04.決意の朝
虫の知らせだろうか。
ルーナはその日、いつもなら目覚めない真夜中に意識が浮上した。
「……」
時計を見ればまた日付が変わったばかり。すぐに再び眠ろうとしたが、中々眠気がやってこない。
幾度かの寝返りの後、ルーナは諦めて起き上がった。目が覚めたら急に喉が渇いたような気がして、水でも飲んで一旦落ち着こうと思ったのだ。
足音を忍ばせながらリビングへと向かうと、まだリビングから灯りが洩れて居た。
フォルティスかセインが起きているのだろう。特に深く考えずそのまま足を進めたが、取手に触れようとした刹那、中から話し声が聞こえてきて動きを止める。
どうやら二人とも起きているらしく、聞こえてきたのは珍しく困惑したような、怒ったようなセインの声だった。
「あの人たち、一体あそこを何に使うつもりなのかしら」
疑問、というよりは憤慨したような声にフォルティスが小さく唸る。
「うむ……それとなく話しかけてはみてるのだが、どいつも口が固くてな……誰も使ってないのなら良いだろうとの一点張りで」
「それに、宿屋さんにまで迷惑かけてるんでしょう?」
「拡張願いを出されたらしい。それが無理なら買い取るとまでな」
「買い取るなんて……奪い取るの間違いじゃないの。あそこはご主人が退職金で建てた、これからの人生と夢が詰まった建物なのよ!」
「わかってる、わかってるよセイン」
興奮した様子のセインと、それを宥めるフォルティス。
見たことの無い二人の姿に、ルーナは無意識のうちに一歩、二歩と後ずさっていた。もう、この中に入る勇気はなかった。
ただ漠然と、ささやかな幸せに這い寄る闇があることを感じ取ってしまう。それはとても、恐ろしいことのように思えた。
きっとあの、外から来た人たちのことだ。ルーナはそう思った。
彼らがルーナの大切な人たちの安寧を脅かすというのなら、それはとても許し難いことだ。ルーナは二人に気取られないようにゆっくりと後退し、そして踵を返す。
自室への道を静かに歩く碧眼は、強い決意の光に満ちていた。
「そういえば、もうすぐルーナの誕生日ね」
翌日、朝食の席でルーナにそう声をかけたセインに、昨晩の面影はない。セインの言葉に、フォルティスも頷いた。
「もう来週か。何か欲しいものがあれば遠慮なく言うといい」
「来週かー、俺、何のケーキにしようかな」
「ソル。主役はルーナなのよ?」
「わかってるって!」
明るい声の飛び交う食卓を前にルーナは微笑み、そして、手にしていたナイフを一度置いた。
カチャリと食器の擦れる音に、三人の視線が向く。ルーナは、目の前に座るフォルティスとセインの瞳をじっと見つめた。
「私、次の誕生日に欲しいものが……お願いがあります。もしかしたら、すごく無茶なお願いになってしまうかもしれないけれど」
分け隔てなくここまで育ててくれた二人を困らせることは本望ではない。その可能性があることにルーナは僅かに視線を伏せた一方で、三人は珍しいものでも見たかのような顔をしていた。
それもそのはず。ルーナはこれまで、誕生日に限らず一度も何かを強請った事がなかった。何が欲しいかと問うても、何を貰っても嬉しいし、お祝いしてもらえるだけでありがたいと殊勝な態度ばかりで明確に何かを欲しがったことが無かった。
例年通り欲しいものを尋ねては見たものの、綺麗な笑顔でお礼の言葉だけあればいいとまた健気なことを言うのだろうと思っていたフォルティスは数秒の間目を瞠っていたが、すぐに視線を柔らかく解き、俯くルーナの頭に手を置いた。そしてそのまま、頭の形をなぞるように撫でる。
どこか不安げに煌めくアクアマリンの双眸に、フォルティスの微笑みが照らし出された。
「気負わず、なんでもいいなさい。ルーナ、お前のためならどんな願いだって叶えてみせよう」
なにも遠慮することは無いのだと、愛し子に伝えるようにフォルティスはルーナのまあるい額に羽のようなキスを落とした。
ルーナが年頃になってからは控えるようにしていたコミュニケーションだが、慈しむ想いを伝えるには最適な方法だった。その様子を見たセインも二人に近付き、ルーナを優しく抱きしめたあとで頬に親愛のキスをひとつ贈る。それから、ルーナの側で目をぱちくりとさせているソルに悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ソルも仲間はずれは嫌よね? 混ざってもいいのよ〜?」
「はあ!?」
当然ながら、ソルの記憶上ルーナに親愛のキスなんかしたことが無い。突然話を振られたソルは顔を真っ赤にし、「なっ……そ……!?」と単語にすらならない抗議の声を上げた。
にこにこ……いや、にやにやするセインと状況が分かっておらず首を傾げるルーナの二人に、フォルティスは呆れた顔でソルの味方をした。
「……あまり酷なことを言ってやるな。さあ、食事の続きをしよう」
セインはつまらなさそうな顔をしたが、そのままルーナとソルの頭を撫で、自分の席に戻った。
ソルはほっと胸をなで下ろし、明らかに自分をからかって楽しんでるであろうセインを拗ねた顔で睨むのだった。
朝食後、全員の食器をシンクまで運んできたルーナに、セインはお礼を言ってから誕生日のことについて訊ねた。
「そういえば、ルーナが欲しいものってなあに? 今からでも用意できるかしら……」
なにか取り寄せに時間がかかるものなら、予め知っておきたい。そう思っての質問だったが、ルーナは首を横に振った。
「まだ、本当にお願いできるか分からないから……ちゃんと心が決まったら、改めてお話するね!」
「……? そう?」
「金曜日! ……くらいに、また!」
笑顔でそう言ったルーナに、セインはそれ以上何も言わなかった。
色々と言葉の端々に気になる点はあるが、ルーナにも何か考えがあるのだろう。
自分たちはただ、初めてとも言える愛しい娘の願いを暖かく受け止めるだけ。
「そうね。貴女のお願い楽しみにしてるわ」
セインはきらきらと窓からの光を反射するブロンドの髪を撫でようとして、自身の手が泡まみれなことを思い出し微笑んで頷くだけに留めたのだった。
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