アブラゼミ


「おれ,なんも頼んでへんで」



 大貴は心外だと言わんばかりに掌を空に向け,肩をすぼめた。その姿はまるでファッション雑誌の表紙を飾る外国人だ。



「ごまかすな。お前以外にあんな悪趣味なものを頼むやつなんて,日本中探したっていやしない。酔っぱらったドイツ人だってそんなことはしないさ」

「ドイツ人って,そんな悪趣味なん?」

「おれはドイツ人に詳しくない。でも,ソーセージ片手に毎日一杯やってるのだけは想像がつく。酒は人をだめにするからな」

「ドイツ人が聞いたら憤慨ものやな。加えて,ひとつ決定的な間違いがあんで」



 大貴は人差し指を立ててちっちっ,と舌を鳴らした。



「酒が人をだめにするんとはちゃう。酒は,人がもともとダメなやつだという事を暴き出すんや。そんなん,わいらを見たら火を見るより明らかなことやな」



 腰を折るようにして大貴は笑った。

 抱えた腹をさすりながら,それで,と大貴は続ける。



「お宅に何が届いてん?」



 本当にこいつは何も知らないのか? しらを切っているようには見えないので,頭が混乱する。

 大貴以外にあり得ないと思ったが,そうでないなら話は変わってくる。こいつとシーマンを引き合わせると,必ず良くないことが起きる。おれはそう直感した。

 

世の中には,組み合わせてはいけないものがあるのだ。

 酢豚にパイナップル,パンにレーズン,塩素性洗剤に酸性の洗剤。いくら丁寧に混ぜ合わせたところで,シナジーを作り出すことは決してない。「一+一が二を超えることがある」と声高らかに主張する者があるのなら,掛けようが割ろうが,足せども引けども,あらゆる符号を使ってさえも決してシナジーを生み出さないものもあるということも同時に主張するべきだ。



「ほな行こか」



 意地でも口を割らないつもりでいたが,聞いても答えないおれに頓着せずにすたすたと歩き始めた。



「おい,どこへ行く気だ?」

「おいおい,分からへんのか? 自分ちや。ほんまのんびりしてたらチャンス逃してまうで。清介はそういうところがあるねんから,気ぃつけな。ええか。チャンスっちゅうんは流れ星みたいなもんや。ふとした時に流れてやってくるんやけど,その時にお願い事を考えてたら遅いねん。次こそは! って目を凝らして待つっちゅうんなら,そのまま待ちぼうけや。チャンスをつかむんなら,行動あるのみや」



 「誰にとってのチャンスだよ」と言い返したときには,大貴はもうあっちの方を向いて聞いてはいなかった。

 こいつとシーマンが一緒になると,どんな事態に発展するのかと考えればぞっとした。言っている内容までシーマンに酷似している。

さっきまでカンカン照りだった太陽も,いつのまにか厚い雲に覆われて姿を隠していた。




「なあ,やっぱりやめてくれないか? 実は今,部屋に彼女がいるんだ」

「何言ってんねん。カップラーメンの食べ残しをそのままごみ箱に流すやつの家に,女がいるわけないやん。いるとしたら,人の姿をした化け物やで。あるいは,化け物の姿をした人のようなもんやな」



 「おっかねえおっかねえ」とぼやきながら,大貴はアパートへと足を進める。


 いるんだよ。その化け物みたいな生き物が。宮崎駿が生み出す,愛くるしいキャラクターをイメージしていたらド肝を抜かれるぞ。トトロのようにお腹の上で横になりたくなるような毛並みはないし,商業的な価値もない。いや,シーマンはヒットしたのか? そんなことはどうでもいい。とにかくあいつは化け物だ。ターミネーター,フランケンシュタイン,ドラゴンボールのセル・・・・・・。これまで人が作り出した生物で誰も傷つかずに平和と発展をもたらした生き物がいただろうか。おれからしたら,アンパンマンやベイマックスを生み出した人すらも憎たらしい。ああ,だれがあの生き物を生み出したんだ。だれがおれの家に送りつけたんだ。頼むから責任を取って引き取ってくれ! それが生み出したものの責務というものだろ!



「清介,お前さっきからなに訳の分からへんこと呟いてんねん。お前の悪い癖やぞ」



 ハッとして口元に手を当てた。安いホルモンを食べた後のように顎に疲労感がある。年寄りのスピーチのように長々とものを考え,また口に出していたようだ。


 大貴は中に何がいるかも知らずに,愉快そうにドアノブに手を掛けた。




 怖くてしばらく部屋の中に入れなかった。セミがうるさく鳴くのを聞いては,「この世界はおれ一人じゃない」と言い聞かせて心を落ち着かせていた。二十段腹ぐらいに割れているのか脂肪なのか分からない体つきをしている生き物に励まされる日が来るなど考えてもみなかった。


 昔,大貴が話していたことを思い出した。「セミがなんで一週間しか持たへんと思う? あいつら,あんなちっさい体で,運命の相手と出会うために全身震わしてるやん。あれ,人間に置き換えてみ? 無理やん,普通。そら死んでまうやろ。そういうことやねん」


 遠い目をしながら,大貴はそう言った。幸せを身体全体で求めて,そうして幸せに果てていく場合もあれば,願い叶わず無残な最期を迎える場合もあるだろう。大貴の過去を一度だけ聞いたことがあったおれは,その目に浮かぶ涙に何か深い意味を感じ取った。



「しょうもないことを思い出したな。しかも,あのセミのエピソード,真っ赤な嘘だったんだから,ほんとでたらめな奴だな」



 独り言と同時に,近くで鳴いていたアブラゼミは泣き止んだ。

 それを合図に「よっこらせ」とわざと声に出して重たい腰を上げた。

 仕方ない。なるようになれだ。

 そう自分に言い聞かせ,十分ほど前に大貴が入っていった扉に手を伸ばした。

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