05.深夜のたずね人





「……少しお時間いただけませんか。教えて頂きたいことがあるんです」

 ──真紅の眼が、こちらの真意を窺うようにかち合った。








 木曜日の夜、寝支度を済ませたルーナが自室で教科書を開いていると、コンコンと控えめなノック音が聞こえてきた。


「? どうぞ〜」


 こんな時間に珍しい、そう思いながら扉が開くのを待っていたルーナは、扉の向こうから顔を覗かせた人物に目を丸くした。


「……もう寝るとこだった?」

「ううん、大丈夫だよソルくん」


 両手に湯気のたつマグカップを持って現れたソルは、様子を窺うように中を覗いてから、恐る恐るといったように入ってきた。


「どうしたの? 珍しいね、ソルくんから部屋に来るなんて」


 毎朝ルーナがソルの部屋に行くのはほとんど恒例行事として、逆はあまりない。「……ん」とソルは頷いたあと、ローテーブルの前に座り、持ってきたホットミルクをルーナに差し出した。

 ふわりと優しい香りがルーナの鼻腔を擽る。無意識のうちに強ばっていた心が暖かく溶けるような心地になり、ルーナは口元に小さく笑みを浮かべた。


「ソルくんが作ってくれたの?」

「まあ」

「そっか、ありがとね」


 お礼とともにソルの頭を撫でると、驚いたように肩を跳ねさせたあとでソルはムッと顔を顰めた。しかしその目元は僅かに赤らんでいる。


「ッ、子供扱いすんなって!」

「ごめんごめん」


 ルーナは無罪を主張する咎人のように両手を挙げた後、マグカップにそっと口を付ける。

 少しの沈黙が二人の間に流れ、先に口を開いたのはソルだった。


「あのさ……誕生日、何を欲しがるつもりなの?」

「え?」

「ルーナ、最近ちょっと様子が変だろ。自分で気づいてる?」


 澄んだ瞳で見つめられ、返答に詰まる。

 確かに色々と考え事をしていたせいか、どこかぼんやりとしていた時もあったかもしれない。

 仕事中に他のことにうつつ抜かしていたことを咎められたのだと思い、ルーナは眉を下げた。


「……ごめんなさい」

「え、いや責めてるわけじゃなくて! その、誕生日が近くて楽しそうにしてるなら分かるけどさ。ルーナはなんつーか……」


 言いにくそうに口元をまごつかせたソルは、ガリガリと首の後ろを掻いた後で、意を決したようにルーナを見た。


「思い詰めたような顔だったから」

「……」

「少なくとも誕生日が近いやつのする顔じゃなかった」


 だから気になった。それだけ! と言ってソルはそっぽを向いてしまった。

 どうやら、心配してくれていたらしい。ルーナはほっと表情を和らげてから、その背中に声をかけた。


「ソルくん、ありがとう。心配してくれたんだね」

「……別に、ちょっと気になっただけだから」


 いくらか平常心を取り戻したソルがルーナを見遣ると、ルーナはぼんやりとどこか遠くを見ていた。


「少し焦ってたのかもしれない」

「……? 何が」


 訊ねたが、ルーナは答えなかった。

 曖昧な微笑みで交わされて、腑に落ちない。だが、これ以上しつこく聞いても結果は変わらないだろう。ソルはそう判断し、でもやっぱり何事も無かったかのように流せるほど大人でもお人好しでもないので、目を眇めてルーナを見据えた。


「……ちなみにそれって、俺には買えないものなの」

「うん?」

「俺だって、貯金くらいならちゃんとしてるし……というか、ルーナが欲しがってるモンが一体何なのか分からないけどさ。俺にも協力出来るなら、するつもりだから……」


 段々と尻窄みになっていくソルをぱちくりと見つめたあとで、ルーナは破顔し、横から己の可愛い弟に抱きついた。突然の衝撃に、ソルが素っ頓狂な声を上げながら倒れそうになる。


「なっ……!?」

「ありがと、ソルくん。ソルくんみたいな弟が持てて私は幸せだなあ」


 よしよし、と頭を撫でると「だから子供扱いすんじゃねー!」とソルが噛み付いたが、ルーナはにこにこと撫でる手を止めなかった。

 女の子特有の甘い香りや柔らかい感触に真っ赤になりながらも、ソルが複雑そうに顔をゆがめていたことなど、ルーナには知る由もなかった。





 明くる日、ルーナは予めセインに断り、仕事を抜け出していた。

 太陽が真上に昇り、白い砂浜が陽射しを反射してルーナの肌を焦がす。

 やがて、大きな汽笛を鳴らしながら貨物船が停泊すると、ややあってその船体から目的の人物が降りてきた。

 白いワイシャツ姿の男は、暑さで脱いだのかジャケットを片腕に抱えながら、陽の強さに眉を顰めつつ砂浜を踏みしめた。──と、視線の先に、太陽に焼かれながらぼんやりと此方を見つめているルーナを見つけて、男にしては珍しく驚いたように目を見開いた。

 やがて、陰を作るようにルーナの目の前に男が立った。ルビーのように真っ赤な双眸が、やや呆れを含みルーナを見下ろしている。


「迎えを呼んだ覚えは無いが」

「……エクエスさん」


 ルーナは待ち人の名を呼び、霞を払うように緩く首を振り、瞬きをした。そして、意志の宿る碧眼でエクエスを見上げる。


「……少しお時間いただけませんか。教えて頂きたいことがあるんです」


 エクエスは暫くその真意を窺うようにルーナを見つめていたが、やがてその瞳が揺らがないことを見てとると、ひとつため息をついてから、持っていたジャケットをルーナの頭に被せた。


「わっ、」

「話は聞いてやる。だが仕事が先だ。暑いかもしれないが、直射よりマシだから被っとけ」


 そう言われてしまうと従う他なく、ルーナは被せられたジャケットが地面に落ちてしまわないよう、しわにならない程度に裾を握り、エクエスの後を着いていくのだった。





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