プッシュアップ




「どんだけの物を頼むねんってレジの女の子も身構えとったわけよ。ほんなら清介が,『カフェアメリカーノで』って虫のような声で言うんよな。店員もびっくりして,『え? 虫ですか?』とか言いながら殺虫剤を持って行きたくなるのをのをなんとか抑えて,『カスタムはいかが致しましょう?』『サイズは?』って聞くんじゃが,もうテンパった清介は『スマイル0円で!』って大きな声で言いだしたんよ」



 なんとかシーマンが喋りきると,大貴は足をジタバタさせながら爆笑した。マスターも良い夢を見ているのか,一緒になって笑っている。


 顔がゆでだこのように火照るのが分かる。いったいこいつは何なんだ。おれの悩みを解決するとか言っておきながら,結局はおれをネタにして酒を飲んでいるだけじゃないか。



「気になる子と初めてのデートなんだ! 緊張ぐらいするだろ!」

「別に緊張するのはええんよ。むしろ,適度な緊張はええ結果を引き寄せるけんのう」



 さっきとは打って変わった雰囲気で「けどの」と続けた。



「誰が清介みたいな,自信のなさそうな,見栄ばっかり張ってるやつと一緒にいておもしろいんや。分からんことは分からん言えば済むじゃろうが。それを,TOEICの試験でも受けとるみたいに時間をかけてから。みんなこう思ってたで。“May I help you?”ってな」



 確かにそうだ。おれはあの時,恰好を付けていた。だから,あまりにも多すぎるメニューに困惑し,何が何やら分からないまま沈黙していた。スターバックスも入ったことがないのかと思われるのが恥ずかしくて何も聞けず,でも間違いを恐れて注文さえできない。それで周りに迷惑をかけていることすら気付けないのだから,一緒にいれない,そう思われても仕方がない。



 ジントニックに手を伸ばし,乾燥した口の中を潤す。安っぽい甘さが舌を通った後,ほんのりとした酸味が残った。



「これが恋の味ってやつか」

「きもすぎじゃろ」

「まじきもいな」

「・・・・・・もしかして,声が漏れてた?」



 大貴とシーマンは揃って頷いた。



「清介,モテたいんか?」



 シーマンの問いに,おれは頷いた。



「変わりたいか?」



 変わりたい。今度はより深く,強くうなずいた。



「ほんなら,わしがしつけをしちゃろう」



 こぽぽ,と口から泡を出してシーマンは旋回を始めた。

 こうして,おれたちとシーマンとの大学生活が正式に始まった。




 三条大橋の下でさんさんと照りつける日差しを避けながら,おれたちは鴨川目の前にして昨日の続きを話していた。



「シーマン,変わるって,いったい何をすることなんだ?」



 シーマンはおれの問いかけには直接答えずに,隣にいる大貴に話しかけた。



「清介に足らんもんは何じゃと思う?」

「圧倒的に足りひんのは,ユーモアやな」

「間違いないの。他は?」

「溢れ出るカリスマ性を備えるのは無理やとしても,覇気も男らしさも欠如してんな」

「たまに隣におること忘れるもんな。ほんで他には?」

「イケメンちゃうし,金も名誉あらへん。思ってんけど,清介が持ってるもんを探した方が早いんちゃう? ・・・・・・無いなあ。いったい清介は何を持っているんや。他の人にはない,清介の魅力はなんや」

「そうじゃのう。安心感はどうじゃろうか。清介を見とったら,おれはまだまだ大丈夫っていう謎の安心感持つときあるじゃろ? 人を堕落させる安心感じゃ」

「世知辛え」

「もうやめてくれ!!」



 一人と一匹が散弾銃のように浴びせかける言葉の暴力を制止して,おれは立ち上がる。



「おれがいかに魅力がないかは分かったから,どうしたらいいのかを教えてくれよ」



 シーマンは口をへの字に曲げて,泡を細かく,長い間噴き出したひれの動きを見るに,たばこを吹かすしぐさをしているのだろうか。



「すぐ答えを求める。現代っ子じゃのう」



 「ゆとりゆとり」と大貴が合の手を入れる。お前もだろ! という言葉を飲み込んで,ぎろりと睨んだ。



「筋トレせい」

「・・・・・・は?」

「じゃけえ,筋トレせいって言いようるんが分からんのんか。いっぺんで聞き取らんかい」

「なんで筋トレなんだ?」

「分かっとらんのう」



 心底呆れた,といった様子でシーマンは首をもたげた。「分かってない分かってない」とすかさず大貴が合いの手を入れる。



「筋トレしたら何が変わるっていうんだ?」

「肉体が変わる」



 うんざいする。深いため息を吐き,立ち上がってズボンのほこりを払い落とした。



「そういうとこじゃろ」

「そういうとこやねん」



 シーマンと大貴が口をそろえた。どうしてこいつらはこんなに息がぴったり合うんだ。



「おれはマッチョになりたい訳ではない」

「マッチョになることが目的じゃない」

「筋トレはマッチョになるための手段だ」

「全く,変わりたいと言いながら聞く耳を持たん。食わず嫌いで実行力は皆無。もうええ。帰ってケータイゲームでもしとけ! この貴重な一日を,ゲーム会社が設けるための広告でも見て浪費するんじゃの! このカフェアメリカーノやろう!」

「あー! 分かったよ! 腕立て伏せでも片足スクワットでもトリプルアクセルでもなんだってしてやるよ!」



 今のはボケか? などと小声で相談する二人を背に,駆け足でその場を離れた。

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