お悩み解決


 引くんじゃなかった・・・・・・

 突っ伏したマスターの薄まりかけた頭頂部を肴に酒を舐める。



昼下がりにシーマンと出会った大貴とおれは,今後この不可思議な生き物をどうするかについて議論していた。「国立博物館に送りつけて解析してもらうべきだ」という意見と,「生き物はみな友達,おれたちは仲良く一緒に生活していくべきだ」という意見で真向に対立した。



 どうしても折れない大貴に,「自分の思考回路が読まれるんだぞ! お前のスケベな頭の中も! しばらく一緒にいて頭を冷やせ!」と言ったのが運の尽き。それを了承した大貴に「ほな,今日は清介の失恋を次に生かす会八回目の日やったな。今晩バー・スリラーで落ち合おう」とおれは自分の家を閉め出されたのだった。





「悩み,解決しちゃろうか」



 予期せぬところから声が発せられたので,危うくグラスを落とすところだった。



「おれの悩みを解決する? お前がか?」



 水槽の目の前まで行き,腰をかがめて目線をシーマンに合わせた。ふつふつと湧きあがる怒りが抑えられそうにない。



「おれの悩みはな,てめえと出会ったことなんだよ!」



 水槽に手を当ててガタガタと揺らしながら叫ぶと,水槽の中で暴れた水が跳ねて顔に飛び散ってきた。

 シーマンは「落ち着け!」と声を荒げながら水槽を泳ぎ回り,大貴は口からポップコーンを飛ばしながら腹を抱えて笑っている。



「清介,お前は勘違いしとる。わしは人の気持ちを読めはせん。そんなん,ちょっと考えたら分かるじゃろうが!」


「じゃあ,なんだあれは! おれの心の中を読んでいたじゃないか。お前はいったい何者なんだ!」


「お前は自分の心の声が全部漏れとるんじゃ! もっと人の声を聴かんかい!」



 その通り,と大貴が合いの手を打つ。バーには一瞬の静寂と,マスターのいびきがかわるがわるにやってくる。



「つまり,全てはおれの勘違いだと?」

「そうじゃ」



 確かに,おれは周りに誰もいないのに突っ込みを入れたり,相手に聞かせるべきではない独り言をつい言ってしまって,周囲から白い目で見られることはあった。

 おれの勘違いか,そう納得しかけた時,一つ腑に落ちないことがあることに気付いた。



「おれの身体はピタゴラスイッチか!! っていう渾身のツッコミ。あれは? あの時は間違いなくいなかったよな?」



 シーマンは水槽の中でバブルリングを作って遊びながら,どうでもよさそうに言った。



「あれだけは別じゃ。まあそう気にすんなや」

「それが気になるんだよ!」



 頭を抱えてうずくまると,大貴が背中を撫でながら「スケベ心が覗かれるんって,気が気じゃないやんな」と優しくいった。その手が小刻みに震えて,顔を見なくても笑いをこらえているのが分かる。



「清介,しっかりせえ。一緒に清介の悩みを解決しようや」

「おれの悩みは他にない」

「嘘こけ。ほんなら,この前ようやくデートにこぎつけた女の子のことはもうどうでもいいってことじゃの? わしならなんとかできそうじゃったのに,清介がそう言うなら,しゃあないわな」



 顔を上げてシーマンを見る。

 こいつ,どこまでおれのことを把握しているんだと薄気味悪く思ったが,もう今さらだ。

 それに,おれはこの不思議な生き物に力を貸してもらえれば,自分一人では成し得なかったことが達成できるような気が沸いてきたのかもしれない。



「どうでもよくない」



 気づけば,シーマンの前でそう返事をしていた。



「ええか? まず清介は,自分に自信が無さすぎるんじゃ」



 はい,と素直にうなずく。具体的にはどうすればいいのかを尋ねると,シーマンは口から泡をこぽぽ,と噴き出した。これはため息だろうか。



「清介,スタバで何を頼んだん?」

「スタバ? なんでおれが美緒ちゃんと一緒にスタバに行ったことまで知っているんだよ」



 シーマンの口から,息継ぎが心配になるほどの長い気泡がこぼれ出た。そりゃ気になるだろ。どれだけ落胆しているんだ。



「わしはあの時,水槽からずっと清介のこと見とったわ。あんなに情けないのは,清介か自分の匂いで気絶するカメムシぐらいやな」

「あの時いたのか? ・・・・・・あ」



 確かにいた。緊張ではっきりと覚えていないが,レジの前で並んでいると,初デートで一緒にいた美緒ちゃんが「あんな魚,初めて見た」と薄気味わるがっていたのを思い出す。おれは美緒ちゃんといることではじけ飛びそうな心臓を落ち着かせるので必死でよく覚えていないが,今言われてみるとあの時水槽にいたのがシーマンだったのかもしれない。


 「カメムシって自分の匂いで気絶するん?」「するで,箱にでも密閉してみ」などと,大貴とシーマンが半ば興奮気味に話をしているところに割って入った。



「教えてくれ! あの時のおれ,何がいけなかったんだ?」



 大貴が鬱陶しそうに「お前は常にだめだめやろ」と言うのを無視して,シーマンの言葉に耳を傾ける。シーマンはくだらなさそうに話し始めた。



「何って・・・・・・全部じゃろ」

「だから,具体的に何が」 

「例えば・・・・・・」



 シーマンは目を細めて,思い出すように言った。



「レジの前で何分メニューを睨んどんや。自分の後ろで,ユニバーサルスタジオジャパンばりの列が出来とったで。あんな列見るのは,ハリーポッターのアトラクションがリニューアルオープンした時以来じゃ。列に並んどる人らが口々に言よったわ。『あれ? うちらスタバに来たつもりやったのに,間違えてユニバに来てもうたわ』『どうせなら,年パス買うんやったのに』言うて,店中パニックじゃ」



 いくら何でも盛りすぎだろ,という嘆きは大貴の爆笑でかき消された。



「ほんでな,話はここで終わらんのんよ」



 シーマンはもはや大貴に向かって話し始めている。大貴は頷きながら,話の続きを楽しそうに待っている。

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