03.運び屋エクエス
金曜日。基本的に、土曜と日曜は流通のお仕事はお休みにしているので(畑仕事はそうもいかないので年中無休だが)、その分運ばなければならない荷物が他の日よりも多い。
その中でも数ヶ月前から気になっていたことがあり、ルーナはセインへ声を掛けた。
「なんだか最近、宿屋への荷物が増えたね」
観光地としてはまだまだ交通の便も悪く、余程もの好きな人が時たま島に来るくらいなので、宿泊施設もそれほど栄えておらず、ルーナの住む町に一つ建っているくらいだ。
そこも、心機一転、新天地での暮らしに夢見て島へやってきた夫婦が借りているくらいで、普段はほとんど人がいなかった。そのため宿屋への配達もほとんど無かったのだが、ここ最近はよく依頼が来る。それに、一度に運ぶ量が前に比べると倍にも近かった。
「……最近、外からのお客さんが増えてるみたいね」
セインはルーナの隣にしゃがみ、伝票に印字された宛先を指でなぞりながら僅かに目を伏せた。
その表情に違和感を覚え、ルーナは更に言葉を続けようとしたが、部屋の奥から聞こえてきたソルの叫びにかき消されてしまう。
「あーーーーっ!!」
「近所迷惑!」
「いでっ!」
両頬に手を当てて叫んだソルに、フォルティスの拳骨が落ちる。
ルーナとセインが驚いて後ろを振り向くと、ソルは殴られたところを手で押えながら立ち上がった。
「畑に忘れモンしてきたから取ってくる!!」
焦った様子で立ち上がったソルは、どたばたと慌ただしく部屋を出ていこうとする。その様子にセインは眉を顰めた。
セインが、家の中で走らないように注意しようと口を開いたのとソルが荒々しく玄関の扉を開いたのは同時で、その勢いのまま外に飛び出そうとしたソルの体は、しかし何かにぶつかり家の中へと逆戻りした。
「ぶふっ」
まるで見えない壁に顔面から突っ込んだかのように跳ね返ったソルはその場に尻餅をつき、驚いてルーナは玄関先を覗き込み、目を丸くした。
「いってぇ〜……っわ、エ、エクエスさん!」
強打した鼻頭を押さえながら涙目で己がぶつかった何かを見上げたソルもまた目を丸くし、逆光の中でソルを見下ろすその人の名を呼ぶ。
エクエスと呼ばれた濡れ羽色の髪と真紅の双眸を持つ男は、切れ長の瞳でソルを一瞥した後、部屋の中へと視線を向けた。
「……いつもの所に荷を積んである。手続きに来てくれ」
落ち着いた声は、シンシンと降り続ける雪のような冷たさを孕んでいる。
奥に居たフォルティスが「儂が行こう」と頷くと、まだ呆気に取られて動けないでいるソルには目も向けず、エクエスは踵を返した。
パタン。張り詰めた空気を裂くように扉が閉まると、ようやくソルも解凍された。
「アイツ、ほんといつも無愛想じゃね?」
不貞腐れたように吐き捨てるソルに、セインが呆れた視線を寄こす。
「あなたが悪いんじゃない。ちゃんと謝っておきなさいね」
「謝る隙も無かったっつーの!」
自身に非があることはわかりつつも納得いかないらしいソルは、膨れっ面のまま家を出ていく。その背を見送った後で、ルーナは立ち上がりフォルティスの元へと向かった。
「フォルティスさん、エクエスさんの件、荷物を運び込むんだよね。何かお手伝い必要?」
先程家に来た彼は、週に一度島にやってくる貨物船とともに訪れ、他国からの輸入に関係する仲介役を担ってくれている運び屋だ。
寡黙な性格で、かつ、目を惹くほど端正な顔立ちと高い背が余計に近寄り難い雰囲気を出している。事実ソルは彼に苦手意識を持っているようだが、ルーナはあまり分からなかった。
特別ルーナに優しいのかと問われれば全くそんなことは無いのだが、なら冷たいのかと問われるとそういうわけでもなく、誰にでも平等な仕事のできる男の人。ルーナにとってエクエスはそんなイメージだった。
今日もいつもの通り仕入れにやってきたのだろう。そうなると、倉庫へ荷物を運ぶ仕事があるのでルーナは声をかけたが、フォルティスは首を振った。
「ルーナにも配達の仕事が残ってるだろう。時間が余れば手伝ってもらうかもしれんが、基本はエクエスが運び込んでくれるからな。心配せんでも大丈夫だ」
先程ルーナが気にしていた宿宛の荷物を指し示され、それもそうかと頷く。
「そうだね、ひとまず島民あての荷物を運んできます!」
なるべく早く終わらせよう。内心でそう決心しながら、ルーナは立ち上がり荷物の元へと戻るのだった。
配達仕事が終わったのは、日が傾きかけた頃だった。
やはり金曜日は荷物が多い。結構遅くなってしまったな、と服の土埃を落としながらルーナが家に帰ると、丁度エクエスとフォルティスが荷物を運び終えたところだった。
「ただいま。フォルティスさん、エクエスさん」
セインとソルの姿はなく、ごく自然に挨拶をすると話し込んでいた二人が揃ってルーナへと目を向けた。
「おかえりルーナ」
「……おかえり」
エクエスは無愛想だが、挨拶をすれば返してくれる。無視されなかったのが嬉しくなり、ルーナはにっこりと笑顔になった。
「もうお手伝いすることは無い?」
「ああ、ちょうど運び終わってな。これからエクエスを船着場まで見送りに行くところだ」
ルーナの問いに答えたフォルティスの言葉に、エクエスが視線を逸らす。
「……別に、見送りは必要無いがな」
「そういうわけにもいかんだろ。こちらとして最低限の礼儀を尽くしてるだけだから、諦めなさい」
ポン、と肩を叩かれたエクエスはぴくりと眉を動かしたが、その手を払い除けるような事はしなかった。
フォルティスはその様子に微笑んだ後、ルーナへと向き直る。
「という訳だ。ルーナ、留守番をお願いできるか? ソルの奴も恐らく部屋には居るがな」
「あ、お部屋にいるんだ」
「一丁前に不貞腐れてんだ、あいつもまだまだ子供だよ」
困ったやつだ、と腕を組むフォルティスに首を傾げながらも、留守番については了解したことを伝えるように頷いた。──と、来訪を報せるノック音が響く。
コンコンコン、規則正しく扉を叩かれ、ルーナは対応するべく玄関先へと向かった。
「はーい!」
外まで聞こえるようにやや大きめの声で返事をしてから扉を開けると、外に立っていたのはルーナが日中配達に赴いた宿屋の主人だった。
「おやお嬢ちゃん。さっきはどうもありがとうねえ」
柔和に微笑んだ主人は、しかし脚を悪くしており常に杖をついている。ルーナは慌てて部屋まで通し、一番近いリビングへのテーブルへと案内した。
「珍しいな、そっちから来るなんて」
「うむ……忙しいところすまんね、フォルティスさん。少し相談事があってのう」
僅かに顔を曇らせた宿屋の主人にフォルティスも表情を険しくさせ、ルーナを見た。
「ルーナ、悪いがエクエスの見送りをお願いできるか」
「はい!」
こくりとひとつ頷き、エクエスを見上げる。
エクエスも特に異存は無いのか、ルーナの横を通り過ぎるように玄関へ向かった。
お見送りと言っても、海岸までの道をただひたすらエクエスの後ろを着いて歩くだけだ。隣を歩くのもなんだかしっくりこなくて、ルーナは付かず離れずの距離を保ちながらエクエスの後ろを歩く。エクエスも歩幅を合わせてくれているのか、特に小走りになることも無く、夕陽の照らす道を二人無言で歩いた。
歩くこと十五分。段々と潮の香りが近くなり、波の音が聞こえてくる。普段あまり海まで来ることがないので、気になって下に向けていた顔を上げると、大きな貨物船が見えた。──そしてそこから降りてくる、見知らぬ人達。
「……あ、」
軍服にも似た服を身に纏う数人の男たちを視界に留め、薄れかけていた噂話が蘇る。
──『ここから南の方に、細い道を抜けると広い空き地があるの。元は牧場だったと聞いてるけど、私も詳しいことは知らないのよね。ただ最近そこを他の国が買い占めようとしてるって話を聞いて……』
── 『やたらかっちりと服を着込んだ男の人たちがたまに来るのよね……』
へーリアンが言っていた男達だ。直感的にそう思った。
確かに、のどかな波打ち際を談笑もせず歩く男たちは異質だった。お世辞にも観光に来たとは思えない。
何故か胸がざわついて、その正体を知ろうと無意識のうちに観察するような目になってしまう。すると、男のうちの一人が視線を上げ、ルーナを視界に捉えようとした。
「……っ!」
「あまり見るな」
ドキリとルーナの肩が跳ねると同時、視界が黒に覆われた。
突然の出来事にルーナは一瞬混乱したが、それがすぐにエクエスの手のひらで、目元を隠されたのだと理解する。
「……あ、あの…?」
後頭部に厚い胸板が当たり、あまりにも近い距離にさすがに緊張してしまう。
戸惑ったようにルーナが声を漏らすと、ゆっくりと視界に光が戻った。先程の男たちは船の中に戻ったのか、はたまた街へと向かったのか、もう視線の先にはいない。
ルーナがエクエスを見上げると、真っ直ぐな瞳がルーナを射抜いた。
「あいつらのことは気にしない方がいい。アンタはあまり関わるな」
「それって、どういう──……」
「見送りはここまででいい。帰り、気をつけろよ」
「エクエスさん!」
スタスタと迷いなく乗降口へ向かってしまうエクエスを追いかける。今度はこちらなどお構い無しに歩いていってしまうので、ルーナは砂に足を取られながらも小走りで追いすがった。
気にしない方がいいってどうしてですか。あの人たちのこと、何か知ってるんですか?
浮かんだまま疑問をぶつけようとしたルーナに振り向き、エクエスは一緒に船に飛び乗らんばかりのルーナを片手で制した。
やや強めに左肩を掴まれ、じっと見つめられる。そうすると不思議と何も言えなくなってしまった。
「俺の忠告、聞けるよな」
有無を言わさないような声色で念を押されてしまうともう頷くことしか出来ず、ルーナはこくりと首を縦に振った。
その様子に紅が一瞬満足そうに細められ、今度こそ彼は背中を向けて船の中へと入っていってしまう。
一人砂浜に残されたルーナは、置いてかれた子供のような気持ちを抱えながら、汽笛を鳴らす貨物船を小さくなるまで見つめていた。
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