少年時代


「大学って,変な奴多いやんな?」

「さあ,もしかしたら,みんなが君に対してそう思っているのかもな」

「なんやねんそれ! ここに来て初めてまともな奴におうたのに,そんな言われたら悲しいわあ」

「まともな奴認定ありがとう。でも,あまり嬉しくはないかな」

「素直じゃないやっちゃな。おれ,田淵大貴や。よろしくな,清介」

「なんでおれの名前を知ってるんだよ」

「この度大学進学にあたって関西に乗り込んできた清介といえば,知らんやつおらんがな。なんつってな。うぬぼれたらあかんで。関西は怖いとこやで~」



 ひょうきんにそう言うと,ほい,と言って不意に物を投げてきた。

 驚いて受け取ったが,それを見てさらに腰を抜かしそうになる。



「え? ありがとう。おれ,財布落としてたんだ。ちゃんとかばんに入れたつもりだったのに」



 まだ土地勘もないのに,財布を落としてしまうなんてシャレにならない。ほっとして胸をなでおろしていると,ちっちっ,と大貴が舌を鳴らした。



「気ぃつけや。スリからしたらカモやで」

「てめえの仕業かよ!」



 怪しい男だけど,大貴という男といて不思議と嫌な感じはしなかった。

 おれたちが一緒に堕落した大学生活を送るのは必然的なことだった。



 関西では,自分の学年のことを回生で表現する。

 のんきな生活を送っていたおれたちは,そろそろ卒業単位や就職活動を意識する三回生になっていた。



「清介,今日暇やんな?」

「決めつけんなよ。暇だけど」

「忙しいなんて口が裂けても言えへんよな。女もいーひん。お前の横にいるんは,いつもおれだけやで」

「くだらないんだよ。要件は? どうせ飲みたいだけだろ」



 分かってるやん,と大貴は肩パンをすると,一方的に時間を告げて帰っていった。





「いつまで待たせるんだよ」



三杯目のジンが入ったグラスを掲げて,バー・スリラーに入ってきた大貴に声を掛ける。



「お前が飲もうって言ったんじゃねえか。手持無沙汰でポップコーンまでおかわりしたじゃねえか」

「わりいわりい。急な用が入ってん。ってか,ろれつ回ってへんで」



 ろれつが回らず,うまく話せないのが分かる。

 気分転換に,赤マルを取り出してライターに火をつけた。

 マスターに飲み物を頼んでいた大貴が,煙を吐くおれを見て鬼のような形相になりで煙草をむしり取る。



「何すんだよ」

「おれ,煙草が嫌いやねん。頭悪いねんから,健康ぐらい気ぃつかえや」

「ほっとけよ。煙草吸ってそうなビジュアルで何言ってんだ。お前も吸えよ」



 そう言って赤マルを一本取り出して差し出すと,激しく手の甲を打たれた。

 電気が走ったように腕がしびれる。



「何すんだよ」

「見栄張って煙草吸って,カッコ良くなったつもりなんやろ。しょうもな」

「渋い男はみんな煙草吸ってるんだよ。ワンピースのサンジも,ルパンの次元も,フィリップマーロウも,紅の豚でさえ吸ってる」

「お前は飛べない豚だろうが!」



 思いのほか大きな声で怒鳴られ,バーの中も静寂に包まれた。マスターは何事もなかったかのようにグラスを磨きつつも,こちらの様子を伺っている。この時間にしては珍しく酔いつぶれていない姿,一層シリアスな雰囲気にさせている。



 しばらくの沈黙の後,ばつが悪そうに大貴が口を開いた。



「悪かった」

「いや,おれの方こそしつこかったよ」



 おれたちはそれぞれマスターにお代わりを注文した。おれはギムレット,大貴は聞いたこともないショートカクテルの名を口にした。

 どちらもきついお酒だった。その時のおれたちは,どことなく酔いたい気分だったのだ。

 

 マスターがカウンターに置いたカクテルを手元に運びながら,大貴は言った。



「煙草を見ると,思い出すんだよ。親父のこと」



 おれは何も言わなかった。それが,続きを促す合図だった。おれなりの,聞かせてくれというサインを大貴は受け取り,思い出したくなかったであろう少年時代について,ぽつりぽつりと語りだした。




 

「これ,親父につけられてん」



 乾いた笑みを浮かべて,大貴は前髪をかき上げて額を露わにした。

 それを見て,息をのんだ。

 気付いてはいた。でも,ここまでひどいとは思いもよらなかった。

 大貴の額には,無数の痣や皮膚が膨れたまま固まった後が残っている。やけどの跡だ。



「これを大貴の親父が?」

「ああ,煙草の火を消す灰皿代わりやって。なかなかぶっ飛んでるやろ?」



 弾むような声とは裏腹に,大貴は苦虫を潰したような顔をした。



「でも,なんで?」

「理由何かないねん。ゴキブリがいたら殺虫剤を撒くか,新聞紙で叩き潰すかするやろ? それと同じように,猫が歩いてたら蹴飛ばすし,子供がいたら煙草の火を押し付けんねん。誰かを助けるのに理由はいるのかい? って言ってたキャラクターがいたねんな。あれを見て思ったわ。誰かを気付付けるのに理由なんかいらへんやろ,ってうちの親父なら言うやろなって」



 前髪を下ろして,その上から額をさする大貴を見つめた。ちゃらんぽらんに見えるだけだった大貴には,語るに足りない凄惨な過去があるのだ。



「ほんまに殺されるって思ったから,死ぬ気で媚び売りながら生きたで。ほんま何するか分からへんからな。高校は絶対に寮のあるところって思っててんけど,許してもらわれへんかった。そんな金どこにあるねんって。まあ,その頃には身体もでこうなって,けんかしても簡単にはやられへんかったやろうけどな」



 相槌の打ち方も分からなかった。

 それでも,堰を切ったように大貴は話し続けた。今思えば,一人で抱えるには重たすぎるそれを,吐き出せる相手が必要だったのかもしれない。



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