流れ星
「ほな,行こか」
腑に落ちたような顔をしているおれに,シーマンはまたよく分からないことを言い始めた。大貴も「行こ行こ」と分かっているのか知らないが,同調している。
「どこに何をしに行くんだよ」
「やらんといけんことがあるじゃろ」
「何の義務も感じていないが,何かあるのか?」
「あの子に伝えんままでええんか?」
「は? 何をだよ。それに,こんな時間から会いに行くなんて非常識すぎるだろ」
時計の針は,二時を指そうとしていた。こんな時間から,またあの時みたいにオートロックを解除して侵入したなら,今度こそ警察を呼ばれかねない。
どうやってこの破天荒二人組を説得しようかと思案していると,水槽が震えるような声でシーマンが怒鳴り散らした。
「たまには与える側にならんか!!」
あまりの音の大きさに,カウンターに突っ伏したマスターがモロー反射を起こした赤ちゃんのように震え,しばらくするとまた寝息をつき始めた。
「あののぅ,清介は自分の伝えたいことだけ伝えて,欲しい結果だけ求めようとしとるじゃろ。それじゃあ,相手を幸せにすることはできんし,清介も幸せになれはせん。大事なんは,相手が何を求めとるんか,相手のことを理解しようとすることが大事なんよ」
相手が何を求めているか,おれは美緒ちゃんを理解しようとしていただろうか。
そんなことを考えながら,ポケットから赤丸を取り出してライターで火をつけた。
肺の奥にしっかりとニコチンとタールを送り込み,細く息を吐く。突然,「おれのことも理解しようとしろよな」とたばこ嫌いの大貴にむしり取られて火を消された。
「ほな,行こか」
さも当然のように,シーマンは繰り返す。
「ニコチンも入れたし,頭も冴えたんちゃう」
大貴はグラスに残っていた焼酎を一息で飲み干し,音を立てて立ち上がった。
「待て待て,百歩譲っても,せめて明日の方がいいんじゃないか?」
「思い立ったが吉日って,よく言うやん。いつまでも悩んでるから清介はあかんねん」
ちょっと待てよ,と制止するのも聞かず,大貴に引きずられるようにしてバー・スリラーを後にした。
午前三時。月明かりが雲を明るく照らす幻想的な景色の中,おれは月に帰るかぐや姫のような憂鬱な気分でいた。
実際には,かぐや姫は天の羽衣を着て人の心を失っていたような気がするが,そんな服があるなら今のおれにうってつけのような気がする。頼む。天人よ,この世に存在するというなら,おれにその羽衣を着せかけてくれよ候でござる!
「今何時だと思ってんねん。近所迷惑やろ」
大貴に小突かれて,また声が漏れていたことに気付く。この癖は本当にどうにかならないのだろうか。
そんなことに悩んでいると,オートロックが解除されて,扉が開く音で我にかえる。
「さ,行こか」と大貴が先を促す。
心臓が高鳴るのを感じながら,エレベーターに乗り込む。突発的にトラブルでも起こらないかな,などと願ったところで,そんな都合のいいことはない。人生で初めて神に願ったが,無意味に終わった。
玄関の前に立ち,深く息を吸う。そして,チャイムを鳴らした。
壁が厚いからか,チャイムが中で鳴り響いたのか音では分からない。よく考えたら,こんな時間だ。寝てて気付かなくても当たり前だ。起こすのもよくないし,今日のところは引き下がろうと大貴とシーマンを説得しようと考えたとき,玄関の扉ががちゃりと鳴った。
「警察,呼んだから」
「ちょっと待って! すぐ帰るから」
「今すぐ帰って」
本当にかけるから,と美緒ちゃんは言って,スマホを起動させた。まだ警察には連絡してないらしい。
「すぐに帰る。それに,もう二度と来ないから」
慌ててそういうと,美緒ちゃんはとりあえず話を聞くつもりになったらしく,黙ってスマホをポケットにしまった。
「眠たいんだけど。普通の時間に来れないの? せめてラインにしてくれたら楽なんだけど」
「だって、ラインはブロックしてるだろ?」
「あ,知ってたんだ」
適当なことを言ったつもりだったのに、本当にSNSで連絡を取ることを拒否されていたことを知り、肩を落とした。あれから、連絡を送ることなんてなかったから,まるで気がつかなかった。
あまりのショックに俯いていると,咳払いとともに背中を小突かれた。
振り向くと,大貴は一つ頷き,シーマンは口元から泡を噴き出していた。「清介のやるべきことをやれ」と言われている気がした。
胸を張って,美緒ちゃんと向き合う。
そして,できるだけ短く,言った。
「好きだったよ。でも,美緒ちゃんのこと本気で応援してるから。自分らしく生きてほしい。幸せになってね」
こみ上げるものを無理やり抑え込んで,何とか最後まで言い切った。
美緒ちゃんの瞳から,一筋光るものが流れた。流れ星みたいだな,と思ったけど,そのきれいな光に気付かないふりをした。
「ありがとう」
それだけ言うと,美緒ちゃんはドアを閉めた。
その表情には,さっきまでの敵対心は感じられず,穏やかで優しい雰囲気で包まれていた。
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