02.空き地の噂




「さ。冷めないうちに食べちゃいましょ」


 大寝坊魔人ソルの受難〜穏やかな朝を迎えるために〜は、元凶といっても過言ではないセインの言葉により遮られた。この家ではセインがルールである。これも過言ではない。

 それもそうだなとフォルティスがお吸い物のお椀に口をつけ、ソルも不貞腐れながら脂の乗った魚を箸でつつく。

 ドタバタとしながらも穏やかに始まった朝食の時間を眺めながら、今日も平和だなあ、とルーナは幸せな気持ちで目の前の光景を目に焼き付けた。


 ルーナは、彼らと血が繋がっていない。有り体に言えば赤の他人である。だけどルーナにとっては、彼らがこの世でただひとつの家族の形だった。

 十五年前、ルーナは海岸でフォルティス夫妻に拾われたらしい。おくるみに包まれて小舟に乗せられていたルーナは奇跡的にこの島にたどり着き、衰弱しきっていたもののどうにか一命を取り留めたそうだ。

 物心ついた頃から、ルーナの世界はフォルティスとセイン、それからこの島が全てだった。二人は本当の娘のようにルーナに接してくれた。実の孫であるソルが途中から三人の生活に加わっても、分け隔てなく愛を注いでくれた。

 ソルとそう歳の変わらないルーナからすれば、フォルティスとセインは一般的には祖父母にあたる年齢なのだろう。

 けれどルーナにとってはただ一人の父と母だった。


「ルーナ? お魚、あんまり好きじゃなかったかしら」


 ルーナの食事を進める手が止まってることに気づき、セインが気遣わしげに声をかける。ルーナは慌てて首を振り、解した魚の身を口に含んだ。


「とっても美味しいよ、セインさん」


 まさか、幸せを噛み締めてました、など言えるわけも無い。

 セインは不思議そうに「そお?」と応えたあと、ルーナの言葉を信じることにしたのかそれ以上の追求はしてこなかった。




 食事が終わった後は仕事だ。といってもフォルティスとセインのお手伝いである。

 この島はそもそも住人が少ないうえに、ルーナやソルのような年齢となると更に少なく、この島には学校というものが存在しない。その代わり、隣町から家庭教師が一日に数時間やって来ることになっているのだが、それまでの間はフォルティス達の手伝いをするのが日課だった。


「セインさん、この箱はへーリアンさんの所?」


 フォルティス夫妻の家は、主に他国から様々な商品を輸入するための窓口となっていて、受け取った商品を配送したり、夫妻が所有している畑に生った野菜を出荷したりして生計を立てている。

 フォルティスとソルは主に畑仕事、セインとルーナは配送や出荷業務といったように大まかに担当を分けていて、ルーナは玄関先に積まれた今日の配送分であろう箱を指さした。


「そうね、それはへーリアンさんのところだわ。でも結構重いわよ?」

「大丈夫! すぐ真向かいさんだから」


 ルーナが両手で抱えても腕がまわりきらないほど大きな箱。それに中身もそう軽いものでは無いのでセインは心配したが、ルーナはセインの予想よりも楽そうに箱を持ち上げると、にこりとセインに笑いかけた。

 毎日のように力仕事をしているのだ。細い腕からは想像できなかったが、セインの予想を超えてルーナは体力があるらしい。


「気をつけて、無理しないでね」

「はーい」


 元気よく返事をして家を出たが、ゴール地点は目の前だ。

 足元に気をつけながら歩いても一分もかからない。目的地に辿り着いたルーナは、慎重に箱を地面に下ろしてから、可愛らしいベルのマークが彫られたチャイムを鳴らした。


「はいはーい、あら! ルーナちゃんこんにちは」


 チャイムを鳴らしてすぐ、キャラメル色のドアの向こうから出てきたのは、にこにこ笑顔をうかべた小柄な女性だ。

 まだ成長途中のルーナと同じくらいの背の高さの女性は、この島から採れる鉱物を利用し宝石商を営んでいる。そのため、首元や指先にいつも輝くジュエリーを身につけていて、今日もルーナの瞳とそっくりのアクアマリンが首元を飾っていた。


「へーリアンさんこんにちは。お届け物です!」

「いつもありがとねえ、重いでしょう? 手伝うわ」

「いえ、大丈夫ですよ! 綺麗なお洋服が汚れちゃいます……!」


 家の中まで運ばさせてもらおうとルーナがしゃがむと同時、へーリアンも裾が地面を擦るのを厭わずに屈んだので慌てる。しかしへーリアンは、ルーナの制止の声を笑顔で聞き流した。


「いいのよ、汚れたら洗えばいいんだから。二人で作業した方が早いでしょ?」


 いくつもの宝石と煌びやかな衣装を身に纏う姿と、赤いルージュが目を引く綺麗な化粧は一見近寄り難さを感じさせるが、実際にはとても気安くおおらかで、そんな所をルーナも好ましく思っているのだが、今はお客様である。やはり、少しとはいえ土埃で汚れてしまうのは忍びなく、ルーナは手伝ってくれようとするへーリアンへ食い下がろうとした。


「お母様、私が手伝うわよ」


 ルーナが口を開いたその時、開けたままになっていたドアの向こう側から声が聞こえてきて、ルーナとへーリアンは揃ってそちらを向いた。

 白いシャツと細身のパンツ姿で現れたのは、へーリアンの一人娘であるコーダという名の女性だ。へーリアンと揃いのブロンドの髪を後ろでひとつに括っている彼女は、宝石となる鉱物を研磨し、様々な装飾具へと変えるデザイナーである。

 大人で落ち着いていて、お姉さん気質のあるコーダはルーナの秘かな憧れでもあり、ルーナはぱっと表情を明るくした。


「コーダさん、こんにちは」

「こんにちは、ルーナ」


 微笑みひとつで返したコーダは、荷物とへーリアンの間に割り込むようにルーナ達の側へとやって来た。

 それから、コーダをにこにこ見上げるへーリアンに、呆れたようにため息を洩らす。


「……もう、お母様。この前腰を痛めたばっかりなんだから、あまり重いものは持ったらダメって言ったでしょう? 来客も、私が対応するからねって伝えたじゃない」

「だって貴女、集中してたから……。それにもう治ったわよ!」

「何を根拠に……ごめんね、ルーナ」


 申し訳なさそうに眉を下げるコーダに、ルーナは首を振った。こちらとしては何も迷惑していないどころか、あと少し遅ければへーリアンに怪我をさせてしまっていたかもしれないのだ。ルーナは、奥から出てきてくれたコーダに感謝していた。


「ほら、これは私とルーナで運び込むから。お母様は先に中に戻ってて」

「あらそう? それなら、折角だしお茶の準備でもしようかしら!」


 ルーナちゃんも居ることだし! ポンと閃いたように手を打ったへーリアンにルーナは慌てた。気持ちは大変嬉しいのだが、この後も続けて仕事が残っているのだ。

 ここでお茶をしたところでセインは怒らないが、ルーナの知るところではない。どう断るべきかと悩むルーナをちらりと見遣り、コーダは早速キッチンへと一目散に駆けていってしまいそうな己の母を引き留めた。


「お母様、ルーナは仕事できてるんだから……私たちで独占してたら困っちゃうわよ」

「え? ああ、そうね、それもそうよね……」

「すみません……また今度、良ければ一緒にお茶してください!」

「いつでも来てちょうだい。ルーナちゃんなら大歓迎だから!」

「そうね。私も大歓迎よ」


 二人から甘やかされ、ルーナは僅かに頬を染めた。

 照れくささを誤魔化すように、ひとまず荷物を運びこもうと箱に手を伸ばすとコーダもそれに倣った。

 ルーナが視線だけで、ほんの少しの申し訳なさを滲ませながらお礼を述べると、柔らかい笑みでコーダが応える。


「そういえば、やっぱりあの空き地はフォルティスさんのところでは引き受けないの?」


 二人で荷物を運び込んだ後、壁際でその様子を見守っていたへーリアンがふと思い出したかのようにルーナに声をかけた。

 しかし、ルーナは何のことか分からず首を傾げてしまう。


「空き地、ですか?」


 ルーナの反応にへーリアンも首を傾げたが、ええ、と頷いた。


「ここから南の方に、細い道を抜けると広い空き地があるの。元は牧場だったと聞いてるけど、私も詳しいことは知らないのよね。ただ最近そこを他の国が買い占めようとしてるって話を聞いて……」

「そうだったんですか……」


 街の南方に道が続いていることは知っていたが、そこが何かを聞いたことは無かったし、用事もなかったので無闇に立ち入らないようにしていた。

 ただ、フォルティスが早朝の散歩の際に、その辺りにも足を伸ばしていることだけは知っている。


「どういう目的か知らないけど、やたらかっちりと服を着込んだ男の人たちがたまに来るのよね……ほら、ちょっと外の人って怖いじゃない?」


 ここの島はどこの大陸からも孤立していて、船も週に一度大きな貨物船が行き来するのみだ。物流としては開国しているが、観光地として栄えているかと言われるとそうではなく、確かに見知らぬ人が居ると目立つところはある。

 少し考え込むような表情になったルーナに、安心させるようにへーリアンは微笑んだ。


「フォルティスさんのお家は畑も持ってるじゃない? だからどうかなと思っただけで、貴女が思い詰めることじゃないから大丈夫よ」

「……はい! すみません、お役に立てなくて」

「いいのよ、私も変な事聞いちゃったわ。後でフォルティスさんに怒られちゃうかも。うちの大事なルーナに変なこと吹き込むなーって」


 茶目っ気たっぷりに方目を瞑ってそんなことを言ったへーリアンに、ルーナは口元に手を当ててクスクスと笑った。







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