただ、今の通りの生活のままではいられないだろうな」

「そんな……」

「だから、あいつらの侵入を少しでも防ぎたいってことなら、アンタの案は名案だよ。奪われる前に奪えばいい」


 エクエスの真紅が煌めき、不安げなルーナを映す。

 じ、と綺麗な瞳に見つめられ、わけもなくドキリと胸が高鳴った。


「ただ、ディクタトリアの連中はあの手この手できっとアンタを言いくるめようとしてくるぞ。それでも立ち向かう覚悟はあるのか? この島のために」


 問われた言葉には何の迷いもなく頷けた。

 全く怖くないといえば嘘になる。しかし、島を守るためなら……ルーナの大切な人たちの思い出や未来を守るためなら、なんだって出来る。なんだってやってやる。その決意は嘘じゃない。


「絶対に渡しません。ここは、私たちの島だから」


 強く言い返したルーナに、エクエスは珍しく柔らかな笑みを浮かべた。

 しかしその珍しさにルーナが驚いた時にはもういつもの仏頂面に戻っていて、今のは幻? とルーナは首を傾げた。




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