宙を舞う

 月明かりに照らされて雲が,風に流されてせわしなく移動している。

 曙を待つ京都市北区の道路は,遠くの方からバイクとパトカーの音が響いていて,この時間に似つかわしくない騒がしさだった。

 騒がしさの理由はもう一つある。



「そんな泣くなや。ようやったやろ」



 鼻水を垂らしながら男泣きするおれを,大貴が珍しくねぎらった。



「なんかさ,最後にドアを閉めるときの顔を見てたら,美緒ちゃんも苦労してるよなって。支えてやりたいよなって」

「清介がするんはここまでよ。あとは美緒ちゃんが幸せに生きるじゃろ。辛いことにも耐える。それが男の生き方よ」

「せやせや。久しぶりに清介の男の生きざま見たわ。タバコ,おごったってもええで」



 大貴とシーマンにお礼を言う。こいつら,嵐の渦中に巻き込んでくるろくでもない奴らだと思っていたけど,なんやかんやいい奴だよな。


 感傷にひたりながらそんなことを思っていると,パトカーの音が一層大きくなった。



とまりなさい。そこのバイク,とまりなさい。



 パトカーからする音と,バイクの音が一気に近づく。

 おかしいな,と思って振り返ってからが一瞬だった。


 あ,と思ったのと,やばい,と思って身を縮めたのが同時だった。

 次に記憶しているのは,鈍い音ともに大貴が宙を舞っている映像だった。







 どうしてもっと,優しくしてやれなかったのだろう。どうしてもっと,感謝を伝えなかったのだろう。どうしてもっと,・・・・・・


 大貴の,血の気のない冷たい手を握りながら激しく後悔した。

 後悔はいつも,何もできなかった過去の自分に向けられる。もう悔やみたくない,そう何度も誓ったのにも関わらず,おれはまた同じ過ちを繰り返した。



「痛いねんけど」



 わっ,と飛び跳ねて目の前の顔を覗き込む。

 大貴が薄く目を開けて,苦悶の表情を浮かべた。満身創痍の彼に力を与えるべく,力強く手を握った。さっきまで相当力を込めて握っていたらしい。大貴の手にはおれの爪の跡が深く刻まれていた。



「図太いやつだな! 普通なら死んでるぞ!」



 涙でぼやけて大貴の顔がうまく見えない。それでもいい。バイクに突っ込まれて相当な衝撃を受けたはずなのに,こうして生きている。それだけで十分だ。



「ほんま,三途の川見えたじゃろ?」



 パトカーに追われるバイクと大貴がぶつかった後,すぐに救急車を手配した。

 運よくといっていいのか,警察はその場を目撃していたため,身元の確認と簡単な調査を受けてすぐに解放された。


 そうこうしていると,救急車が到着したため同情させてもらうことにした。

 一緒にシーマンを連れて行こうとすると露骨に嫌な顔をされたが,「友達なんです!」と強く主張するとすんなり受け入れられた。

 救急隊員に話しかけらえても,大貴は反応一つ見せなかったため余計なことに時間を使いたくなかったのかもしれない。



 何があってん,と苦痛に顔をゆがめながら訪ねる大貴に,事の成り行きを説明した。どうやら全く記憶にないことらしい。



「ほんま迷惑なやっちゃな。死んでたらどうしててん。日本の宝,いや,世界の行方を左右する男がこの世から去ったら大事やで。ジャンヌダルクがいーひんかったフランス革命を想像してみい。世も末やで!」

「フランス革命にジャンヌダルクは関係ないと思うけど」



 そういうことちゃうねん! と大貴は声を荒げたものの,「いてて」と顔をゆがめて静かに横になった。

 大貴は汚れ一つない真っ白な天井を眺めて,退屈そうにしている。



「ほんで,これからどうなんの? いつまで入院?」

「とりあえず,三週間ぐらい入院することになるらしい。で,骨折の仕方がひどかったところは,ボルトで矯正してるんだってさ。またそれを取るのに手術をするって。落ち着いたらとりあえず親と連絡を取るようにって・・・・・・」

「ありえへん」



 大貴はそう言うと,静かに背を向けた。

 言うタイミングを計りかねていたが,案の定,大貴はいい返事をしなかった。

 なんてったって,大貴と大貴の父の関係は,まさに最悪としか形容しようがない間柄のだ。




 大貴とおれが出会ったのは,大学に入学して間もなく,履修に苦戦している時だった。



「あー,かなんでほんま。ほんまやれんわ」



 同じように初めての履修に苦戦しているのだろうと思われる人の声が,ひときわ大きく響いた。

 その声はペットショップで鳴いている動物のごとくとめどなく続いている。

 大学にはいろんな人がいるって何度も聞いていたけど,本当に変わり者がいるんだなと妙なことに実感していたところ,しばらくするとその声の主に明らかに違和感を感じ始めた。



「かなんかなん。かなんでほんま」



 関西弁はテレビでも耳にしたことがあったから,そのイントネーションから関西弁であることは分かったし,言っている意味も何となくだけど伝わった。きっと,おれと同じように困っているのだ。

 ただ,その声のベクトルは明らかにこちらに向いているし,距離も明らかに近づいている。


 ばれないように,声のする方を盗み見た。

 その瞬間,「ひゃっ」と情けない声をあげてしまった。前髪を下ろした明るい髪の毛の男が,文字通り目と鼻の先ほどの距離にまで近づいてきていた。



「自分,困ってるやんな? 困ってるもんどうし,ええようにやろうや。一人じゃ抱えきれへんことも,二人なら解決するか問題が大きなるかのどっちかや」



 けらけらと笑いながら,不思議なオーラを放つ男は馴れ馴れしく肩を組んできた。

 横の椅子に勢いよく座った瞬間,伸ばした前髪がふわりと浮きあがった。

 額には,月の表面を思わせる不自然な凹凸があった。

 それが,おれと大貴の出会いだった。

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